助けて……。
ご近所さんに会ったら、
必ず挨拶するのよ。
少しでも失礼な態度をとったら、
すぐにウワサになっちゃうんだから
えっ……。
私のことも近所で
ウワサになっちゃうの?
当然よ。
日良さん家のお宅は、
躾(しつけ)ができてない
なんて言われちゃうんだから
ふうーん……。
わかった……
(なんだか窮屈だなあ。
この間なんか、隣りのオバサンに
家の中のことを
しつこく聞かれたし)
(でも、お母さんやお父さんが
みんなに悪く言われないように、
私がいい子でいなくちゃ)
おーい! 若葉ー!
遊びに行こうぜー!
あっ! 耀くんっ。
宿題はもう終わったの?
終わってるわきゃねーだろ。
むしろ宿題やれって
言ってた兄貴から、
逃げてきたくらいだぜ
耀くん……自由だね……
そうかあ?
耀くん、こんにちは
こんちはー、おばさん!
今夜はカレーなのよ。
良かったら先生(さきお)先生と
一緒にいらっしゃいな
やった!
兄貴に言って来まーす!!
あら早い。
もういなくなっちゃった
(先生先生から逃げてきたこと、
忘れてるね耀くん……)
ねえ、お母さん。
耀くんって、
いつも元気だよね
そうね、若葉。
でもね……耀くんは笑顔の裏で
すごくがんばってるのよ
何をがんばってるの?
耀くんはお父さんとお母さんを
亡くした悲しみを、
ずっと我慢しているの
そっか……。
耀くんって、強い人なんだね
助けて……。
みさき先生がね、
次の体育はグラウンドに
集合してねって言ってたよ
あれ?
若葉ちゃんのブルマ……
なに?
ブルマが破れて
パンツ見えちゃってるよ!
えっ!
ウソ??
(ニヤニヤ)
ひひっ
(手で隠しては見たけど、
男の子も見てるよ……。
恥ずかしい、どうしよう)
(えっ……。
私の腰に、ジャージの上着?)
お前ら、ニヤニヤして
見てんじゃねーよ
(耀くんが、
上着をかけてくれたんだ……)
べっつに見てねーよ!
見てただろ!
恥ずかしがってんのが
わかんねーのかよ!
(耀くん……)
耀くん、大好き。
ん?
なんか言ったか?
ううん、何も
(耀くんは正義感があって、
本当に強い人だなあ)
耀くん、大好き。
(周りを気にしてばかりいて
八方美人な私とは大違い)
耀くん、助けて……。
(耀くん。
私も、耀くんのように
自由になりたい)
助けて。
廃墟島の5日目《 後編 》
目が覚めたころには、
辺りはすっかり暗くなっていた。
まだぼやけた頭を振りながらも、
放り出されたままの腕時計を手に取って
時間を確かめる。
(2時……?
昼間にしてはずいぶん暗いな)
暗い室内で手探りでランタンを取り出し、
窓から差し込む月光を頼りに明かりを灯す。
ランタンで周囲を照らしてから、
ようやく俺は気づいた。
違う、深夜の2時だ!
なんでこんなに寝ちまったんだ!?
大きな声で叫んではみたが、
返ってくる言葉は無い。
その瞬間、全身から血の気が引いた。
若葉……!
どこだ、若葉!?
若葉がいないことに気づき、
叫びながら立ち上がった。
若葉が他の部屋にいる可能性を考えて、
とにかく大声を出しながら校内を走り回る。
若葉ー!!
若葉あああああ!!
どんなに叫んでも
校舎には俺の声のみが響き渡り、
若葉からの返事は一向に無い。
(そうだ……!
もしかしたら、若葉は外のトイレに
いるのかもしれない!)
