エルカがルイの手を離したのは冷静になるため。

 そして、彼を【こちら】の事情に関わらせないため。
 人間である彼を【こちら】に踏み込ませてはいけない。










 魔法使いの掟に、こんなものがある。

 魔法使いのトラブルは、魔法使いが解決しなければならない。



 だから、ここからは一人で戦う。

 大丈夫だ。

 彼から貰った手の温もりはまだ残っている。

 エルカはゆっくりと見上げた。






 

 ワインレッドの双眸に映るのは、頼りない顔の男だ。



 マース・フランにしか答えられないことがある。

 傍らにいるグラン・フランがどれだけ偉大な魔法使いであっても、マース・フランにしか答えられない。

 しばしの時間を置いてから、エルカは声を絞り出した。

エルカ

私は……私が生まれた理由が知りたいの

 知りたいことは、たった一つだけ。

 会話は簡潔に済ませたかった。

 それなのに、一度始まった言葉は止まらない。

エルカ

貴方は私が生まれてすぐにお爺様に私を預けたのでしょう? 貴方もコレットも私の面倒を見なかった。見るつもりがなかったんだよね?

マース

……

 こんなことは、どうでも良いのに声に漏れ出す。


 面倒を見るつもりがあったかどうかなんで、今更の話なのに声に出してしまう。

エルカ

私を育てたのはお爺様とナイトだった。育てるつもりがないのなら、私が生まれる必要なんてなかったんじゃないの? 

エルカ

私がいなければ誰も傷付かなかったんじゃないの?

マース

………

 マースは黙って聞いている。

 答える言葉が出てこないのか、無表情で俯いたまま。

エルカ

どうして私は生まれてしまったの?

 生まれなければ、誰も不幸にならなくて済んだはず。

 ナイトあたりには、『そんなことはない』と怒られそうだ。



 しかし、グランに拾われなかったら、まっとうな未来が彼にもあったかもしれない。その思いは拭えない。


 ソルの両親だって離婚しなかったのかもしれない。




 エルカが俯くと、今度はマースが顔を上げる。
 たどたどしい声で、エルカの問いに彼は答えた。

マース

生まれた理由は簡単なことだよ。男と女が交じり合った結果だよ。ただ、それだけだ。ボクと彼女の間には愛情はなかったけど。愛情がなくても子供は生まれる

エルカ

魔法があれば、生まれないようにだってできたのでしょ?

マース

それは出来ないよ。魔法使いといってもボクたちは人間と同じなんだ。魔法は万能でも何でもないから

エルカ

魔法が起こす奇跡ならそれくらい可能でしょ?

マース

あれ、父上から何も…………まぁ、そういう話は男の父上では女の子に教えられないか。基本的には人間と同じだよ

エルカ

二人の間には愛情がなかったと言うのなら……どうして私は生まれたの? 余計にわからなくなる

 子供は二人の愛の結晶だと、学校では教えられた。


 しかし、コレットとマースの間には愛情がない。

 愛情がなくとも子供は生まれるとマースは言っていた。


 王族や貴族なら家の義務として夫婦となり、子供を作ることもあるだろう。


 しかし、フラン家は貴族ではない。
 小首を傾げるエルカにマースは苦笑する。

マース

エルカはまだ子供だから……わからないのは当然だよ

エルカ

子供扱いしないで

マース

……っ

エルカ

……でも、そうだよね。私はまだ子供だから……教えて、何があったのかを

マース

それは、気分の悪くなる昔話になるけど、聞きたい?

エルカ

もちろん。知らなければ、きっと後悔するから

 知ることは怖い。

 だけど、知らないままに放置することも怖かった。


 マース・フランの語る真実は、今ここでしか聞くことができない。

 コレットに尋ねても、それはコレットの語る事実でマースのものではない。

 だから、エルカは顔を強張らせたまま耳を傾ける。

マース

大魔法使いグラン・フラン。その魔法使いの後継者は、生まれる前から期待されていたんだよ

 優秀な魔法使いの血を人々は欲した。

 どうにかして、自分たちの一族に加えようと躍起になった。

 これほどまでに優秀なグランの子供は、きっと優秀な魔法使いになるだろう。





 その優秀な魔法使いの母親となるべく、女たちはグランに言い寄った。

 優秀な魔法使いの祖父になるべく、男たちは娘をグランに差し向けた。

 優秀な魔法使いと親族になるため、姪や姉や妹とグランを引き合わせた。



 だけど、グランは誰の誘いも受けなかった。
 受け取った手紙はそのまま送り返された。 

マース

彼は色恋沙汰に疎かった。女性に興味がなかった彼は、見合いの話も全て断っていたらしい

エルカ

それじゃあ、どうやって父さんは生まれたの?

