エルカがソルの父親と、会話をしたのは炎の中で再会したときだった。

 その時のことを思い出しながら、エルカは苦笑する。
 

エルカ

あの人は私の父親になろうとしていた。もしかすると、それが私にとっての正しい選択なのかもしれない。

エルカ

この街で魔法使いが生き抜く。それはとても難しいことだからね。

エルカ

父さんが組織にいたのもそうなのでしょ? 

エルカ

そこは魔法使いで実験を行っていたけれど、魔法使いが居ても良い場所だった

 存在を認めてもらえない場所で生きるなら、道具であっても認められる場所が良い。

 それは歪んだ感情かもしれない。

 だけど、居場所があるということは、それだけで救いにもなる。

マース

そうだね。どんなに苦しくても、ボクが居ても良い場所として扉を開けていてくれた。まぁ、彼女との再婚で追い出されてしまったけどね。

マース

彼女が御父上と喧嘩して勘当されて、ボクも組織にいられなくなって……一緒に追い出されたんだ

エルカ

そんな経緯があったんだ。はっきり言って父さんは女の趣味が悪すぎるよ

マース

それでもボクを好きだと言ってくれたのは彼女だけだった………

マース

そんな彼女の側から離れたくなかった。

マース

彼女を失うことは、居場所を失うことになる。その時点で死に等しくなるからね

エルカ

私も今は離れたくない場所があるから……あの人に誘われても絶対についていかないよ

 ルイという友人の側から離れたくない。

 彼の側にいたいと、エルカは願う。



 ふいにエルカはルイを振り返り、そして彼に駆け寄るとその手を握りしめた。

ルイ

……

エルカ

私は辿り着いてしまったみたい。今は離れたくない場所を……ね

ルイ

エルカ……

 臆病な彼女の手が震えているから、ルイは優しく握り返していた。


 それに気付いたエルカは一瞬ルイを見て、目を見開く。


 少しだけ恥ずかしそうに頬を染めると……



 エルカは強い視線で父親を見据えた。

 気持ちを曲げることはできない。

エルカ

心配しなくても私の意思は、もう私以外に惑わすことはできないの。あの人の手が、本当に救いの手だったとしても……

エルカ

あの人には私を惑わすことなんてできない

マース

そうらしいね

エルカ

父さん……父さんは劣等生なんかじゃないよね? 私とソルが罪を犯さずに済んだのは父さんのお蔭だよね?

マース

どうしてそう思うんだい?

