第二話「盗聴」
第二話「盗聴」
アパートの一室は閉め切られていて、パソコンの画面が青白く光っていた。祐介は椅子に深く座り直すと、ヘッドホンを付ける。
しばらくしてノイズに混じって話し声が聞こえてくる。女性の声だ。
「……D-6……」
祐介がキーボードを叩くと、音声が鮮明になってきた。それとともに画面には女性の部屋が二つ、映し出される。田口恭子と室生澪が通話アプリで話しているのだ。
ロングヘアが印象的な恭子はワンルームアパートに住んでいて、机には小包と缶ビールが置かれていた。小包を開けながら彼女は澪に話しかける
「やっほー、澪、D-6が届いたわよ」
彼女の声は甲高く、妙に高揚していた。しかし酔っているようで呂律が回っていない。酒臭さがヘッドホンを通じて漂ってきそうである。
「いつもありがとう、恭子」
「そんなことはいいけどお金が先」
恭子はそう言うと、煙草に火を点けて、煙を吐き出す。
「振込でいい?」
澪がそう言うと、恭子はあからさまに眉をひそめた。
「いや、振込だとまずいでしょ。それに手数料も掛かっちゃって澪も都合が悪いんじゃないの? 手渡しで3000円ね」
ぞんざいに恭子が言うと、澪は驚いたような声を出した
「えぇ? こないだまで2000円だったじゃない!」
「状況が変わったの。こっちも苦しくなってさ。安月給で何とかしてるのよ」
恭子はそう言ったが、口調からはさほど切羽詰まった様子は感じられない。
「そんなぁ……」
澪が情けない声を出したものの、恭子は急かすように言った。
「澪が要らないんなら私がもらうけど?」
「欲しいけど今月ピンチなんだ。2500でどう?」
「うーん、2700は? 足らなかったらまたどこかで借りればいいでしょ? 渡辺から借りれば安心じゃない?」
澪はしばらく押し黙っていたが、やがて言った。
「……OK。買うわ」
「そうこなくっちゃ。さぁ見つからないように私のマンションまで来られる?」
「う、うん……」
澪の表情は暗い。その一方、恭子は弾むような声である。
「じゃあ待ってるね」
通話はそこで切れた。祐介も傍受をいったん止めると伸びをする。そしてインスタントコーヒーを淹れようと席を立った。ちょうど玄関のチャイムが鳴り、舌打ちをしてリビングに向かう。
閉めきった部屋から出ると、眩しく感じた。
広いリビングの真ん中には大きなソファが置かれている。
祐介は隅の観葉植物を一瞥すると、インターホンのボタンを押した。カメラ越しに二人組の男が映し出される。一人はいかつい顔、もう一人は若くキザな男だった。
その二人を見て、祐介は尋ねた。
「どちら様でしょうか」
いかつい男は警察バッジを取り出すと、カメラに向ける。
「私、西署の園村と申します。これは天野」
天野と呼ばれたキザな男は頭を下げた。祐介は戸惑いながら尋ねる。
「あの、警察の方が何か?」
「谷口弘さんの件で……」
天野に言われると、祐介の眉が一瞬動いた。リビングのドアを開けると笑みを貼り付ける。そして玄関の鍵を外した。
園村と天野をリビングに招き入れると、二人に尋ねる。
「コーヒーで構いません?」
「お構いなく」
園村は穏やかな調子で断ったが、祐介は戸棚からコップを三つ取り出した。そしてインスタントコーヒーを淹れながら言う。
「いえ、ちょうど私も飲みたかったところでして」
祐介はカップを差し出すと、園村は頭を下げて一口飲んだ。祐介が座るな否や、天野は性急に切り出す。
「谷口弘さんが死亡しました」
「そうらしいですね。新聞記事で読みました」
淡白に答えると天野は眉を上げた。
「失礼ですが……」
「もっと悲しむと思ってましたか?」
祐介が尋ねると、天野は言い淀む。
「ええ、まぁ……」
「別に弘とは親しくしてたわけじゃありません。用事があると向こうから電話が掛かってきただけです」
「そうでしたか。電話、とおっしゃいましたが、トラブルの相談などは?」
園村がそう尋ねると、祐介は首を捻っていた。やがてうなだれて答える。
「別にありませんでした。というかいつも何かしらのトラブルを抱えていたと言った方が正確だと思いますけどね」
「具体的には誰とどのような?」
「金銭トラブルがメインでしたが、誰から金を無心していたかまでは解りかねます」
「そうですか。ちなみに昨日の十時ごろはどちらに……」
園村が尋ねると、祐介は頭を掻いて笑った。
「疑ってるんですか?」
「いえ、念のために。面識があった方全員にお聞きしてまして」
園村が答えると、祐介は宙に視線をさまよわせた。
「その時間ならヘッドホンで音楽を聞いてましたよ。もちろん一人暮らしです。誰も証明してくれませんけど」
祐介は道化て肩を竦めると、立ち上がった。彼は屈託のない笑みを浮かべて言う。
「そうだ。よろしかったら刑事さんたちもご覧になりますか。自慢の設備なんですよ。本当に」
「い、いえ、結構です」
天野は苦笑して断わった。園村は身を乗り出して尋ねる。
「あぁそうそう、これが警察に届きましてね」
そしてポケットから紙を取り出して、祐介に渡した。メールの打ち出しだった。
祐介は紙に目を落とす。たった一言「渡辺裕介は犯罪者である」と書かれていた。ありふれた明朝体とフリーメールが使われている。彼はさっと紅潮させたが、すぐに園村へ突き返した。
「どうせいたずらでしょう。そりゃまぁ僕だって小学生の時には立ち小便くらいはしましたよ。そういう意味じゃ犯罪者です。そんなこと言い出したら日本全国の男性が犯罪者になってしまう。そうでしょう?」
祐介は饒舌に言うとコーヒーを一口飲んだ。園村は射るような目で確かめる。
「では身に覚えはないと?」
祐介は顔を赤くして言った。
「当たり前でしょう。よろしかったら一部コピーを取りたいのですが、可能でしょうか」
「なんのために」
「うちのクラスの生徒がもしかしたらイタズラで送り付けたのかもしれません」
それを聞いて、園村は頷いた。
「先生も大変ですね。それでしたらこの紙を差し上げますよ」
「いいんですか?」
祐介の目には当惑の色が浮かぶ。園村は頷いて言った。
「ええ、署で打ち出し直せばいいだけです」
「ありがとうございます」
祐介は立ち上がって、プリンタ複合機に向かった。静かな音とともに、紙が吐き出される。祐介はソファに戻ると、園村に改めて礼を言った。そしてソファに座ると、コーヒーを飲む。
天野は咎めるような目を園村に目を向けたが、彼はそれを無視した。立ち上がると、コーヒーを一気に飲み干した。
「ご協力ありがとうございました。貴重なお時間すみません」
「いえ、私こそお役に立てなくてすみません」
祐介も立ち上がると、申し訳なさそうな顔をする。園村は笑んで首を振ると、胸ポケットから名刺を取り出した。名刺には警部補、園村高雄と書かれている。
「何か思い出したことがあれば」
「解りました」
「よろしくお願いします」