エルカがソルの父親と、会話をしたのは炎の中で再会したときだった。
その時のことを思い出しながら、エルカは苦笑する。
エルカがソルの父親と、会話をしたのは炎の中で再会したときだった。
その時のことを思い出しながら、エルカは苦笑する。
あの人は私の父親になろうとしていた。もしかすると、それが私にとっての正しい選択なのかもしれない。
この街で魔法使いが生き抜く。それはとても難しいことだからね。
父さんが組織にいたのもそうなのでしょ?
そこは魔法使いで実験を行っていたけれど、魔法使いが居ても良い場所だった
存在を認めてもらえない場所で生きるなら、道具であっても認められる場所が良い。
それは歪んだ感情かもしれない。
だけど、居場所があるということは、それだけで救いにもなる。
そうだね。どんなに苦しくても、ボクが居ても良い場所として扉を開けていてくれた。まぁ、彼女との再婚で追い出されてしまったけどね。
彼女が御父上と喧嘩して勘当されて、ボクも組織にいられなくなって……一緒に追い出されたんだ
そんな経緯があったんだ。はっきり言って父さんは女の趣味が悪すぎるよ
それでもボクを好きだと言ってくれたのは彼女だけだった………
そんな彼女の側から離れたくなかった。
彼女を失うことは、居場所を失うことになる。その時点で死に等しくなるからね
私も今は離れたくない場所があるから……あの人に誘われても絶対についていかないよ
ルイという友人の側から離れたくない。
彼の側にいたいと、エルカは願う。
ふいにエルカはルイを振り返り、そして彼に駆け寄るとその手を握りしめた。
……
私は辿り着いてしまったみたい。今は離れたくない場所を……ね
エルカ……
臆病な彼女の手が震えているから、ルイは優しく握り返していた。
それに気付いたエルカは一瞬ルイを見て、目を見開く。
少しだけ恥ずかしそうに頬を染めると……
エルカは強い視線で父親を見据えた。
気持ちを曲げることはできない。
心配しなくても私の意思は、もう私以外に惑わすことはできないの。あの人の手が、本当に救いの手だったとしても……
あの人には私を惑わすことなんてできない
そうらしいね
父さん……父さんは劣等生なんかじゃないよね? 私とソルが罪を犯さずに済んだのは父さんのお蔭だよね?
どうしてそう思うんだい?
父さんが仕掛けた炎の魔法。そこに色々なものが仕込まれていたから
………気が付いていたのか
目を見開くマースに、エルカはしたり顔で返した。
魔法で殺すことは容易いこと。だけど、そうなったら犯人である父さんは消失してしまう。直接、魔法で人の命をどうこうすることは禁忌だから。
人を殺した罪により、その肉体が消失。真相は明かされないまま、残された私かソルのどちらかが犯人になる
それだけは避けたかった。どうしても火事で彼をどうにかしたかった。異変に気付いた君たちが逃げる時間を稼ぐ必要もあった。
彼は頭が良い……だけど、彼もボクと同じだ
あの人も組織の人間。それはつまり、同じような投薬実験は受けていたはずだよね
ああ、彼もボクたちの失敗の責任として投薬実験を受けている。上の命令には彼も従うしかないんだ。
あそこはほとんどの人間が壊れていた。壊れたから、彼女は君たちを売ろうとした。そうすれば、自分たちは幸せになると思ったから。
そして、彼は彼女を殺害した。君や息子に殺意は向けなかった理由は……ボクにはわからない
………
再会した彼の姿を思い出す。
薬の副作用により、ゼアルは気持ちが高ぶっていた。
自分が何をしているのかも忘れていた。
冷静さを失い、方向感覚を失い、酒に酔ったかのような眩暈に襲われていた。
何度も転んだであろう、彼の足は傷だらけだった。
その怪我では、エルカを追いかけて捕まえることもできない。
ゴミが散乱して足の踏み場もない廊下を、エルカとゼアルは走り回った。
床は足の踏み場もないゴミだらけ
紙クズや布や壊れた木製の家具、火種で溢れていた。
それなのに、燃え広がるまでが緩やかだ。
父さんの炎の魔法は、燃え広がるまでの時間が調節されていた。そういうのって並みの魔法使いにはできないことだよ。
だから、父さんは劣等生なんかじゃなかった
彼は、平凡よりは優秀な魔法使いだった。
父親が優秀すぎたため、誰もマースの有能さに気付けなかった。
マースは苦笑する。
白状すると、ボクは二人が命を落としたとしても仕方がないと思っていたんだ。
