エルカは屋上へと繋がる扉を開いた。

 開いた瞬間、肌寒い空気が押し寄せたので反射的に身を縮める。

 見上げると空は薄らとオレンジ色に色付き始めていた。




 三日間も眠り続けていた。


 つい先ほど起きたばかりで、カーテンの閉め切った室内にいたエルカには時間の感覚が全くなかった。



 空の色から、今が夕暮れ時なのだと判断する。


 視線を泳がせると、求めていた人物はすぐに見つかった。



 冷たい空気にも身体が慣れたので、エルカは慎重に足を踏み出す。


 一歩、また一歩進むごとに足取りが重くなるのを感じていた。



 その背中に静かに歩み寄る。



 ずっと自分を守ってくれた背中は相変わらず大きい。


 だから、すぐに見つけられるのだ。

 数歩手前まで近付くと、ナイトはゆっくりと振り返った。

エルカ

ただいま、ナイト

ナイト

おかえり、エルカ

 以前と何も変わらない飄々とした余裕のある笑みが向けられた。


 言葉と笑みを交わした後、エルカは眉根を寄せてナイトを睨んでいた。



 これまで、彼が守ってくれていたことは事実だ。


 その優しさには感謝してもしきれない。



 だが、彼がルイに重傷を負わせたことも事実。


 八つ当たりでソルを殴ったことも事実。


 理由があろうと、なかろうと暴力で解決しようとする兄の行動をエルカは肯定できない。

エルカ

ルイくんを殴ったことは許したくない

ナイト

……だろうな

エルカ

でもね、彼が許してって言うから……私はナイトを許す

ナイト

……ゆ、許してくれるのか

 面食らったようなナイトの表情にエルカは曖昧に頷いた。

エルカ

彼が言うからだよ。大事な友達からの大事なお願いだから叶えないと

ナイト

そうか……そこまで大事な奴だったんだな

エルカ

だった……じゃない。過去形にしないで! 今も大事な友達

ナイト

わかってる、わかっているよ。あいつのお蔭でお前を連れ戻すことが出来た。俺はあいつに感謝している。あいつがお前の友達であることに感謝しているよ

エルカ

本当に?

ナイト

本当だ

 ナイトはいつものエルカを安心させるときに見せる柔らかい笑顔を浮かべる。



 この笑みを向けるときのナイトの言葉には嘘はない。


 長年の付き合いだから、それは分かる。

エルカ

ナイトは私のお願い叶えてくれるんだよね。それは今も変わらないの?

ナイト

当然だ。お前に拒まれようと、俺はお前の兄貴だから

エルカ

生まれたときからナイトは私の兄さんだったよ。それは、これからも

ナイト

ありがとうな。ここで大嫌いだと言われたらどうしようかと思っていた

エルカ

そんなことは言わないよ。ナイトは私の兄さんで保護者。子供の私には保護者が必要だよ。コレット以外にもね

ナイト

コレットさんとは和解したのか

エルカ

うん。話を戻すけど……私のお願い、聞いてくれるんだよね?

ナイト

もちろん

エルカ

……学校に行きたいの

 エルカは伏目がちにナイトを見て、言葉を絞り出す。


 先ほどまでの強気な態度から一変して、不安に満ちた眼差しで見上げてくる。



 ナイトが妹の望みを叶えないわけがない。


 しかし、彼女は否定されることを想定して、それを恐れている。

ナイト

学校? お前はまたあんな思いをしたいのか? 同じことが繰り返されるだけだと思うが

エルカ

あそこじゃない……友達がいる学校に行きたいの

ナイト

……それは、ここではなくルイがいる場所ってことか

エルカ

そうだよ……私はまだ弱いから。一人じゃ耐えられないことの方が多いの。でも、彼が側にいれば強くなれるはず

ナイト

俺たちの代わりにルイに依存するつもりなのか?

エルカ

それは違うよ! 私は強くなるの。彼を困らせないように、彼の側にいる為に強くなる。

エルカ

確かに最初はルイくんに甘えてしまうかもしれない。でも、甘えるだけじゃない、私が彼を支えてあげたいから……私は彼の側にいたい

 顔を上げて、長身のナイトを見上げる。


 逆光になり、彼の表情はよく見えない。


 表情が読めないから不安になるのだ。

ナイト

エルカ……

 低い声が頭の上にかかる。そっと、髪に手が乗せられた。

エルカ

……っ

 ナイトにはこの街での仕事がある。


 彼の稼ぎが、今の自分たちの生活を支えているのだ。


 こんな我儘は通らない。固く目を瞑り、ナイトの言葉の続きを待っていた。

ナイト

……自分で言ったからには、引き篭もるなよ。生活環境を変えるようにコレットさんにも言われていたんだ。この街は魔法使いには不利なことが多いから

エルカ

……って、ことは?

ナイト

もちろん、ルイのいる街に引越してやるよ

エルカ

ありがとう、兄さん!

 エルカは飛び上がり兄の腰に抱き付いていた。

ナイト

お、お前、俺の話は聞いていたのか? 分かっているんだろうな。依存するんじゃないぞ、引篭もりもだ

エルカ

もちろん、引き篭もらないよ。そんなことはしない

 彼がいるのなら、そう付け加えながらエルカは微笑を浮かべた。

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