マース

……父上には幼馴染の双子がいたんだ

 幼い頃から双子はグランを愛していた。


 女性に興味のないグランだが、双子とは気楽に付き合うことができる。


 三人はいつも一緒にいた。


 気の置けない関係。

 グランはしだいに二人を同時に愛していた。





 魔法使いの女が子供を産むのは、生涯に一人だけ。


 子孫を増やすために複数の妻を持つことは珍しいことではない。


 グランは双子を同時に妻として迎えた。



 仲の良い双子はグランの愛に同時に答えた。

 双子の間に争いなんてなかった。

 グランは二人に等しく愛情を注いだ。


 そして、同時期に彼女たちは子供を産んだ。

マース

それが、ボクとコレット……ボクたちは双子の兄妹だったんだよ。失望したかな?

エルカ

魔法使いの近親婚は珍しいことじゃないよ

マース

そうだね。男であることから、周囲はボクがグラン並の魔法使いになると望んだ

 彼こそが後継者だと信じていた。


 生まれたばかりの赤子に期待をかけていた。



 しかし、マースは魔法の才能に恵まれなかった。

 結果として、グランの足元にも及ばない、平凡な魔法使いにしかなれなかった。




 マースはグランの偉業を繰り返すことを望まれた。

 しかし、彼にはそれができなかった。

 人々はマースに期待をして、そして失望した。

マース

コレットは負けず嫌いの女の子だったよ。世間はボクばかりを期待していたから、余計にボクに負けたくなかったのだろう

 グランの息子だというだけで、周囲はマースばかりを見ていた。

 グランの娘なのに、女だからという理由で周囲はコレットを見てくれない。

 幼いコレットは、母と叔母から魔法を学んでいた。




 兄に負けない魔法使いになることを目指した。
 母も叔母もそんなコレットを応援する。
 コレットは才能を確実に伸ばしていた。

マース

コレットを褒めてくれたのはボクの母親、そして彼女の母親だけ。他の誰も知らない間に、彼女の才能はボクを凌駕していた

 しかし双子は、ある日、同時に体調を崩してしまった。

 やがて同時に、幼い子を残して同時に息を引き取った。




 女であることを理由に、周囲から見向きもされなかったコレット。

 自分を褒めてくれた二人を失った後は悲しみに暮れた。

 しかし、すぐに立ち直る。




 彼女は、母たちが亡くなった後も独学で勉強を重ねた。


 マースを越え、グランに匹敵する大魔法使いになるために。


 それを、母の墓前に報告するために彼女は努力を重ねた。


 そして、望んだ通りの魔力と才能を得たのだった。

マース

コレットは努力で才能を手にした。その一方、ボクは虐げられるばかり。彼らはコレットと比較して、ボクをバカにする。コレットができることを、ボクはできなかったから。

マース

そして彼女は……ボクができないことを、コレットはできる。そんな風に褒められるようになった。コレットはマースより優秀だと褒められていた

エルカ

………

マース

周囲の魔法使いたちはボクとコレットを比較することでしか、褒めることも貶すことも出来ない。

マース

他の魔法使いと比較すればボクだって、彼らと変わらない平凡な魔法使いだったのに……まるで、ボクを貶すために、ボクらは比較されていた

 マースは特別才能がなかったわけではない。


 ただ、人々の目がグランにしか向けられていなかったというだけ。


 比較対象が常にグランだった。


 平凡なごく普通の魔法使いでありながら、劣等生の称号を与えられた。

マース

ボクはグランの後継者ではなく、マース・フランという人間だというのに……誰も、そうは見てくれなかった

エルカ

父さんも自分を見て欲しかったんだね

マース

誰にも見て貰えなかったボクは自暴自棄になった。努力を認めて欲しかったわけじゃないのに……

マース

ボクは自分の望みがわからなくなった。自分なんて、いつ、どこで、どんな形で死んでも構わないって思っていた。死に急いでいたんだ……

 マースはどこか遠くを見つめるように語る。
 それをエルカは静かに聞いていた。

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