二 榊祐介

俺――榊祐介(さかき・ゆうすけ)は、絶賛片思い中である。
俺の父親は名前を言えば誰でも知ってる代々続く大企業の社長で、俺はその一人息子。家は某高級住宅街の中でも一際大きな一軒だ。

美鈴

祐介、おかえりー

祐介

ただいま。もう帰ってたんだ?


家に帰ってきた俺を、そういって出迎えた女性。彼女の名前は、瀬川美鈴(せがわ・みすず)。24歳。目鼻立ちの整った、大変けしからん肉体を持つ美女であり、彼女は俺が通っている学校の教師である。

美鈴

そうよ、今日は残業もなかったしね。たまにはアンタよりも先に帰ってきて、夕飯でも作ろうかと思って

祐介

珍しい、明日は雨だな


彼女は料理が恐ろしく苦手で、普段料理をするのは俺の役目だ。

美鈴

なんだと、この〜


そう言って美鈴さんが俺を小突いてきた。それを鞄で防ぐ。

美鈴

まったく、生意気になったわねぇ


そう言いながら彼女は髪を掻き上げた。たったそれだけのことで、ドキンと胸が高鳴る。

美鈴

ほら、ちゃっちゃと着替えてきなさい。お茶淹れといてあげるから。ほら、上着

祐介

ああ、ありがとう


脱いだ上着を手渡すときに軽く指先が触れて、息が詰まる。
俺はざわつく内心を殺し、努めての声でそれだけを告げた。その甲斐あってか美鈴さんは、俺の葛藤には気づかず、上着をハンガーに掛けると、リビングへと戻っていった。

俺は彼女がいなくなったことを確認して、ほっと息をつくと、手洗いをするために洗面所に向かう。
瀬川美鈴。彼女が俺の片思いの相手だ。

だけど、この恋は決して叶わない。この思いは伝えてはいけない。決して、気づかれてもいけない。
なぜなら彼女は——俺の、叔母だからだ。

彼女は、大学進学を機に田舎から東京に出てきて、この家で暮らしはじめ、社会人になった今、留守にしがちな両親に代わって俺の面倒を見てくれている。

手洗いと着替えを済ませリビングに戻ると、ソファーにだらしなく座った美鈴さんが数枚の封筒と手紙を差し出してきた。

美鈴

祐介、アンタに手紙きてたわよ

祐介

ああ


受け取った手紙の中に、どこかで見たような封筒を見つけて俺は首をかしげた。

美鈴

どうしたの?

祐介

いや。この封筒に見覚えが……ああ、そうだ。佐藤がもってたラブレターか


そうだ。クラスメイトの佐藤小夏が持っていたラブレター……じゃないんだっけ。

美鈴

うちのクラスの佐藤小夏ちゃん?

祐介

ああ。そうだ。あのちいさくてかわいい子。今朝彼女が持ってた


子供みたいな子、というのが正直なところだけど失礼なので伏せておく。その彼女が持っていたのと全く同じ封筒だった。

美鈴

……小夏ちゃんからのラブレター


ぼそっと、美鈴さんが何かをつぶやいた気がして俺が振り返ると、彼女は、ううん、と首を振り

美鈴

お茶のいれてきてあげるわね


と部屋を後にした。

美鈴さんの所作がなんとなくぎこちない気がしたが、気のせいだろう。とりあえず封筒に戻る。
差出人は書いていない。消印も押されていない。
もしかしたら直接うちのポストに投函されたものかも知れない……直接ポスト……まさか、美鈴さんが?
だから様子がなんかおかしく――

祐介

……んなわけねーよな


封筒を開いた俺は低くうなるような声を出した。そこには、

祐介

思い通りの夢を見る方法

とかいうものが書いてあった。

はぁ、とため息がこぼれる。手紙を開く前に、一瞬、もしかして美鈴さんからのラブレターかも、とあり得ないことを想像してしまった自分が情けない。そんなことあるはずがないのに……。

祐介

はぁ……

美鈴

きゃっ

普段、大概のことでは驚いたりしない彼女の声に、俺は何事か、と驚いた。

祐介

美鈴さん、大丈夫!?