俺は急ぐあまりに、
足を引っ掛けて派手に転んだ。
身体のあちこちにすり傷ができたが、
そんなのは構っちゃいられない。
すぐに立ち上がると、
俺は脇目も振らず校舎を出た。
屋外に出ると、真っ先に仮設トイレへ走った。
しかし……
トイレの扉を開けても、
そこに若葉の姿は無かったのだ。
どこ行ったんだよ、若葉……
愕然として地に膝を突くと、
どこからか……
か細くて小さな、
うめき声のようなものが聞こえた。
……た……けて……。
す……て……
(人の声……?)
その声が横の林から聞こえた気がして、
必死に草をかきわける。
五年もの間放置された林には、
かきわけても、かきわけても、
前が見えないほどの草木が生い茂っていた。
しかし俺は、本能的に気づいたのだ。
この先に……声の主がいる、と。
そして俺は、ようやく見つけた。
助けて……
若葉……なのか?
耀くん……?
そこにいるのは、耀くんなの……?
木の根元に倒れていたのは、
確かに若葉だった。
血だらけになりながらも、
必死に息をしている。
だけど……それが本当に若葉なのか、
一瞬疑ってしまった。
若葉の両手足は、
草で隠れているだけだと思った。
月明かりに照らされた目尻から、
止め処もなく流れ出る血も、
閉じたまぶたが傷を負っているだけだと思った。
だが……。
耀くん……どこ……?
前が、見えないの……
(前が見えないって、なんだ?)
若葉……ここだ!
俺はここにいる!
若葉の言っている事への理解が追いつかず、
若葉の横に駆け寄って手を取ろうとした。
しかし、無いんだ。
何度も若葉の肩から伸びる腕を、
手で探ったが……。
若葉の両腕が、無いんだ。
俺はハッとして若葉のスカートから
伸びる足を探す。
若葉の太ももの辺りに手を置いたときに、
俺は知ってしまった。
手の平にぬちゃ……とこびりつく、温かな液体。
手の平を見返すと、
その液体が鮮烈な赤い色をしていることに
気づいた。
(これは……若葉の血!?)
ふと若葉の周囲を見渡すと、
人間の物と思しき両腕と、さらには両脚。
それらが乱雑に散らばっているのが
目に入った。
まさか……まさか……
信じたくないという思いと、
真実を知ろうとする理性がせめぎ合い、
視線をぎこちなく若葉の肢体へ落とす。
そして俺は、知ってしまった。
若葉の四肢が、切り落とされていることを。
若葉……?
どうして、こんな……
起きたら身体が縛られていて……。
目の前には○○がいたの……
…………え?
その人物の名を耳にして、
聞き間違いかと思った。
そして、○○が……
鎌を振り下ろして……
何度も何度も、振り下ろして……
私の腕と足を一つずつ
切り落としていったの……
なっ……!
私、がんばったんだよ。
途中で気を失いそうになったけど、
きっと耀くんが
助けに来てくれるって……
俺の助けを……
待ってたのか……?
やりきれない気持ちになった。
どうして俺はもっと早く、
目を覚まさなかったのだろう、と。
どうして俺はもっと早く、
若葉のもとへ駆けつけなかったのだろう、と。
お前を助けてやれなくて……
ごめん……
違うよ……。
耀くんは、
こうして来てくれたもん……。
私、助かったんだよ……
そうだ……。
そうだよな!
船が来たら、すぐに病院へ
連れて行ってやる!
お前は助かるんだ!
ありがとう、耀くん……。
でもね……
どうした?
もう、無理かも……
そんなことない!
しっかりしろ若葉!
だって、痛い……痛いよ……。
手が、足が、口が……痛いの……。
目が、一番痛いの……
お前……っ!
目を開けることができないのか!?
開けてるよ、ずっと……。
でも、痛くて何も……
見えないの……
何を言っているのか理解できず、
慌てて懐中電灯を若葉の顔にあてる。
若葉のキラキラとした瞳が……
ポッカリと穴が開いたように、無かった。
若葉の顔に代わりに有った物といえば、
化粧をしたかのように顔中を覆う
大量の血だった。
そんな……!
若葉ああああ!!
