第三話「疑惑」
第三話「疑惑」
スーパーとは反対方向だったが、祐介は弘のワンルームアパートの前に立っていた。階段の手すりは真新しいペンキが塗られていたが、悪趣味な深緑である。
祐介は階段をゆっくりと上った。上り切ると、ペンキが剥げている箇所が見える。親指大くらいだった。
「さてと」
そう呟いて、部屋を開けた。埃っぽさとカビ臭さで咳き込みそうになる。部屋の真中には毛布が置かれているだけで、一見すると空き部屋と見間違えるほどである。
毛布の端を掴みあげて揺するが、鉛筆一本さえも落ちてこない。
祐介はクローゼットを開け、床を這い回った。そしてキッチンの収納戸棚、小さな冷蔵庫の中……。隈なく調べると、部屋の真ん中に戻ってきた。
「あのUSBメモリはなし、か」
祐介はそう呟いて玄関の扉を静かに開けようとする。しかしドアノブから手を話した。二組の足音が聞こえてきたのである。何やら話しているが聞きとれない。
彼は身を潜めると、そっと耳を澄ます。足音の主は階段を上ってくると、弘のアパートの前で止まった。ドアノブの開く音がすると、顔を覗かせる。
「これは先生。こんなところで何を? 聞き込みをしてたら、先生の姿が見えたんですよ。後をつけてきたら、このアパートに入るじゃありませんか」
さらに園村が一歩、詰め寄って尋ねる。射るような目つきだった。
「いやぁ遺品がないかと思いましてね」
祐介が笑顔で答える。天野はさり気なく歩くと、玄関への逃げ道をふさぐように立った。そして彼は優しい声で問い返す。
「遺品、ですか?」
「ええ、何だかんだ言っても友達でしたからね」
「そうですか。でもこの部屋のものは全て警察が今、調べています」
それを聞いて、祐介は驚いたような顔をした。
「そうなんですか」
「えぇ、USBメモリもありませんでした」
天野が言うと、太陽がゆっくりと雲で覆われていく。祐介の顔色が一瞬変わったようにも見えた。しかし陽がまた顔を出すと、祐介は笑顔に戻っていた。
「USBメモリ?」
「ええ、ご存知ありませんでしたか? 弘さんはスキャンダルで生活してたんです」
天野が言うと、祐介は興味がなさそうに尋ねる。
「ゴシップ誌の記者だったんですか」
「……いえ、本人へ送りつけてたんです」
「つまり脅迫ってことですか?」
祐介が驚いた振りをすると、天野は頷いた。
「まぁそうなりますね。USBメモリがあればかなり捜査は進展するのですが……。それにしてもネタをどこで仕入れたんですかねぇ。誰かが情報を盗み出して、渡していたとしか思えないんですよ」
天野が言うと、園村も笑顔で尋ねた。しかし目は笑っていない。
「さぁ……、僕にはさっぱり」
祐介は首を振ると、園村は天野へ目配せする。天野が頷くと、道を開けた。
「そうですか。ありがとうございました」
「お役に立てずに申し訳ありません」
祐介はそう言うと、二人の脇をすり抜ける。そして玄関に向かったのだった。
夕方の公園はコウモリたちが飛び交っている。地面には血痕が生々しく残っていた。祐介はその血痕に目を落とすと、口許だけを歪ませる。
石を持ち上げてみたが、血は付いていない。公園には酔っぱらいが吐いたのか、茶色い吐瀉物があった。祐介は顔をしかめると、目をそむけた。
一通り見終わって、祐介が踵を返そうとする。そこへ園村と天野の姿が見え、祐介は穏やかな微笑を貼り付けた。二人に会釈をすると、園村は大股で近づく。天野が仔犬のように駆け寄ってきた。
「あぁ、刑事さん。まだ何か?」
祐介が尋ねると天野は聞き返す。
「先生こそなんでこんなところに?」
「買い物の帰りにぶらりと寄ってみたんですよ。公園も見ておこうかと思いましてね。弘が殺された現場ですし」
祐介は曖昧に笑って答える。
「そうですか」
園村の口ぶりは疑いとも肯定ともつかない。彼の顔には笑みが貼り付いていたが、作り物めいている。
祐介は雑談でもするかのように尋ねた。
「どうです? その後の捜査。USBメモリは出てきましたか?」
「ええ、もちろん進んでますよ」
園村はそう言うと笑顔を貼り付けた。祐介も笑んで言う。
「そうですか」
園村と天野は一礼すると立ち去ろうとした。しかし園村は思い付いて振り返る。
「あぁ、そうそう。ちょうどよかった。この際ついでに。生徒さんたちにお伝え頂きたいことがありまして」
「私に? 何でしょうか?」
「D-4、D-6、D-12、D-20。この名前に聞き覚えはありませんか?」
祐介の眉が上がったが、首を振って答えた。
「聞いたことありませんね」
「そうですか。危険ドラッグなんですけどね。SNSで広まってるんですよ」
園村は身を乗り出して言ったが、祐介は無表情に答える。
「なるほど、気軽に手に入れられるってわけですね」
ええ、しかも末端価格は2000円から3000円なんです
祐介は身を乗り出したが、生徒たちを麻薬から守ろうという正義感からではない。その価格から昨日の会話を思い出していたのである。
彼は頷いて言った。
「生徒たちもバイトをすれば簡単に手が出せるわけですね。そのくらいの値段なら」
園村は溜息をついて皮肉な笑みを浮かべた。
「えぇ、全く便利な世の中になったものですよ。そこでお願い、というのは」
「生徒たちへの注意喚起、でしょう?」
「そうです。まぁ、広報課から校長先生宛に手紙が改めて届くと思いますけどね」
「解りました」