ルイは静かに瞼を開いた。



 ぼんやりとした視界が少しずつ鮮明になる。


 
 どうして自分は病室で寝ているのだろうか。


 記憶が曖昧だ。



 意識を整えようと身を起こした身体に走る痛みに、反射的に目を閉ざす。

エルカ

ルイくん!?

 その声に目を見開く。


 視界に飛び込んで来たのはエルカだった。



 その姿を見た瞬間、曖昧だった記憶が一気に鮮明になる。




 図書棺で彼女と仲直りをして、両親と最後の言葉を交わして、二人で帰って来た。

エルカ

よかった……無事に帰って来れたんだね

 夢のような空間から彼女と共に帰って来れたらしい。



 この全身の痛みは彼女と再会する直前の、彼女の兄に殴られた時のものだ。

エルカ

ルイくん、その顔……ひどい

ルイ

大したことじゃないよ

エルカ

大したことだよ……こんなに腫れ上がっているのだもの

 ナイトはルイを『仮死状態にした』とエルカに告げていた。


 軽傷ではないだろうと覚悟はしていた。


 しかし、これほどまでに重傷とはエルカは思っていなかった。


 頬が痛々しい程に腫れ上がっている。


 身体には包帯が巻かれていた。

ルイ

君のいる場所に行くために必要なことだったからね

エルカ

大丈夫なの?

ルイ

大丈夫だよ……っ

 右頬を触れるとルイは痛そうに顔を歪める。

 その痛がり方は『大丈夫』ではない。

エルカ

ごめんなさい。私のためにこんな怪我させて

ルイ

いや、これは自業自得だよ。僕が君を傷つけた代償だ。だから、君が謝る必要はないからさ

エルカ

でも……

ルイ

僕だってそんな顔させるために、殴られたわけじゃないんだよ。君の色んな表情が見たいけど、僕が見たいのは君の『良い表情』だ。こんな辛そうな顔じゃない

エルカ

私、今すごく苦しいの。私は怪我なんてしていない。それなのに、包帯姿のルイくんを見ているだけで、とても痛い。大切な友達を傷つけられると、こんなにも胸が痛むのね

 エルカは胸に手を当ててギュッと目を閉じる。



 まるで、何かで締め付けられているかのような痛みと、息苦しさが感じられた。



 それが錯覚だと思っていても苦しみが消えない。

ルイ

きっとナイトさんも同じだったんだ。大事な妹が僕に傷つけられたと知ったとき、とても痛かったはずだ

エルカ

それは、そうかもしれないけど

ルイ

その痛みを怒りに変えて、怒りを拳に込めて僕を殴っただけ。君を思うがあまり、力の加減が出来なかったんだよ

エルカ

そうかもしれないけど、そうだとしてもやり過ぎ……力自慢の二十歳の男が軟弱な十四歳の男の子に怪我をさせるなんて、大人げない……

ルイ

軟弱って……酷いな

 ルイがしゅんと俯いたのでエルカは慌てて訂正した。

エルカ

ち、違うよ……ナイトと比べたらって話だよ。あの人は本当に規格外なんだから

ルイ

いや、軟弱なのは事実だ……一発で意識が飛んだし

エルカ

一発で、そんなに怪我したの?

ルイ

うん、飛ばされた時に、どこかに身体をぶつけたのかもしれないね

エルカ

殴り飛ばされたってことなの?

ルイ

意識が飛んだから何とも言えないけど、おそらくはね

 ルイの話を聞いていたエルカは不機嫌そうに表情を歪めた。


 
 ルイは少しだけ困っていた。



 先ほどから彼女はルイの好きな『良い表情』を見せてくれない。



 それだけ、兄に対する怒りが深いのだろう。




 その怒りはルイのためなのだから、喜ぶべきところだ。



 だけど、ルイはナイトの怒りも理解している。


 その怒りを受け止めることも受け入れていた。

エルカ

酷い兄で、ごめんなさい

ルイ

だから謝らないで。僕はね、これで良かったって思うよ。手加減なしで殴ってもらえたから、自分がとんでもないことをしたって改めて自覚したんだからさ

 そう言ってルイは微笑む。


 その微笑みにエルカは苦笑で返していた。


 彼は暴力的なナイトの行為を肯定していた。


 一歩間違えれば、こうして目覚めることもなかったというのに。

エルカ

ルイくんって……良い人すぎるよ。そこまで重傷を負わされたんだし、少しぐらいナイトのことを恨んでも良いのよ

ルイ

恨む理由なんてないよ。ナイトさんの行動は君のためのものだからね。君のためだと言われれば納得できる。僕は君のためにナイトさんに殴られたんだって思うと清々しく思える

 爽やかな笑顔を浮かべるルイにエルカは苦笑を向けた。


 こんなにエルカは怒っているのに、ルイは怒るどころか嬉しそうに目を細めているのだ。

エルカ

その結論は少しおかしいと思うの。殴られたのはルイくんなのに

ルイ

そ、そうかな? とにかく、エルカのためだったわけだし……ナイトさんのこと許してあげなよ

エルカ

簡単には許したくないのだけど、ルイくんがそう言うなら

 不満そうに目を背けながらエルカは呟く。


 素直になれない彼女の、そういう表情もルイは好きだった。

ルイ

じゃあ、今すぐ行ってきなよ

エルカ

……い、今すぐ? それは……こ、心の準備が

ルイ

僕にできることがあるなら手伝うけど

エルカ

……じゃあ、手を握って……勇気が欲しいの

ルイ

もちろん良いよ

 エルカはルイの手を握っていた。

 それをルイは握り返す。

 そして、エルカは額をルイの胸に押し付けた。

エルカ

私、殴ってしまうかも

ルイ

大丈夫、君の手はそんなことしないよ

エルカ

ルイくんがそう言うのなら。貴方のために、そんなことはしない

ルイ

ああ

エルカ

ありがとう、もう大丈夫だよ。行ってくるね

 エルカはルイから離れると微苦笑を浮かべた。

pagetop