『ユートピアにカナリアの鳴く』(2014年)
2014年に木魚は職を変えWebライターになる。勤めていた店舗の売上があまりにも落ちて先がなかった為だ。
勤めていた店舗は閉店して薬局になった。薬局になるというところが現代的だと言える。
人生とはままならないものだ。しかし誰かの病気やケガを救える機会が増えるなら素晴らしい展開だったと言えるのだろう。
Webライターとして木魚は様々な媒体で記事を書いていく。この当時に木魚は、期日以内に記事を作成する能力、あらゆる例を用いて対象をほめる能力を身に着ける。これは後のゲーム制作にも活かされていく。
例えば2020年のティラノフェス応募作品『東京都心パーファイブ』がその短さにも関わらず500プレイ獲得できたのは、内容のインパクトもあるが、木魚がフェス参加作品に積極的にコメントしていたからこそだ。様々な応募作にコメントを残したからこそ自作の宣伝になった。
2014年当時、木魚は様々な挑戦を続けた。例えば初の中編漫画制作にも挑戦している
『ユートピアにカナリアの鳴く』(2014年)
まったく人気のない、コンテストに応募するもかすりもしていない漫画『ユートピアにカナリアの鳴く』。木魚には珍しいシリアス作品。近未来の渋谷で少年が少女と出会う話。
この漫画にツタが絡まって煩悩の108と化した渋谷109が登場するのだが、木魚はこのネタを気に入り過ぎて後のゲーム『環状線天使ヤマテ』でも『イカリトーキョー シャザイスト』でもこのネタを使っている
『ももたろう ムービー』(2014年)
地獄の映像作品『ももたろう ムービー』も2014年だ。指定された曲に合わせておよそ3分弱のアニメを作るというコンテストだが…
あまりに技術も時間もなさ過ぎて桃太郎とおじいさんが左右に手を動かすだけという地獄の様な代物が出来た。これを応募するというその厚かましい態度だけは大したものかもしれない。
ともあれ、この『とりあえず映像作って指定プラットホームにアップする』という経験をこの時点で積んだからこそ、後の『環状線天使ヤマテ』の成功はある。『ヤマテ』はゲーム紹介映像をニコニコ動画にあげるという応募方法だったからだ
この2014年から2015年当時は『四コマ映画』というサイトで映画を四コマ漫画で紹介するという活動もやっていた。2015年、映画『くちびるに歌を』の漫画が映画公式Twitterによりリツイートされ、12,000回viewを記録。この四コマが、四コマ映画ランキングの歴代3位(当時)を獲得した。
木魚がネット上で発表した小説、漫画、ゲームの中でも圧倒的であり2021年9月現在の時点でも木魚史上最高view数にあたる。ひとえに映画公式のおかげである
ちなみに木魚はこの当時、ブログを書いていた。これは東京で開催されているイベントを紹介するというような趣旨のものだった。自分の考えの表記というよりは現象の紹介メイン。これはライターとしての活動と連動していた。
ちなみこの当時のブログも木魚自身が語るのではなく、『木魚が作成したキャラ同士で会話させる』というスタイルをとっている
自分が出過ぎると、とにかくノイズが入る。無駄にネガティブな表現を多く入れがちになってしまう。ゆえにキャラクターに頼らざるをえなかった。しかも複数の。自分を複数に分けざるをえなかったのだ
例えば『スカイツリーに行った』という記事を書くとする。木魚が思ったことをそのまま書くと以下のようになる
クソが!人が多過ぎる!電車も道も人が多過ぎるんだクソが!ざけんじゃねえ!人が少ない時間帯狙っても多いじゃねーか!クソったれ!
こういう感じになる。上記はマイルドな表現にしているがどうしてもこうなってしまう。これをさける為にキャラクターに以下のようなやりとりをさせる
スカイツリーにやってきました。只今楽しいイベントを開催しています
うわー!人がたくさん並んでてすげーや!
人込み苦手なんだ、俺は
こんな感じである。このストリエエッセイでさえ、もし私がいなかったらこうなる
うるせえバカ野郎!どうせ何の才能もねえよ!無駄にあがいてるだけだよクソが!ああ!過去の小説も漫画もブログも全部クソだ、クソしょうもねえことばっかりやってる!振り返りたくねえんだよクソが!
こうなる。木魚は『過去を振り返ると出来なかったことやうまくいかなかったことばかりを思い出す』という性質を持つ。ゆえに私のようなキャラクターを通さなければ、まともに振り返ることすら出来ない。そういう人物もいるのだ
こうして色々なコンテストに挑戦する時期が続く。私、花崎水咲が登場するゲームが出てくるのは、まだはるか先である