僕は強くなりたかった。あの子のために。
だから、やる、って決めたんだ。

一、佐藤小夏(さとうこなつ)

朝、学校に行く前に家のポストを空けたら封筒が入ってた。宛名に、佐藤小夏様、と書かれたそれを見て、私は首をかしげた。

小夏

私宛? なんだろ?

DMかな、とも思ったけど、それにしてはやたらと凝った装丁の封筒だし、そもそもこんな朝早くに郵便屋さんはこないだろうから……まさか、と思う。

小夏

——まさか、ラブレター!?

まさかまさか、あの人から……と自然に緩む頬を自覚しながら、封筒をいそいそと開けてみる。

小夏

これは……!

中から出てきた一枚の便箋。そこに書かれていたのは。

小夏

あなたの好きな夢、見せます?

~便箋に見たい夢の内容を書いて、この封筒に入れたら枕の下に置いて寝てねください。たったそれだけで、貴方の見たい夢を見ることが出来ます!~

小夏

な~んだ、いたずらか

はぁ、とため息をついて封筒ごと破り捨てようとしたけど、友達との話のタネにはちょうどいっか、と思い直してポケットに突っ込んだ。
ステンレス製のポストに、ぼやけて映る自分を見て、髪型をチェック。よし、オッケー。時計を確認、

小夏

やばっ、遅刻する!

私は大慌てで学校へと向かった。

小夏

おっはよー!

教室のドアを開けながら大きな声でクラス中に挨拶。元気だけが取り柄の私が心がけていること。
数人が笑いながら挨拶を返してくれる。
そんな中を小走りに私は一人の女の子に駆け寄った。

小夏

みてみて、亜紀(あき)!

大崎亜紀(おおさきあき)、朝から教科書なんてものを読んでいる、日本人形みたいな黒髪の女の子——私の親友。
彼女は私の声に、うるさそうに顔を上げた。

亜紀

なによ? 朝っぱら大きな声で

小夏

じゃっじゃ~ん! ほら、これ!

亜紀

え……そ、それは……もしかして!

小夏

そう、そのまさか!

亜紀

ネクロノミコンの紙片!?

小夏

ちっが~う! そこは『ラブレター!?』でしょ、普通! なによ、その『根暗な未婚の詩編』って。めちゃくちゃ重いじゃん

亜紀

ネクロノミコンの紙片よ。ネクロノミコン、っていうのはラヴクラフトが作った——

小夏

あ~はいはい、わかったわかった。それよりもこれよ、これ!

手紙をずいと押しつけると、亜紀は、ふん、と不機嫌そうな顔をしていった。

亜紀

やめときなさい

小夏

なによ~、まだなにも言ってないじゃない

亜紀

小夏みたいなツルペタロリにラブレターなんて送ってくるヤツは変態に決まってるんだから、やめときなさい、って言ってるの

まじめな顔をしてそう告げ、亜紀は私の胸をちょんと突いた。

小夏

つ、つ、ツルペタっていうな~!

もう! と、怒って手を振り上げた瞬間――ゴツン。グーを握った手が、私の背後の何かに、ぶつかった。

祐介

痛ってぇ……

聞き覚えのある声に、恐る恐る振り返る。

祐介

……佐藤、おはよう

拳の当たった鼻っ面を押さえ仏頂面でそう言った人物に私は目を白黒させた。そこにいたのは、クラスメイトの男の子――

小夏

さ、榊(さかき)くん……!!

悲鳴に似た声を私は上げていた。

ど、どうしようどうしよう、なんでなんで、どうして!? どうして、よりによって、よりによって榊くんに……!? じゃなくて――

小夏

ご、ご、ごめんね!? 榊くん、頭大丈夫!?

亜紀

それだと、榊の頭が悪い、みたいに聞こえるわよね

小夏

あ、亜紀!?

なんてことを言うんだ、この! とにらんだ私からしれっと亜紀は視線をそらした。

祐介

いや、大丈夫。それより、これ。落としたぞ

小夏

落としていた封筒を榊くんが拾った。

亜紀

あら、小夏のもらったラブレター

小夏

え! いや、その

祐介

へぇ、佐藤、モテるんだな

小夏

ち、違うのっ!!

感心したように言った榊くんのその言葉に、私は思わず叫んでいた。榊くんが突然の大声に驚いたように目を丸くする。クラスメイトの視線も私に集まった。

小夏

あ……

好奇の視線に、身体がぎゅっと縮まる。やだ、どうしよう、どうしよう、みんなに注目されて――ポコン

小夏

ふぇっ

テンパる私の頭を、丸めた教科書でポコンと亜紀が叩いた。

亜紀

まったくもう、お子様ねえ、なにお世辞を真に受けて騒いでんのよ。ペド

小夏

ぺ、ぺ、ペド!? お願い、せめてロリにして!

思わず私は亜紀に突っ込んだ。そんな私たちのやりとりに、クラスメイトの興味も薄くなる。

亜紀

はいはい、そんなことよりも、勉強しなくていいの? 一時間目、小テストよ?

その言葉で、クラスメイトの視線は完全に私から逸れた。

小テストだっけ?聞いてないよ~

でも、なんか言われたらそんな気がしてきた……

みんなが一斉に勉強をはじめた。

祐介

すっかり忘れてた。ありがとな、大崎

じゃあな、と榊くんは自分の席へと戻っていった。うん、またね、と遠ざかる榊くんには聞こえないであろう返事をしながら、私は彼を見つめる。

亜紀

…………

小夏

な、なによ

亜紀

別っつにぃ

絶対に別になんて思ってないくせに、そう言った亜紀は、教科書を閉じるとこちらに身を乗り出した。

亜紀

で、それ、なんなのよ? ラブレターじゃないんでしょ?

