ドアが閉まると、部室が静かになった。
今日のトレーニングメニューは
こんな感じで行こうと
思ってんだけど
ええ……
これでいいと思います
(裕貴さんと珠來が
普通に話してるだけでも、
すごく気になってしまう)
(はあ……。
嫉妬ばっかして
見苦しいな俺)
んじゃ、
先にテニスコートに行って
準備してるから
はい、私も後から行きます
ドアが閉まると、部室が静かになった。
あれ? 他の部員は?
さあ?
みんなテニスコートに
行ったんじゃないの?
(それじゃあ……
今、俺と珠來の二人っきり
ってことか?)
み、珠來は行かなくても
いいのか?
私は……
まだ残ってる
なんで?
陽太に聞きたいことが
あるから
俺に聞きたいこと?
目が合ってしまい、
珠來は気まずそうにして窓辺に移動した。
それから珠來は、ずっと窓の外を眺めたまま
こちらを見ようとしない。
声をかけようとすると、
珠來の肩が震えていることに気づいた。
(珠來の様子がおかしい……。
一体、どうしたんだ?)
なぜだかわからないが、
不安で胸の鼓動がおさまらない。
早く珠來に喋って欲しいような、
このままずっと黙っていて欲しいような……
そんな気持ちで心が揺れていた。
本当は……
日下部さんから、
全部聞いてるんでしょ?
な、何をだよ
私が足を怪我したとき、
成瀬先輩と一緒にいた
っていうことよ……
(確かに、合宿の夜……
苺香ちゃんは言っていた)
(服が乱れた珠來と一緒に、
裕貴さんが草むらから
出て来たっていうことを)
(でも、今まで黙ってたのに
なんで急にその話をしてんだ?)
ねえ、どうして黙るの?
答えてよ
じゃあ、俺からも質問だが……
どうして俺が、苺香ちゃんから
そう聞いたと思ったんだ?
だって……最近のアンタ、
私と成瀬先輩が話してるとこ
ずっと見てるじゃない
バレてたのか……
あんなに見られてたら
普通は気づくわよ
じゃあ、この際だから全部話す。
合宿の夜に、珠來が裕貴さんの
前で泣いてる所を見てたんだ
……私の後、つけてたの?
そんなんじゃない、
偶然見ちまっただけだ……
その時に、
苺香ちゃんから全部聞いた。
珠來が草むらから出てきた時に、
裕貴さんも一緒だったってこと
そう、やっぱり……
その時の珠來は窓の外を眺めていたから、
表情がよく読めなかった。
一つだけ言っておくけど、
私と裕貴さんは付き合ってるとか、
そういうのじゃないから
え……
成瀬先輩は彼氏っていうよりも
お兄さんって感じだし、
話しやすい先輩……
としか、思ってないから
待てよ。
だったらどうして、草むらから
出てきた時に服が乱れてたんだ?
日下部さん……
そんなことまで……
だから、全部聞いたって
言っただろ?
本当ならこのことに
触れるべきじゃない……
そう思ってた
でも、俺にとって……
いや、何よりもお前にとって、
大事なことだから確かめたいんだ
たっ……確かめるって、
何をよ?
二人が付き合って
ないんだとしたら、
裕貴さんが無理やり……
違うのっっ!!
珠來が、悲痛な叫び声をあげた。
本当は……陽太にだけは、
知られたくなかったけど……
うぅっ、ぐすっ……
珠來……?
泣いてるのか?
あの頃は、
車で出迎えなんてして
もらってなかったの
だから、部活の帰りに
一人で歩いてたら……
暗がりで知らない男に捕まって、
草むらで……
それで、通りかかった成瀬先輩が
助けてくれて……
何を……
言ってるんだ……?
成瀬先輩は、誰にも言わないから
忘れろって言った。
だけど、忘れられるわけ
ないじゃない!
本当は成瀬先輩に
感謝しなくちゃいけないのに、
忘れろって言われたことも
辛くて、悲しくて……
私……
どうしたらいいのか
わからない……
本当は、珠來の涙の意味をすぐに理解していた。
……でも、理解したくはなかった。
珠來にかける言葉が見つからず、
せめて震える肩を抱きしめようとすると……。
珠來の身体がびくっと反応して、
俺の手をさけるように後ろへ下がった。
あっ……
呆然としているのは、珠來も一緒だった。
(まさか、無意識によけたのか?