エルカ

父さんが仕掛けた炎の魔法。そこに色々なものが仕込まれていたから

マース

………気が付いていたのか

 目を見開くマースに、エルカはしたり顔で返した。

エルカ

魔法で殺すことは容易いこと。だけど、そうなったら犯人である父さんは消失してしまう。直接、魔法で人の命をどうこうすることは禁忌だから。

エルカ

人を殺した罪により、その肉体が消失。真相は明かされないまま、残された私かソルのどちらかが犯人になる

マース

それだけは避けたかった。どうしても火事で彼をどうにかしたかった。異変に気付いた君たちが逃げる時間を稼ぐ必要もあった。

マース

彼は頭が良い……だけど、彼もボクと同じだ

エルカ

あの人も組織の人間。それはつまり、同じような投薬実験は受けていたはずだよね

マース

ああ、彼もボクたちの失敗の責任として投薬実験を受けている。上の命令には彼も従うしかないんだ。

マース

あそこはほとんどの人間が壊れていた。壊れたから、彼女は君たちを売ろうとした。そうすれば、自分たちは幸せになると思ったから。

マース

そして、彼は彼女を殺害した。君や息子に殺意は向けなかった理由は……ボクにはわからない

エルカ

………

 再会した彼の姿を思い出す。

 薬の副作用により、ゼアルは気持ちが高ぶっていた。


 自分が何をしているのかも忘れていた。


 冷静さを失い、方向感覚を失い、酒に酔ったかのような眩暈に襲われていた。


 何度も転んだであろう、彼の足は傷だらけだった。



 その怪我では、エルカを追いかけて捕まえることもできない。


 ゴミが散乱して足の踏み場もない廊下を、エルカとゼアルは走り回った。

 床は足の踏み場もないゴミだらけ


 紙クズや布や壊れた木製の家具、火種で溢れていた。

 それなのに、燃え広がるまでが緩やかだ。

エルカ

父さんの炎の魔法は、燃え広がるまでの時間が調節されていた。そういうのって並みの魔法使いにはできないことだよ。

エルカ

だから、父さんは劣等生なんかじゃなかった

 彼は、平凡よりは優秀な魔法使いだった。


 父親が優秀すぎたため、誰もマースの有能さに気付けなかった。


 マースは苦笑する。

マース

白状すると、ボクは二人が命を落としたとしても仕方がないと思っていたんだ。

マース

逃げ切れたら良いな……って軽い気持ちだった。

マース

彼女を殺した彼の死と、君たちが彼を殺した犯人にならなければ、それで良かった。自分の子供に対して酷い仕打ちをしてると思うよ

 あの時のエルカにあったのは、逃げる時間だけ。


 逃げ道は用意されていなかった。


 足場が悪かったのはエルカにとっても同じこと。


 転んでいたなら、助からなかっただろう。


 もっとも、あの時のエルカは生きるつもりもなかった。


 ゼアルを地下に落として、閉じ込めて。

 自分が犯人になることしか考えていなかった。

エルカ

貴方達の死体を見て、悲しいとも感じなかった。私も酷い娘だよ。

エルカ

私もソルも投薬実験を承けた父親の子供だから、炎や煙の影響を受けてしまう。ソルが幻覚を見たのもそのせいね。

エルカ

そして、私もソルもその場で死ぬことを受け入れていた。生き延びようと足掻こうともしなかった。

エルカ

あのとき、正気に戻ったソルが引き返さなければ私は確実に死んでいた

マース

そうだね……彼はよく正気に戻ってくれたよ。ゼアルの息子だからという理由で、心の底では殺したいと思っていたのにな。

マース

正気に戻ってくれたことに、君を迎えに炎に飛び込んでくれたことに感謝している

エルカ

息子と違ってゼアルは混乱していた。正気に戻るどころか悪化する一方だった。薬の影響で頭もおかしくなっていたのでしょう。

エルカ

あの女を殺せたことで気持ちが高揚していたのでしょう。最終的には私に地下に落とされて、そこでお爺様が仕込んだ幻覚見せられて……散々だったでしょうね

マース

確かに、父上の幻覚魔法はきっと怖いだろうな

グラン

当然だな。巨大なヘビに四方八方から追われる幻覚なのだからな

エルカ

……

マース

………

ルイ

……

 グランが満面の笑みで言う。


 それを想像したエルカたちは背筋が冷えるのを感じた。


 気持ちを切り替えようと、エルカは首を横に振ってマースを見上げる。

エルカ

ところで、ゼアルはどうして父さんたちを殺害したの?  薬の影響はあっても、きっかけはあるはず

マース

動機のことだね。ゼアルは前妻のことを恨んでいたらしいよ。詳しいことは知らないけれど、彼女は組織の幹部の娘。婚姻は上司からの命令。

マース

彼は彼女との婚姻を拒否することができなかったらしい。しかし、彼女は彼が強引に結婚を迫ったと風潮していた。

マース

彼には恋人がいたらしいが、その婚姻で別れることになった

エルカ

あの女の遺体はとても酷かった。相当な憎しみと殺意がなければ、あそこまではできないよね。

エルカ

恋人と別れさせられて、望まぬ結婚、それを望んだのが自分だと言われたら……それは怒るよね

マース

結婚後も色々あったそうだ。ボクと再婚するまでにも色々と。そんな積もり積もった憎しみが、何かしらのきっかけで爆発したのだろうね

エルカ

男と女って難しいんだね。私とソルって、ただただ巻き込まれただけじゃない。身勝手な事情で生まれて、身勝手な理由で捨てられて

マース

そうだね。言い返す言葉がないよ。彼は彼女を殺害し、彼女を庇おうとしたボクも殺されたんだ。

マース

彼が彼女の遺体を執拗に刺しているのを見ながら、死にかけた状態でボクは魔法を仕込んだ。

マース

そして、そのままボクは息絶えた

マース

さて、この話はここまでだ。もう少し聞きたかったかい?

エルカ

いいよ、私が知りたいことはわかったから

 他にも気になることはあるが、エルカが知るべきことではないだろう。


 おそらくは、それをマースが知る必要もない。


 恋人と別れさせられたゼアル。
 彼は離婚後に、元恋人と再婚しなかった。
 しなかったのか、できなかったのか分からない。

 憎悪と殺意を前妻に向けた理由は、そこにあるのだとエルカは考えている。

 エルカが尋ねなければマースは疑問にも思わないこと。

 だから、エルカはこの疑問は胸の奥に追いやった。

マース

そうだ、エルカ! 

マース

最後にこれだけは聞いてくれ

エルカ

………え?

 なぜかマースから真剣な眼差しを向けられる。


 何を言われるのだろう。


 エルカは表情を引き締めて、父親の言葉を待つ。

マース

恋人にするとき……に、魔法使いの男だけはダメだ……

エルカ

ど、どういうこと?

マース

まぁ心配はないみたいだね

エルカ

 何やら勝手に納得して自己完結しているようにも思えた。


 エルカが小さく小首を傾げて、隣のルイを見上げる。


 彼は、なぜか慌てて目を反らした。

ルイ

………

エルカ

どうしたの?

ルイ

いや、何でもない

エルカ

マース

ま、今の様子だと心配はないか

エルカ

ど、どういうこと?

 理解できなかった。



 マースはどこか幸せそうな、満足そうな笑みを浮かべている。

 
 エルカは気付いていなかった。



 自分の手がルイの手を握ったままであることに。


 それを、マースがずっと見ていることに。

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