逃げ切れたら良いな……って軽い気持ちだった。
彼女を殺した彼の死と、君たちが彼を殺した犯人にならなければ、それで良かった。自分の子供に対して酷い仕打ちをしてると思うよ
あの時のエルカにあったのは、逃げる時間だけ。
逃げ道は用意されていなかった。
足場が悪かったのはエルカにとっても同じこと。
転んでいたなら、助からなかっただろう。
もっとも、あの時のエルカは生きるつもりもなかった。
ゼアルを地下に落として、閉じ込めて。
自分が犯人になることしか考えていなかった。
貴方達の死体を見て、悲しいとも感じなかった。私も酷い娘だよ。
私もソルも投薬実験を承けた父親の子供だから、炎や煙の影響を受けてしまう。ソルが幻覚を見たのもそのせいね。
そして、私もソルもその場で死ぬことを受け入れていた。生き延びようと足掻こうともしなかった。
あのとき、正気に戻ったソルが引き返さなければ私は確実に死んでいた
そうだね……彼はよく正気に戻ってくれたよ。ゼアルの息子だからという理由で、心の底では殺したいと思っていたのにな。
正気に戻ってくれたことに、君を迎えに炎に飛び込んでくれたことに感謝している
息子と違ってゼアルは混乱していた。正気に戻るどころか悪化する一方だった。薬の影響で頭もおかしくなっていたのでしょう。
あの女を殺せたことで気持ちが高揚していたのでしょう。最終的には私に地下に落とされて、そこでお爺様が仕込んだ幻覚見せられて……散々だったでしょうね
確かに、父上の幻覚魔法はきっと怖いだろうな
当然だな。巨大なヘビに四方八方から追われる幻覚なのだからな
……
………
……
グランが満面の笑みで言う。
それを想像したエルカたちは背筋が冷えるのを感じた。
気持ちを切り替えようと、エルカは首を横に振ってマースを見上げる。
ところで、ゼアルはどうして父さんたちを殺害したの? 薬の影響はあっても、きっかけはあるはず
動機のことだね。ゼアルは前妻のことを恨んでいたらしいよ。詳しいことは知らないけれど、彼女は組織の幹部の娘。婚姻は上司からの命令。
彼は彼女との婚姻を拒否することができなかったらしい。しかし、彼女は彼が強引に結婚を迫ったと風潮していた。
彼には恋人がいたらしいが、その婚姻で別れることになった
あの女の遺体はとても酷かった。相当な憎しみと殺意がなければ、あそこまではできないよね。
恋人と別れさせられて、望まぬ結婚、それを望んだのが自分だと言われたら……それは怒るよね
結婚後も色々あったそうだ。ボクと再婚するまでにも色々と。そんな積もり積もった憎しみが、何かしらのきっかけで爆発したのだろうね
男と女って難しいんだね。私とソルって、ただただ巻き込まれただけじゃない。身勝手な事情で生まれて、身勝手な理由で捨てられて
そうだね。言い返す言葉がないよ。彼は彼女を殺害し、彼女を庇おうとしたボクも殺されたんだ。
彼が彼女の遺体を執拗に刺しているのを見ながら、死にかけた状態でボクは魔法を仕込んだ。
そして、そのままボクは息絶えた
さて、この話はここまでだ。もう少し聞きたかったかい?
いいよ、私が知りたいことはわかったから
他にも気になることはあるが、エルカが知るべきことではないだろう。
おそらくは、それをマースが知る必要もない。
恋人と別れさせられたゼアル。
彼は離婚後に、元恋人と再婚しなかった。
しなかったのか、できなかったのか分からない。
憎悪と殺意を前妻に向けた理由は、そこにあるのだとエルカは考えている。
エルカが尋ねなければマースは疑問にも思わないこと。
だから、エルカはこの疑問は胸の奥に追いやった。
そうだ、エルカ!
最後にこれだけは聞いてくれ
………え?
なぜかマースから真剣な眼差しを向けられる。
何を言われるのだろう。
エルカは表情を引き締めて、父親の言葉を待つ。
恋人にするとき……に、魔法使いの男だけはダメだ……
ど、どういうこと?
まぁ心配はないみたいだね
?
何やら勝手に納得して自己完結しているようにも思えた。
エルカが小さく小首を傾げて、隣のルイを見上げる。
彼は、なぜか慌てて目を反らした。
………
どうしたの?
いや、何でもない
?
ま、今の様子だと心配はないか
ど、どういうこと?
理解できなかった。
マースはどこか幸せそうな、満足そうな笑みを浮かべている。
エルカは気付いていなかった。
自分の手がルイの手を握ったままであることに。
それを、マースがずっと見ていることに。