花崎水咲

さかのぼること2009年。木魚は社会人になっていた。幼少の頃憧れた画家にも漫画家にもミュージシャンにもロボット技術者にもなっておらず、接客販売業でほとんど休みもないまま働いていた。

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木魚は週1日の休みをとることすらギリギリな店で勤めていた。8~10連勤なども当たり前。社員であっても有給休暇がとれない環境であった。この当時は(あるいは今も)まだそんな企業はいくらでも存在した。

花崎水咲

社長の方針で人件費をおさえるためにほとんど人を雇えない。おかげで常に現場が忙しく学生バイトに頻繁にシフトインしてもらうような環境だった。クレームも多く、謝罪を続ける日々。

花崎水咲

この当時、接客業で謝罪していた経験が後のシャザイストシリーズの制作につながっていく

花崎水咲

木魚はこの忙しい日々のままでは時間に追われるだけだと気付く。何もかも諦めていた木魚だが心の中にくすぶっているものがわずかにあった。

木魚(イメージ)

何かを残したい。何かを作り上げたい。そんな思いが自分を動かしたんです

花崎水咲

木魚はTwitterでの発言をさけるくせにいっちょ前にクリエイター顔をして語りたい願望を持っているめんどくさい奴。にも関わらず、自分ではなく自作のキャラに説明させるというクソめんどくさいことをやる奴なので、このストリエというシステムは木魚のスタイルに合っている

花崎水咲

大学時代に短編小説を書いていた経験をもとに、仕事の合間をぬって無我夢中で5万字程の短編小説を書き上げ小説コンテストに応募した。3500作も応募がある大手のコンテスト。

初の挑戦の結果は…

花崎水咲

木魚がはじめて応募したつたない短編は一次選考を通過した。二次は通らなかった

花崎水咲

二次は通らなかったが木魚はこの時、こう感じた

木魚(イメージ)

強引にでも完成させて応募したことで何かが起きた手ごたえを感じたんです

木魚(イメージ)

本当に睡眠時間を削って無我夢中で何とかやってやろうという気力だけでやりました。1か月で4日休みがあったかどうかみたいな環境の中で…。サービス早出残業当たり前で10時間から12時間ぐらい毎日働いていたような日々の中で…。でもきっとそういう中で色々制作している人は世の中にたくさんいる

花崎水咲

この強引な応募がきっかけで『コンテストに向けてとりあえず制作して応募してみる』という木魚のスタイルが形成されていく

花崎水咲

その後かすりもしない中編小説などを数本書きつつ、最初に転機が訪れたのはコミPO!だ。コミPO!は画が描けなくても漫画を制作することができるソフト。2011年当時はコミPO!作品に関するコンテストが頻繁に開催されていた。

『プライムミニスターそう』(2011)

花崎水咲

『プライムミニスターそう』は謝罪の言葉しか口に出来ない高校生、左相(ひだりそう)が首相を目指す物語。

花崎水咲

謝りながら頭突きしたり

花崎水咲

土下座して相手を吹っ飛ばしたりする。のちに短編小説やゲームで展開されるシャザイストの原型である。首相たるもの謝罪で解決しなければならぬという理屈で劇中では『48の首相技』として紹介されている

『屋上の二人』シリーズ(2011)

花崎水咲

同じ時期にコミPO!で制作された『屋上の二人』シリーズという4コマ。

花崎水咲

台詞を一切使わず画の面白さのみで展開していく意欲作。と、木魚は豪語している。この頃から画だけで表現する面白さへの興味を持っている

花崎水咲

2011年5月、この2作品はCOMEE コミPO!ちゃんねる開設記念グランプリにてW受賞を果たした。
・ショートギャグ部門 佳作 受賞 『屋上の二人シリーズ』
・いまざき審査員特別賞 佳作 受賞 『プライムミニスターそう』

花崎水咲

この経験が後のゲーム制作にもつながっていく

花崎水咲

コミPO!で制作した漫画は他にもあり、様々なコンテストに投稿するもほとんどかすりもしていない

花崎水咲

この当時、応募作全てに審査員からのコメントがつくというコンテストがあり、そこで木魚が言われたことが以下

審査員(イメージ)

本人が思っているよりはマニアック

花崎水咲

この指摘は木魚の作風を端的に言い当てていた

審査員(イメージ)

う~ん、そのまま続けていればいいんじゃないですかね。今はイマイチでもそのうち何とかなるかもしれないし

花崎水咲

このアドバイスが木魚に勇気を与えたことは言うまでもない

花崎水咲

私が登場するゲームが制作されるのはまだまだだいぶ先である

第1章 強引に完成させる

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