三 大崎亜紀
三 大崎亜紀
私――大崎亜紀は呪われた子どもだった。
私が生まれると同時に祖父が病気で亡くなり、私を生んだときに身体をこわした母親も病気がちになって、いろいろと悪いことが重なった。
それらは全て、私が呪われた子だから起こったと、祖母は罵った。
おまえと関わった人間は死んでいく
当たり前の話だけれど、別に私は呪われてなんかない。だけど、そういう噂はすぐに広がる。
私は家でも学校でもひとりぼっちだった。
そんなとき、同じクラスになった隣の席の女の子。彼女は私のうわさとか評判とか、そういったものを一切気にせず話しかけてきた。
ねえねえ、呪われてる、ってほんと?
アホだと思った。バカだと思った。周りはひそひそとうわさ話をしたり、遠巻きに気味悪がっても、直接私にそんなことを言うことはない。
みんな、呪いを恐れている。今もそう。他のクラスメイトはこっちをひそひそと伺っている。
それなのにその子はそんなことまったく考えておらず、ただ好奇心だけから私に話しかけてきた。
目を輝かせて、ワクワクと顔に書いて。
私は脳天気に笑顔を見せるその子にイラっときて、ビビらせてやろうと思った。
ええ、そうよ。あなたも呪い殺してあげましょうか
くすり、と微笑んで私はそう言った。
周囲で私と彼女の様子を伺っていたクラスメイトの表情が、恐怖の色に染まっていた。
フン、馬鹿な連中
と私はそいつらを鼻で笑った。我ながら嫌なヤツだと思う。
ホント!? やってやって!
ただ、肝心の相手には伝わらなかったらしい。彼女は私の言葉によりいっそう興味を抱いたようだった。
バカね、嘘に決まってるじゃない
なぁんだ
彼女はがっかりしたように肩を落とした。
でも、それなら亜紀ちゃんは普通の子なんだ! 怖がって損しちゃった
亜紀ちゃん、と彼女は私の名前を呼んだ。ちゃんと私の名前を。
クラスメイトはおろか、家族ですら「おい」とか「ねえ」としか呼ばない、私の名前を。
あなた……
小夏!
え?
私、佐藤小夏! よろしくね、亜紀ちゃん!
覚えてる。オレンジだ。そのときの彼女からした匂い。オレンジよりも酸味の強い、檸檬みたいな――そう、彼女の名前と果物である、『小夏』の匂い。
あれ……? 亜紀ちゃん? どうして泣いて――
バッカじゃない
私は横を向いて、小夏から顔をそらしてぐっとこらえて言った。
泣いてないわ
え? え? でも、えー?
首をかしげる彼女から顔を背けたまま、私はそっと目尻を拭った。それから呼吸を落ち着けて振り返り、小夏を正面から見据えた。
よろしくね……小夏
その日から、私と小夏は友達になった。
それまでひとりぼっちだった私に出来た、はじめての友達。
ちゃんと私のことを名前で呼んでくれて、ビクビクせずに接してくれる、友達。
私を助けてくれたのは小夏だった。
本人には絶対言わないけど、とても感謝している。
そんな、私の大切な友人。佐藤小夏。
彼女が意識を失って、目覚めなくなってから――六日。
五日前。彼女が学校を最初に休んだ日は、風邪か体調不良だと思って深く気にもとめなかった。
送ったメールに返信がなかったのも、寝ているのだと思った。
でもそれから二日、三日と休みメールの返信も来ず、不審に思った私は小夏の家を訪ねた。
小夏は眠っていた。病院のベッドで。
六日前の夜、いつものように眠ったきり、ずっと眠り続けているという。
彼女の母親が医師に聞いた話では、身体にはなにも異常はないらしい。
同時に、小夏のように眠り続ける人が全国で多発し、ニュースで報道されていた。
彼らはみな原因不明のまま眠り続けていた。
うちの学校でも数人が同じ状態らしい。
――どうして、こんなことが?