美鈴

大丈夫よ


慌ててキッチンに駆けこんだ俺と、何事もなかったかのように振り返った美鈴さんの足がタイミング良く絡み合い――

祐介

うおっ


ドタドタ、と俺と美鈴さんは倒れた。

祐介

いてて……


目を開けると、吐息がかかるほどの距離に、美鈴さんの顔があった。思わず息をのむ。美鈴さんは、驚いた様子でじっとこちらを見つめていた。その深い色をした瞳を見ていると吸い込まれるような錯覚に陥る。

そのまま瞳に吸い込まれるように顔が近づいて、唇がほんの僅かに触れかけ――バッ

祐介

悪い


唇に触れた吐息に俺は我に返り、慌てて美鈴さんから顔を離し、起き上がろうとして――むにゅ。手に吸い付くようなやわらなかもにょもにょとした感触が走った。むにゅむにゅ、と二、三度感触を確かめるようにして、俺は自分の手が掴んでいるものを見た。

祐介

――! わ、悪い


俺の手が掴んでいたもの。それは、美鈴さんのけしからん乳。

美鈴

まったくもう


動揺する俺を他所にいつもと変わらない調子で美鈴さんは起き上がるとそう答えた。
あまりの柔らかさを体感して、ふにゃふにゃとさっきの感触を無意識のうちに反芻してしまっていた俺の手に、美鈴さんの視線がじっと刺さる。それに気づいた俺は慌てて手の動きを止めて、美鈴さんに声をかけた。

祐介

その、悲鳴が聞こえたから……その、大丈夫?

美鈴

大丈夫。思いのほか、やかんが熱かくて

祐介

やけどしたの!?

美鈴

そこまでじゃないって

祐介

そうか……なら、よかった


ほっと息をつくと、途端襲いかかる気まずさに耐えられず俺は、ぱっと身を翻し、

祐介

じゃあ、俺は戻るから……やかん、気をつけて


そう告げて俺はいそいそとキッチンを後にした。正直なところこれ以上一緒にいたらもう持ちそうになかった。なんかもういろいろと。


リビングに戻った俺が椅子に座り、テーブルに肘をついて額を押さえて気持ちと動悸を落ち着けていると、お茶を煎れた美鈴さんがこちらに戻ってきた。

美鈴

紅茶でよかった?

祐介

ああ、ありがとう


俺は伏せていた顔を上げて、礼を言った。

美鈴

……あのさ

紅茶を注いだ後、美鈴さんは彼女にしては珍しく、少し考えるような顔をして、それからイタズラっぽく笑った。

祐介

なんだ?

紅茶を口へと運びながら、俺は眉をひそめる。彼女がこういう顔をするときは大概、悪巧みを思いついたときだ。
美鈴さんは指先を重ねて身体の前に置いていた手をほどくと、自身の胸元へと持って行き、下からその大きなふたつの水蜜桃を持ち上げるようにして――

美鈴

触ってみる?


ブホッ、と俺は紅茶を吹いた。ゲホゲホと咳き込む。

美鈴

ちょっと祐介、大丈夫?

祐介

あ、ああ……と、突然変なこと言うから


さっと差し出されたタオルを受け取り、口元を拭う。美鈴さんは何事もなかったようにテーブルをきれいにし、紅茶を新しく注ぎ直すと、こちらに差し出した。

祐介

ごほごほ……ありがとう


はぁ、と息をついた俺は、ゆっくりと紅茶をもう一度口に運ぶ。

美鈴

で、触ってみる?


今度は吹かなかった。むせそうになるのをぐっとこらえて、落ち着いて紅茶を飲み込み、ゆっくりとカップを置く。

祐介

美鈴さん、からかうのやめてって


なんでもない風を装って、俺は言った。内心はバクバクだ。いきなり何言いやがるこいつ、と叫びたい気持ちをぐっと抑えて冷静になろうと努める。

美鈴

いやぁ、祐介も、もうそんなお年頃なんだなぁ、と改めて思ってさぁ


美鈴さんはケラケラと笑いながらそう言った。

美鈴

昔は、お風呂入ったりしたときに、よく揉んできたのにねぇ

祐介

み、美鈴さん!

美鈴

そっかぁ。祐介も大きくなったわねぇ


美鈴さんは、少し遠い目をしてそう言った。


その後。自分の部屋に戻った俺は、部屋でひとり悶々としていた。さっきの美鈴さんとの出来事が頭から離れず、落ち着かなかった。

祐介

……やっぱり俺は、甥でしかない


わかっていたことだが、いざ突きつけられるときつい。
美鈴さんは俺が甥っ子だから、あんな無防備な姿を見せるのだ。
だから俺は、決してこの気持ちを伝えてはいけないし、気づかれてもいけない。

祐介

気づかれたら、彼女は俺のことをどう思うだろう?