小夏

小テストの勉強は?

亜紀

あんなの嘘に決まってるじゃない

しれっと言ってのける亜紀に、私は言葉もない。なんて女なんだろう。クラスメイト全員を巻き込む嘘をあんな平然とつくなんて……!

一番の親友と言ってもいい少女の腹黒さに戦慄しつつ、でも私は感謝をしていた。彼女があんな嘘をついたのは私を助けてくれるためだとわかっているから。

亜紀

ほら、で、それはなんなのよ

小夏

そうそう! あのね、朝ポストに入ってたんだけど、これ

私が広げた手紙を見た亜紀は、眉間にしわ寄せた。

亜紀

なによこれ……好きな夢、見せます?

はぁ、と亜紀は盛大なため息をついた。

亜紀

くっだらない。おおかた、近所の子どものいたずらでしょ。まさか……信じたの?

小夏

まさか! それは流石にないって! けど……

亜紀

夢の中で榊とつきあったって、どうしようもないと思うけど?

小夏

――!!

亜紀

なんでそれを、なんて今更なこと言わないでよ? 見てりゃわかるっての

目を白黒させた私に亜紀はあきれたようにため息をついた。

亜紀

それにしても、榊ねえ……まぁ、悪いとは言わないけどさ。なんであんな愛想のないヤツを?

小夏

…………

亜紀

ま、いいけど

うつむいて黙り込んだ私から視線を外し、話は終わりとばかりに亜紀は教科書を開いた。

亜紀

ほら、小夏も席に着きなさい。ホームルーム始まるわよ

小夏

う、うん

私は亜紀に促されて席に戻った。

その日の夜。

小夏

はぁ……

私はひとり自分の部屋でため息をついた。アイスを口にくわえ、手には封筒を持って、回転椅子に座りぐるぐると回転する。

今日の私は一日中、ぼんやりとしていた。亜紀に榊くんへの思いがバレてたことの驚きとか、そういったことがうずまいてぼんやりとしていた。

小夏

――そう。私は、榊くんのことがすき。


あれは去年の冬、まだ私が中学生で、この高校に入学する前のことだった。通学の電車の中で痴漢にあった。

生まれて初めての痴漢で、私は恐怖で何も出来なかった。最初は恐る恐るといった様子で尻を撫で回していた手は徐々に大胆になって、スカートの中に入ってきて――

祐介

おい、おっさん。なにやってんだ

そう言って助けてくれた人がいた。同年代の男の子。

その声に驚いて、慌てて逃げようとした痴漢と男の子は満員電車の中でもみ合いになって、タイミング良く開いたドアからホームへと転げ出た。

小夏

集まってきた野次馬と視線に、私は怖くなってその場から脱兎のごとく逃げ出した。

被害者である私が逃げたらその男の子が困るとか、そういったことはまったく思いつかなかった。
それに気づいたのはもっと後のこと。

そのときは、生まれて初めてあってしまった痴漢と、視線の恐怖が私を締め付けていた。

で、そんなことがあってからしばらくて、この高校に入学した私は、新入生の中にあの男の子を見つけた。

それが、榊くんだった。

小夏

一年の時は違うクラスで、たまに校内で見かける彼から身を隠すようにしながらも、視線で追っていた。

今年、同じクラスになって、彼と初めて言葉を交わしたときは、怖かった。

あのときのことを覚えているんじゃないかとか、だとしたら逃げたことを責められるんじゃないかとか……でも、彼は気づかなかった。

私の事なんてまったく覚えてなかった。そのことにほっとしながら、だけどどこかで私は残念にも思っていた。

それからだ、私が榊くんを意識しだしたのは。

最初はあのとき逃げた罪悪感とか、助けてくれたお礼を伝えたいとか、そんな思いを抱えながらずっと榊くんのことを見ていて、少しずつ会話を交わすようになって……気づいたら、好きになっていた。

いっつも無表情で、言葉数も多くないし、ぶっきらぼうだけど、でもどこか丁寧で、やさしい。

どうして、とか、どこが、とか聞かれても上手く答えられないけど、私は榊くんがすき。

告白をしないのか、と問われれば、したい。けど、怖くて無理。
もしもふられたら……ううん、それ以前に、異性として意識すらされていなかったら。

そう思うと、とうてい出来ない。

もてあそんでいた封筒から手紙を取り出す。

小夏

…………

私はもう一度、手紙に目を通した。

信じてるわけじゃない。別に、夢が見れたからどうってわけでもない。でも――

小夏

なにしてるんだろう、私

気づいたら『榊くんに告白する』と書かれた紙が私の手の中にあった。

無意識のうちに書いてしまったそれを見つめて私はため息をつく。

いくら望み通りに行ったって、ただの夢。それはわかってる。だけど……

小夏

試すぐらいは、いいよね

そう思ってしまう自分がいた。

そう……予行演習、だ。

もしもこれで、書いたとおりの夢を見て、夢の中で告白できたら、ちゃんと現実で榊くんに告白する。

小夏

よし

榊くんに告白する。

そう書いた紙を、封筒にしまった。

小夏

……おやすみなさい

私は、封筒を枕の下に敷いて電気を消した。

寝付けるかどうかを心配していたけど、私はすとんと不思議なくらい簡単に、恐ろしいほど急速に眠りに――夢へと落ちていった。

——チョキン

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