四
四
蓮華の姿に、俺は唖然とした。
先程悟志が俺の異世界行きを止めようと、蓮華にメールを送ったのは知っていた。
が、それで蓮華が俺に会いに来るとは思ってもみなかった。
だって蓮華は三木裕次郎と一緒だったはず。それがデートなら、カレシをほったらかしてほかの男のもとへ駆けつけるなんてありえない。
しかし今、俺以上に驚いているのは蓮華だった。
え? あれ? ほへ? ちょ……なにこの状況……これって、いったい……!?
無理もない。
魔法陣に拘束された青木英雄。
その隣にも青木英雄。
横には白銀の鎧に身を包んだ女勇者。
空中に寝転んだまま足をプラプラさせているのは、幼女天使だ。
あと、スケッチブック片手に漫画構想に余念がない悟志もいるが、こいつはまあどうでもいい。
とにかくこんな現実離れした光景を見せられ、冷静でいられるわけがない。
蓮華はつぶらな瞳を白黒させ、頭を振った。黒髪が彼女の動揺を表わすように揺れ動く。
その視線が俺たちの間を何度も行き来した。
懸命に状況を理解しようと努めてるみたいだが、まあ、理解できるほうがおかしい。
しまいには、
ああ、もうっ
夢なら覚めろと言わんばかりに、両手で頬を挟み込むようにバチッと叩いた。
蓮華、これはな――
説明しようとした俺より早く、俺の姿をした魔王がにこやかに語りかけた。
驚かせてすまんな、蓮華。信じられないかもしれないが、俺の偽者が現れて悪さをしようとしたんだ
おまえなにを!?
ぎょっとする俺を尻目に、魔王は口から出まかせをすらすら言う。
たちの悪いクリスマスイブの奇跡だな。けどもう心配ない。こうやって偽者はたった今捕まえたところだ
違う、違うぞ蓮華。俺が本物、本物の青木英雄だ
はは、出たぞお約束。偽者は決まってそう言うよな。蓮華、こんな偽者の言葉に耳を貸すんじゃないぞ
自分の正当性をアピールしたいが、魔法陣に拘束されたこの状況では不利だ。
はた目から見れば魔王の言うように、悪人が捕まってると思われてもしかたがない。
ちくしょう……
惚れてる女の子に、自分を自分として見てもらえないことが、こんなにもつらいとは思わなかった。
と同時に、ようやく気づくことができた。
この世界を捨てようとしてるのに、この世界の蓮華に自分をちゃんと見てもらいたい。信じてもらいたい。
そう願って必死にあがくのはなぜなのか。
答えはバカでもわかる。
未練だ。
この世界への未練。大好きな彼女への未練。
それが俺の心にどうしようもなく残ってる証だった。
でもなぜだろう、そのことが、今では少しうれしくも感じる。
俺は、大バカだな
つぶやき、歯噛みした。
これほどの未練に気づかず、異世界召喚を願った自分の浅はかさをなじりたい。
そんな俺の耳に、俺に扮した魔王の声が聞こえてくる。
偽者はすぐに天使が連れてってくれるそうだ。牢にでもぶち込んでおくんだろ。これで一件落着。悪かったな、蓮華。心配させちまって
このまま魔王に好き勝手させとくわけにはいかない。
俺は反省するのを後回しにし、蓮華にこっちが本物だと信じてもらうための方法を考えた。
幸いここには一部始終を見ていた友がいる。悟志が証言してくれれば――。
そう思って、悟志に頼もうとしたときだ。
……偽者ぉ?
低くドスの利いた蓮華の声が聞こえた。
彼女はこちらを睥睨しつつ、大股で近づいてくる。
付き合いが長いからわかる。本気で怒ってる顔だ。
小四のとき、学校で六年生の悪ガキ数人に絡まれ、喧嘩になったことがある。当然歯が立たず、ぼこぼこにされた。
が、そこに箒を振り回して乱入してきた蓮華が、ちょうど今と同じ表情をしていた。
肩を怒らせ、顔を真っ赤にし、髪を逆立てて。半端なく怖い。
今すぐ本物の――
よくわからないが、偽者に激怒してることだけは伝わってくる。
やばい、俺、死ぬかもしれん。
蓮華は足を止めないまま、肩に下げていた通学バッグをつかんで振りかぶった。
――ヒデオを離せー!
全身を使ってバッグを投擲。それはビュンッと勢いよく飛んで、
ぐえっ
魔王に命中した。
あまりの衝撃に魔王の身体は引っくり返った。
その拍子に全身の輪郭がぶれ、瞬く間に本来の魔王の姿に戻った。
てっきりバッグをぶつけられるのは俺だと思っていたので、この展開には驚いた。寸分たがわぬ俺と魔王を見て、どちらが偽者か、蓮華はすぐに見破ったのだろう。
蓮華……
感激した。そんな芸当ができるのも、今までの俺をちゃんと見ていてくれたってことだから。
ふ~。一か八かの勘は当たったみたいね
ただの勘だった。
蓮華は倒れた魔王の元まで行くと、落ちていたバッグを拾い上げた。それを高々と掲げる。
今すぐヒデオの拘束を解きなさい! でないと、今度はあんたの顔に、これ、ぶつけるんだから!
本当にやりかねない迫力に、魔王が青ざめる。
待て待て、それはいかんぞ。角が折れるやもしれん
折れたら死ぬの?
新陳代謝がちょっと悪くなる
一本くらいなら――
ごめんなさいごめんなさい!