裕貴さんには触れさせたのに、
どうして……?)
そのまま二人で動けずにいると、
しばらくしてから珠來が立ち上がった。
触らないで……。
陽太が知ってる、
昔の私とは違うんだから!
私……島にいた頃に、
戻りたい……
最後にそう言い残し、
珠來は部室を出て行ってしまった。
珠來……
その時、なぜか……
珠來を追いかける事はできなかった。
おいっ、陽太!
何ボーッとしてんだ?
裕貴さんの声で、現実に引き戻された。
あ、いえ……すみません。
珠來、ここに来ませんでしたか?
さあ、見てないな。
帰ったんじゃないのか?
そうですか……
お前ら、俺が出て行った後に
部室でケンカしただろ?
い、いや。
そんなんじゃないですよ
ホントか~?
まあ、お前らのことに
余計な口は出さないけどさ
はあ……
なんだなんだ、暗いぜ?
そんなんじゃ
俺を超えられないぞ!
そう言われても……。
最初から裕貴さんを
超えようなんて思ってませんよ
なっさけねぇなぁ~。
そんな事でどうすんだよ。
来年はお前ら2年生が、
部を引っ張って行くんだからな
根性叩き直してやるぜ。
今から特訓だ!
は、はい……
家に帰って来てからも、
部室で珠來に打ち明けられたことが
頭を離れなかった。
(まさか珠來が、そんな……
知らない男に
襲われたなんて……)
ふと、苺香ちゃんに最初に話を聞いた時、
草むらで拾ったパンティが目に入った。
(このパンティ、
珠來のブラと同じ柄だった……)
(珠來にあんな事が
あったなんて知らずに、
軽々しく拾っちまうなんて……
俺って、なんてバカなんだ)
どうした……?
胸が痛むのか?
痛むなんてもんじゃねえよ。
胸が張り裂けそうだ……
そうか……。
それほど珠來の存在が
大きくなっているのじゃな
華胡……。
俺はどうしたらいいんだよ
簡単なことじゃ。
そのままの珠來を
好きになってやればいい
そんな事はわかってる!
だけど、俺って最低だ……
珠來の心と身体が
傷つけられたことを、
受け止められる自信が無くて……
そうか……。
簡単と言ってしまって、
悪かった
これならまだ、
珠來が裕貴さんと付き合ってた方が
良かったのかもしれないな
おぬし、本気で
そう思っておるのか?
いくらなんでも、
それでは珠來が……
俺の気持ちなんか
どうだっていいんだよ!
これじゃあ珠來が、可哀想だ!
珠來が他の男を好きでも、
珠來が笑ってくれた方が……
どんなに良かったかと思うと……
陽太……。
おぬし、
そこまで珠來のことを……
華胡は一呼吸置いて、
優しい口調で話し始めた。
傷ついた人間というのは、
他人に優しくされたい半面……
同情されたくないという
気持ちもあるものじゃ
他者から対等に
扱われなくなったとき、
余計に自尊心が傷つくからな
……じゃあ、
俺が珠來にしてやれる事って
なんなんだ?
そうじゃな……
珠來が笑ってるときには
一緒に笑い、
悲しんでいるときには
一緒に悲しむ
珠來がただ、
愚痴を聞いて欲しいだけ
だった場合には、
余分な助言をしたり、
話を変えたりせずに、
ただうなづいて話を聞く……
それだけでいいのじゃ
でも、それって
俺じゃなくても
できることじゃないか
おぬしでなくては
いかんのじゃ。
少なくとも、珠來はな
俺には荷が重過ぎるよ……。
珠來の近くにいると、
更に傷つけるかもしれねぇ
こんな気持ちのままじゃ、
ただうなづいて話を聞くこと
なんかできねぇよ!
おぬしが珠來を思う故に、
珠來の身に起こった事を
受け止めきれない気持ちもわかる
じゃが、珠來の気持ちに
なってやってくれ
例え消えない傷が残っても、
その傷痕(きずあと)も含めて
全部、自分なのじゃから
傷痕も愛して欲しいと、
わらわならば思うじゃろう
…………
それ以上はもう、華胡は喋らなかった。
(俺だって、珠來の全部を
受け止めてやりたいと思ってる)
(でも、珠來の気持ちに
なればなるほど、
ショックが大きくなって……)
(考えるのやめればいいのか、
向き合えばいいのか……
さっぱりわかんねぇよ)