ーー仏像を手放してから
まもなく、私たち母子は
あまくに島を出た

半年いるかいないか位の
ごく短い滞在期間だった

だけど私にとっては人生で
最も印象深い土地となった

たとえ、外に出られたのが
たった一度だけであっても

あまくにでの生活を凪に例える
としたら、それ以降は大時化に
翻弄されるような日々であった

十代半ばまでどうにか生き延びられた
私は母と何度も何度も衝突し、その度
に安アパートを飛び出した

おまわりさんが介入してきたり、施設
に預けられそうになったこともあるが
逃げ回り、そのうち本格的に帰らなく
なっていったーー

学はなく、戸籍すらない娘が生きていく
ためには、お定まりのコースを歩むしか
なく

でもーー非合法バリバリの店で偽物とは
いえ戸籍を用意してもらえた時はさすが
に嬉しかった。これで自分もやっと人間
になれたと思えた

戸籍と引き換えの借金返済が地獄では
あったけど、その最中にいくつか恋も
した

家事を覚え、料理を習い、気分だけは
良妻だったが最後は必ず捨てられた

ゴキブリはいくら頑張ってもゴキブリ
のままなのだと思い知らされる

ある日ふっと、これまでにない死への
衝動が湧き上がってきたので、ならば
死ぬしかないと覚悟を決めてまわりを
整えてから家を出た

死に場所を求めてどのくらい彷徨って
いただろうか

我に返ると、なつかしのあまくに島に
唯一到着するフェリー乗り場の片隅で
ひざを抱えていた

……ああ、そうか……

まだ死ねない……まだ

あのおっかなそうなおじさん
からじーじの仏像を取り返す
までは死ねない

生と死の狭間で葛藤しているうちに
最終便は出てしまい、海沿い特有の
潮臭い寒さが襲ってくる

財布の中には、あと乗船チケット分
しか残っていない。現ナマはここへ
来るまでに使い果たし、属していた
売春組織に繋がるカード類はすべて
置いてきた

このままここで凍死かぁ
……自分はよくても……乗り場
の人には迷惑かけちゃうな

そこの君、大丈夫?
ーーなわけはないか

それが天道稀馬様との
出会いであった

はじめは正直「何だこのデブ。こんな
気分の時にナンパなんて仕掛けてくる
んじゃねーよ」程度にしか思えず

無視しても無視しても寄ってくる夏の
虫のようでうざったかった

ーーところがーー

どれだけつっけんどんな態度を
とろうとも、彼は不屈の精神で
諦めなかった

私同様、最終便に乗り遅れて、
こちらの親戚の家にでもひと晩
厄介になろうと考えていた矢先
に、明らかに尋常でない雰囲気
の小娘を見つけてしまい、人の
好い稀馬様はつい見過ごせなく
なってしまったのだ

はねつけられるたびに一旦場を離れ
戻ってくるごとに缶飲料だのホット
スナックだのを持ってきて、こちら
を餌付けする気満々なのには思わず
笑ってしまった

島には自分が他にも世話している
外部からの働き手や地域猫もいる
から(猫は確かに魅力的だった!)
君さえ良ければ、住み込みで働く
場所を紹介させて欲しい

ーーと、見るからに事情持ちの女
への説得を続け、気が付けばもう
夜明けを迎えていた

朝イチのフェリーが出航する時間
もまもなくだ

……わかった

女もようやく首を縦に振る

仏像を取り戻すには島民の
助力を得たほうがなにかと
有利だろうと判断したため


……まだその段階では稀馬様
が例のおじさんの関係者で
あるとはつゆも知らずに

ただし、アンタと一緒
じゃないと嫌だ
どうせなら、アンタの
うちにでも世話してよ

ただし、過去や身元の
追及は一切ナシで
少しでも詮索されたら
ソッコーで消えるから

ウワサ好きな田舎モンに
下手に探られたくはない

自分がじつは丘山の出と
打ち明けてしまったのも
マズかったかと後悔した
くらいだ

…………。
了解。では君には我が家
で働いてもらおうか

……マジ?
……いいの?

もちろん

また男のテキトーな口約束かよ
と、からかってやるつもりで口
にしただけなのに

稀馬様は快諾してくれた

そのキレイですがすがしい対応
が今まで生きてきた世界と雲泥
の差に思えて嬉しかった

ーーまぶしかった

そういえば自己紹介が
今更ながらにおたがい
まだだったね
俺は天道稀馬です

あたしは……

大金で買ったいつわりの
姓名を名乗るべきだった
のだろうが

自然と口から出たのは、
じーじの苗字とじーじが
与えてくれた名前だった

……崎山……千代
一応そう名乗って
おくよ

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