涙目で懇願する魔王が、少し気の毒になってきた。だいいち俺を拘束してる魔法陣は、魔王とはいっさい関係ないんだし。
蓮華、違うんだ。俺がこうなってるのはそいつのせいじゃない
蓮華はバッグを掲げたまま、俺に視線を向けた。
本当? ていうかヒデオ、あんた大丈夫なの? 両手、消えてんだけど?
魔法陣に埋没した俺の腕は両肩の近くまで消滅し、その部分はすでに異世界へ行っている。
大丈夫だ
そう言うと、蓮華はバッグを足元に置いた。
大丈夫じゃないよ……バカ
それからふらっと俺の胸に倒れこんできた。
れ、蓮華?
不意に伝わってきた蓮華の感触にどぎまぎする。
彼女は深々と息を吐くと、俺の胸板を拳でポカポカ叩いてきた。
なんなの、いったいなんなの……なにが起きてんの?
声がほんの少し震えている。
大塚くんからメール来たの。ヒデオが二度と会えない異世界行くって。もちろんアホかって思った。冗談だって思った。でも気になって。99パー違うと思うけど、残り1パーでホントだったらって思ったら、たしかめに来るに決まってんじゃん。止めなきゃって思うじゃん
止める……?
訊きかえすと、蓮華は頬を膨らませた。
止めるでしょーが、普通
そうか、止めてくれるんだな、蓮華は。
じわっと目頭が熱くなった。
この世界に居場所なんてないと決めつけていたが、蓮華の言葉がそれを否定してくれる。
うれしくて、でもそんな蓮華の生きてる世界を捨てようとした自分の軽率さに唇を噛んだ。
ヒデオ
蓮華は真剣な顔で言った。
ちゃんと話しなさい、なにが起きてるのかを
俺は力なくうなだれた。
望んだんだ、俺が。この世界を捨てて、俺を必要としてくれる異世界で英雄王になりたい。そう思ったんだ
ここまで巻き込んどいて話さないわけにはいかない。そんな身勝手は許されない。
なにより、もう彼女を裏切るような真似はしたくなかった。
俺は今日の放課後にあったことを話した。
漫画大賞に落選したこと。
蓮華と三木裕次郎が一緒にいるところを見かけたこと。
そのあと幼女天使が現れ、異世界召喚を提案されたこと。そして俺がその誘いを受け入れたこと。
悟志が止めに来てくれたことや、魔王と女勇者が逆召喚されたこと。
今に至るまでの出来事を包み隠さず話した。
ただそれはあくまで出来事だけ。その裏に秘めた想い――俺が蓮華を好きだという気持ちだけは話さなかった。
それを伝える心づもりはある。
蓮華に想いをぶつけたい。彼女を俺に振り向かせる努力をしたい。
そう思ってるのに……。
異世界召喚の決意を、早々にひるがえそうとしてる俺が、そんな新たな決意を口にしていいのか。それって調子よすぎじゃないか。
ついそんなことを考え、ためらってしまう。
軽薄で根性なしの俺の決意を、自分自身が信じ切れていないのかもしれない。
そういうわけで、俺は異世界召喚の途中。そこに蓮華が来たってわけだ
いたたまれなくて、まともに蓮華の顔が見られないまま話し終えた。
すぐに蓮華は空中の幼女天使を見やった。
天使ちゃん、異世界召喚まであと何分?
幼女天使は寝返りを打つみたいに顔を向けた。
あ~、あと五分ちょい。青木英雄から異世界への欲求、未練が完全に消えない限り、その召喚魔法は停止しないのよさ
そう
蓮華はうなずき、それから俺を見て深呼吸をした。
五分もあれば充分ね
?
俺が小首をかしげた瞬間――
蓮華の右手が唸り、俺の頬をしたたかに打ち付けた。
あまりの痛さに視界に星が瞬き、異世界どころか天国に行きかけたが、蓮華の声に引き戻された。
目が覚めたかバカヒデ!? バカだバカだって思ってたけど、あんたホント大バカ! 異世界召喚諦めるまで……ていうか、そのこと自体忘れるまで叩き続けてあげよっか!?
い、いや……こんなの五分続いたら、たぶん死ぬ……
ジンジン痺れる頬に涙目になりながら謝った。
すまん……もっと……もっとちゃんと考えるべきだった
ううん、バカヒデはバカだから考えたって無駄
え? あ、そう?
だから……だからそういうときは、あたしが代わりに考える!
蓮華はもう一度右手を振り上げた。
きつい二発目を覚悟して、ぐっと奥歯を噛みしめたが、一向にビンタは飛んでこない。
やがて蓮華は手を下ろすと、その場にぺたんと座り込んでしまった。うつむいたせいで、表情が見えなくなる。でもその声音は怒りに震えている。
あたしがいちばん頭に来てんのは、バカヒデがあたしになにも言わなかったこと。相談しなかったこと。あんたは小さい時からバカだから、絶対間違うんだから、大事なことはあたしに相談しろっつうの。バカはあたしの言うこと聞けっつうの
そこまでバカバカ言わんでも――
うっさいバカ!
ぴしゃりと言い放って、顔を上げた。とたん――
彼女の瞳から涙がこぼれた。
あれ?
泣いてることに蓮華自身はじめて気づいたのか、
あれ? あれ?
濡れた頬を手で拭い、指で目をこすり、
おかしいな
笑いながら涙をあふれさせた。
つづく