叔母に対して、こんな気持ちを抱くのはおかしい。そんなことはわかっている。
けれど、言い訳をするならば、彼女は——俺と血が繋がってはいないのだ。

彼女の両親は元々、うちの会社の社員で俺の祖父の側近だった。それで幼い頃から、よく彼女は俺の面倒をみてくれていた。
そのときから、七歳年上のお姉さんで、美人な美鈴さんのことが俺は大好きだった。

しかし、あるとき事情が変わった。

彼女の両親が、会社の金を不正に使い込んでいたのだ。そしてそれが発覚し、彼女の両親は逃げた——誰の手も届かない、あの世へと。
一五才の美鈴さんを残して。

親も財産もなくなり、家も取り上げられ、残ったのは多額の賠償金だけという状況で、彼女のことを引き取ったのは、俺のじいちゃんだった。
身寄りの亡くなった彼女を、養子として迎え入れ、俺たちは家族となった。

最初の数年は、じいちゃんの家に済んでいたが、大学に進学した際、うちが大学のキャンパスに近いという理由で、一緒に暮らしはじめ、現在に至る。

こういうことは、なにも今回が初めてではない。これまでにも何回かあった。以前、バスタオル一枚でベッドにこられたときはやばかった。今回のはその時に比べればマシである。マシなだけで、きついんだけど。

祐介

はぁ……

祐介

もういっそのこと言ってしまおうか


これまでに何度もそう思ったが、結局伝えることは出来ていない。今の関係を壊すのが怖いのだ。

祐介

あ〜〜〜もう!


キングサイズの無駄にでかいベッドの上でじたばたとして悩んでいると、ふとさっきの手紙を思い出した。手紙はリビングに置きっぱなしにしてしまったが、内容は覚えている。

祐介

思い通りの夢、か


確か、方法は簡単だった。適当な紙に見たい夢の内容を書いて、それを封筒に入れて北に置いた枕の下に敷けばいい。
思い通りの夢。俺が見るとしたら、どんな夢だろう。どんな夢をみようか。
起き上がり机に向かってみると、考えるよりも先に手が動いて便箋に文字を連ねていた。

祐介

美鈴さんの甥ではなく、昔のままの関係で、全てをやり直したい


それが俺の夢だった。

祐介

なにやってんだ、俺……こんなもん書いて……はぁ


ボフン、と机の前を離れてベッドに倒れ込む。

今日はこのまま寝てしまおうか、と思い、だが体育の授業で昼間かいた汗にベタつく身体にやはりシャワーだけでも浴びようと決めて起き上がる。

シャワーを浴びながら考える。

今日は美鈴さんと顔を合わせないようにしたが、明日からもこのままと言うわけにはいかない。どうすべきか、と言ってもさっきのことを意識しているのは俺だけで美鈴さんはいつも通りの対応をするに違いないから、こちらもいつも通りに振る舞えばいいのだがそう簡単に割り切れないのが問題で……はぁ。

結局のところいつも通りに振る舞うしかないのだから、これ以上考えても無駄だと俺は結論づけてシャワーを止めた。とりあえず、出来るだけ先延ばしにしようと、今夜は美鈴さんに会わないように気をつけることにする。

彼女に会わないようにと気をつけて部屋に戻った俺は、は? と素っ頓狂な声を出した。

俺のベッドの上で美鈴さんが、彼女の寝間着であろうネグリジェ一枚という格好で眠っていた。
なんだなんだこの状況は……混乱する頭で考える。
だが、考えてみれば混乱するまでもなく理由はひとつしかない。
彼女は俺をからかいに来たのだろう。
しかし、疲れのせいで、俺が戻ってくる前に眠ってしまったのだろう。

祐介

はぁ……

どこまでも叔母でしかない彼女と、甥でしかない自分にため息が出る。
美鈴さんは俺のベッドの上で、穏やかな表情で眠っていた。

美鈴

ん……


美鈴さんがうめき声を上げて寝返りを打った。あふれんばかりのたわわに実った彼女の乳がもにょんと弾む。
うっ、とあまりにも無防備なその姿に、頭がくらりとする。いかん。このままでは理性が持たない。早々に部屋を出て今夜はリビングで過ごそうと決める。

祐介

…………


だけどこのまま部屋を後にするのは惜しかった。美鈴さんの寝顔をもう少しだけ見ていたいと思う……女々しいと言うなら言えばいい。それでも好きな人の寝顔は見たいのだ。

祐介

美鈴さんに布団を掛けてやろう


といういい訳の元、ベッドに乗る。無駄にでかいため周囲にいたら手が届かないのだ。不安定に沈むベッドの上を膝で進み彼女に近づく。

布団を掛けようとした拍子に、美鈴さんがまた寝返りを打った。

祐介


危うく彼女の上に倒れそうになり、なんとかそれだけは回避しながらも、バランスを崩した俺は美鈴さんの隣に寝るように倒れた。

目の前に美鈴さんの顔があった。

ド、ド、ド、と胸が鳴る。

祐介

いけない、離れなきゃ


と思うが、なぜか身体に力が入らない。急速に眠くなる。柔らかいマットレスが二人の体重で沈み、力の入らない身体が転がって自然に顔と顔が近づく。美鈴さんのやわらなか唇が近づいて――