わからない。呪われた子、なんて呼ばれてきた私だけど、特別な力は持っていない。
もしも持っていたら、どうにかする術もあったかもしれないけど……
はぁ……
小夏との面会を終えて、病室を後にした私は寝不足気味のため息をついた。
本当ならずっと小夏のそばにいたいところだけど、そういうわけにもいかない。
――どうしたら、小夏は目を覚ます?
ずっと考えていたけど、わからない。情報が少なすぎてどうしようもなかった。
はぁ……ふぁぁ
きゃっ
後ろから来た人とぶつかり私はよろめいて、床に膝をついた。
私とぶつかった相手もふらっとよろけ――ぐしゃり、と床に顔から倒れ込んだ。
ちょ、ちょっと! 大丈夫ですか!?
私は倒れた人に慌てて駆け寄って、そこで相手が知り合いだということに気づいた。
榊!?
ん……あ、ああ……大崎
きゃっ
そう言ってのそりと身体を起こした榊の顔を見て、私は思わず悲鳴を上げた。
ぶつかって……悪い……へいきか?
そう言った榊の目はうつろで、頬はげっそりとやせこけ、目元には大きな隈ができていた。まるでもうずっと眠っていないかのように、榊は衰弱していた。
平気か、じゃないわよ! あんたこそ、大丈夫!? ほら、しっかりしなさい!
ああ……大丈夫だ。もう、戻らないと
そう言うと榊はふらつきながら立ち上がり、よろよろと歩こうとしてガクッと膝が折れて床にまた倒れた。
榊祐介。私の嫌いな男子、ナンバーワン。いつも仏頂面で感情の起伏に乏しくて、言葉も少なくて、何考えてんのかよくわかんなくて……小夏の好きな相手。
何が……あったの?
私の問いかけに榊は黙ったまま立ち上がろうとした。けれど、力が入らず上手く立ち上がれないでいる彼の襟首をひっつかんで私は榊に問いただした。
ねえ、答えなさいよ!
……目を、覚まさないんだ
え?
美鈴さんが……眠ったまま……起きないんだ
視線を落とし、うなだれるように榊はつぶやいた。
美鈴さん、というのが誰かわからないが、榊の態度からおそらく家族や恋人と思われた。それよりも、だ。
その美鈴、って人も目を覚まさないんだ……
私の言葉に榊が顔を上げた。
も、って……
小夏もよ
そっか、佐藤が……俺、学校行ってないから……知らなかった
悪い、とうなだれる榊に苛つくが他人のことは言えない。榊が学校に来ていないことに今まで気づかなかった。
いつから?
……五日前の朝、俺が起きたとき、美鈴さんが隣で寝てて、それからずっと起きなくて
隣で寝てて、という言葉にドキッとする。どうやら小夏の恋は叶いそうにないらしい。でも、それはともかく――
もしかして、あんた六日間寝てないの?
……寝れるかよ
榊はうつろな目を私に向けた。
医者は、寝てるだけだって言うけど……でも……
その気持ちは痛いほど分かった。
ねえ、榊。あんた、今回のことになにか思い当たる原因はない? なんでもいいのよ。どんな小さな事でもいいの。六日前、何か無かった?
私の言葉に榊は、ハッと薄く笑う。
そんなもの……もう嫌ってほど考えたさ! けど、なんにも――!
榊が何かを思い出したように、表情を変えた。
佐藤が持ってた、封筒
榊はそうつぶやいた。
うちにも同じのが届いてた……好きな夢が見れる、っていう手紙が
そう言いながら、榊は痛そうに頭を押さえた。
ちょっと、大丈夫!?
そう言いながら私は、そういえば、確かに小夏はそんなのを持っていたことを思い出した……まさか、あれが?
ねえ、それで? その手紙の内容、試したの?
私は頭を押さえてうつむいた榊に問いかけた。
ねえ、榊!
……ああ
問い詰める私に、やっとといった様子で榊は答える。
試した、はず……なんだけど
どうしたの? ちょっと、榊!
うめいて榊が膝をついて背を丸めた。
ちょっと榊? 大丈夫?