こつん、と俺と美鈴さんのおでこがふれた。唇だけは最後の意志でなんとか阻止した。

ほっ、と息をついた俺の意識が、すー、と遠のいて、俺は夢へと落ちていった。

ふと気がつくと、俺はどこかの庭の片隅に立っていた。

祐介

ここはどこだ? いつ移動したんだっけ


とぼやけた頭で考えて、ああそうだ、と俺は急に理解した。

祐介

これは夢だ

祐介

これはここに越してくる以前、まだ母親が生きていた頃、住んでいた家の庭だ


まだ美鈴さんと家族になる前に、ここで遊んだこともあった。

庭の向こうから声が聞こえてくる。そうだ、この先にはベンチがあってよくそこで母親と遊んだっけ。そんなことを思いだしながら、俺の足は自然と声の方へ向かっていた。

ママ〜、ほら、遊ぼうよ!


そこには少女がいた。小学校低学年ぐらいのショートカットの女の子。女の子は、ベンチに向かって立ち、座っている母親の手を引っ張っていたが、ふと視線に気づいたのか、顔を上げ、ベンチのうしろから歩み寄る俺を見つけた。

パパ!


少女は俺を見て、パッと顔を明るくした。そして少女の前にいた、こちらに背を向けて座っていた女性もこちらを振り返る。
少女がママと呼んだその人は――

祐介

美鈴さん……

美鈴

なぁに、あなた


美鈴さんが、くす、と微笑んだ。
ああ、これはやっぱり俺の夢なんだ、と確信した。そうじゃなきゃ美鈴さんが俺のことを、あなた、なんて呼ぶわけがない。

パパ〜おんぶして!


呆然と立ち尽くす俺のおなかにどん、と抱きついて少女が言った。

美鈴

こ〜ら、美祐

祐介

みゆ?


俺がつぶやくと少女が、ん? と顔を上げ、にぱっと笑った。

祐介

そっか、美鈴と祐介から一字ずつとって美祐か……

我ながらなんと気持ちの悪い夢だろう。
名前まで考えるとは……。

俺は美祐に笑い返すと、しゃがんでおぶった。美鈴さんもベンチから立ち上がり、隣に並ぶと俺の腕をとった。三人で、庭を散歩する。

祐介

これは俺が望んだ夢だ。美鈴さんと主従の関係なくやり直し、夫婦になった未来だ

祐介

でも、夢でもいい。たとえ夢であっても、こんな風に過ごせるなら。美鈴さんがこんな風に笑って、俺のことを心から愛してくれていて、俺たちの子供とこんな風に過ごせるなら――

祐介

美祐、寝ちゃったな


庭を散歩するうちに、いつの間にか寝てしまった美祐を俺はそっとベンチに寝かせた。

美鈴

はしゃいで疲れちゃったのね


美鈴さんは美祐の頭を膝枕しながら優しく撫でて微笑んだ。二人で並んでベンチに腰掛けて、黙ったまま庭を眺める。心地良い沈黙が流れた。

祐介

幸せだな

美鈴

幸せね


不意に発した二人の声が重なった。お互いに顔を見合わせてくすりと笑う。

美鈴

私は今、本当に幸せ


美鈴さんが、つぶやいた。

美鈴

たとえこれが夢であっても。現実ではあなたとこんな風に結ばれることはないとわかっていても……たとえあなたが私が望んだ、夢のあなたであっても

祐介

何を言って……


突然の美鈴さんの言葉に、俺はこれが夢であったことを思い出す。

美鈴

ううん、いいの。気にしないで


美鈴さんは、美祐の頭をそっとベンチに置くと立ち上がり数歩離れて俺の前に立った。心を落ち着けるように胸に手を当てて深呼吸をして、美鈴さんは微笑む。

美鈴

私はあなたが好き。ずっとずっと好きでした。これからも、たぶん、ずっと、あなたが好き。あなたが私を叔母としか思っていなくても……私は、あなたが好きです


美鈴さんの目からぽろり、と涙がこぼれた。

美鈴

そうじゃなきゃ、いくら甥っ子相手だって、胸を触らせたりはしないわよ?


あなたはわかってないみたいだったけど、と美鈴さんはいたずらっぽく笑った。

祐介

まて、まて……これは、なんだ? これは俺の夢、だよな?


この夢は俺にとって都合がいい。美鈴さんは見たことない表情をしているし、俺のことを本心から好きだなんて、こんなに都合のいいこと他にあるもんか。これが夢じゃないなんてとても俺には思えない。

祐介

でも、でも……おかしい


俺は美鈴さんと、彼女が叔母にならず、俺と仲良く一緒に遊んでいたころのままやり直した夢を望んだはずだ。それなのに彼女はなぜ、叔母であるようなセリフを――

――チョキン。

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