そうだ! あの夢は……
そうつぶやく榊の身体から力が抜け、榊はそのまま意識を失った。
ちょっと、榊!? 榊っ! 誰か! 助けてください!
私が大声を上げると、駆けつけた看護婦や医師によって、榊はそのまま病室に運ばれた。
医者の話によると、榊が倒れた原因は疲労と睡眠不足で命に別状はないとのことだった。
……
原因は——たぶん、わかった。
どんな理屈か知らないけどあの手紙が元凶だ。見たい夢を見せる、という手紙。
その手紙に従って、見たい夢を書いた手紙を封筒に入れて枕の下に敷いて、北枕で寝ると、眠ったまま起きないらしい。
普通だったらこんな話、信じないかも知れない。けど、私は呪われた子。オカルトだろうと何だろうと信じてやる。大事な友達を助けるためならなんだってしてやる。
……
とにかく、その手紙を手に入れなくては。話はそれからだ。
そう意気込んで家に帰ると、ポストにその手紙が届いていた。
あまりにも都合良く届いた手紙に、喜びよりも不安を抱く。「親展」という言葉と共に私宛に届いた手紙。これは挑戦状だ。
封筒を開けると、中身は以前小夏に見せてもらったのと同じ手紙が入っていた。そして、小夏のにはなかった、未使用の便箋が一枚。それは、私にかかってこい、と言っているようだった。
――上等よ。やってやろうじゃない。
たとえその結果どうなろうと、このまま引き下がってなんてやらない。この手紙の主に、一矢でも報いなければ気が済まない。
私は、便箋に筆を走らせた。見たい夢は決まっている。
『手紙を送りつけているやつを一発ぶん殴って、小夏とみんなの魂を取り戻す』
小夏の、と書きかけて、私は慌てて「みんな」を足した。小夏以外の人が目覚めなかったら寝覚めが悪い。
よし
枕の下に手紙を入れた封筒を敷いた。
準備は整った。まだ夕方6時で眠るには早い時間だが、そんなことは関係ない。
深く、深く、深呼吸。
私はベッドに入り、枕に頭をゆっくりと乗せる。その途端、すぅぅ、と意識が遠のいて、私は夢へと吸い込まれていった。
気がつくと、私は変な空間にいた。真っ白な床に、半透明のドーム状の空間だ。
そこには無数の風船がたゆたっていた。赤、青、オレンジ、黄色、水色、紫、黒……色も、大きさもバラバラな風船が、そこら中にあった。手近にあったオレンジ色の風船に手を伸ばす。小夏のイメージに似たその風船をなんとなくのぞき込んだ私は息をのんだ。
これは――!
その風船の中に小夏がいた。小夏が、榊と向かい合っている。多分……告白しているのだろう。
同じように他の風船を見ると、それぞれの風船にも誰かがいた。そこに写る光景に、私はこれがなにか気づいた。
これは眠り続けている人たちの夢だ。彼らの見ている夢がここには詰まっている。
ふと、視線を感じた。ドームの外に誰かが立っていて、こちらをのぞき込んでいた。
アンタが、手紙を送ってきたヤツね
声が届いているのかいないのか、そいつは、ただ立ったままこちらをじっと見ていた。
こっちに来なさいよ! 一発ぶん殴らせろ!
私の言葉に、ドームの向こうの人物が嗤うのが分かった。
その瞬間、私は悟った。
違う、ここはドームの中じゃない。ここは——
風船の、中……!
くそぉぉぉぉぉ!
叫んだ。
返してよ!
殴る。壁越しに、向こうにいる手紙の主を、ぶん殴る。
返しなさいよ!
小夏を……! みんなを……!
一際強く拳を握って、私は思いっきり振り下ろした。
返せええええ!!
思いを込めて全力で殴ったけど、やっぱり壁はびくともしなくて。
手紙の主が、こちらに手を伸ばした。
ああ、私もこのまま眠り続けるんだ、と悟った。
ごめんね、小夏。ごめんね、ごめん――
――チョキン