俺はぼろぼろと流れ出る涙を
止めることができなかった。
私ね、姫乃ちゃんに
いじわるしちゃったの……。
だからこれは、罰なんだね……
姫乃に意地悪?
なんの話だ?
姫乃ちゃんね、
最期に耀くんを見て……
笑ったよね……?
それがどうしたんだよ!?
姫乃ちゃんは、きっと……
耀くんを好きだったの……。
だから、最期に好きな人の前で……
綺麗な顔を見せたかったんだよ……
どうしてそれが、
意地悪をしたことになるんだ?
姫乃ちゃんが耀くんを
好きっていうこと……
私……あの時に言わなかったの……
姫乃はさ……。
死ぬ直前に、
俺を見て笑ったんだよ。
すごく優しい顔で
そうだったね……。
その前には、何かを伝えようとして
必死に口を動かしてた
犯人の名前を
言おうとしていたのかもしれないね
それもあると思うけど……。
それだけかな?
え?
女の子が死ぬ時に心残りなのって、
やっぱり好きな人のことだと思う。
だから、姫乃ちゃんは……
好きな人?
…………
ううん、なんでもない
姫乃ちゃんの気持ちに気づいてたのに、
いじわるして……
最期の言葉を伝えてあげなかった……
だから私が今、
こんなことになってしまったのは
当然のことだよ……
そんなことない!
お前は世界で一番優しい女の子なのに、
なんでこんな目に
遭わなきゃいけないんだよ!
でも、私……
もう、女の子じゃないよ……
なんでそんなこと言うんだ?
だって、こんな身体じゃ……。
耀くんに抱きしめて貰えない……。
耀くんにキスしてもらえない……
ばか言うな!
俺は、お前がどんな姿になっても
愛してる……!
俺は若葉の背中に手を回し、
壊れ物を扱うように抱きしめた。
耀くん……。
ありがとう……ありがとう……
キス……してもいいか……?
えっ……
でも……
キス、するからな
若葉の頬に手を寄せ視線を唇に落としたとき、
俺は更なる残酷な事実に気づいた。
チクショウ……!
唇まで切り落とされてる!!
キスするの、いやだよね……
嫌なわけないだろ!
俺は、もうあの瑞々しい
桜色の唇がついていない、
若葉の口元へ自分の唇を重ねた。
ッッッ!!
傷口に触れ、痛みのせいか
若葉の身体が大きく跳ねる。
ごめん、痛かったか?
いいの……。
ありが……と、あか…る……くん。
だ、いすき……
俺も!
俺も若葉が、大好きだ!
誰よりも愛してる!
私、も……
あい、して……る……
生ま……変わ……ら、
ま……た……
若葉は幸せそうに口元を緩ませてから、
首をカクンとしなだれさせた。
おい、若葉!
若葉!?
…………
返事しろよ!!
若葉ああああああッッッ!!!!
その後、俺がどんなに叫ぼうが、
若葉の身体を揺すろうが、
若葉が返事をすることは二度と無かった。
チクショー……。
ちくしょうっっっ!!!
俺は地面を何度も殴りつけた。
拳から血が出て、
骨が見えそうになっても殴り続けた。
俺は……っ!
若葉を守れなかった!
最低のクズ野郎だ!!
殺すなら俺にしろよ!
なんで若葉なんだよッッ!!
兄貴が死に、亜百合を追いかけていた晩。
あのとき、若葉に抱きしめられて
ドキドキしたことを思い出しながら、
俺は若葉の胸に顔をうずめた。
若葉……わかばぁ……
そうすると、不思議なことが起こった。
まるで若葉が息を吹き返し、
喋り出したかのように声が響いたのだ。
起きたら身体が縛られていて……。
目の前には○○がいたの……
さっきの若葉の言葉が、脳内で繰り返される。
俺は若葉に向かって、問いかけた。
なあ、若葉……。
本当にアイツなのか……?
あいつが犯人だなんて……!
そんなわけないだろ!?
だって、アイツは……
アイツはっっ!
もう、死んでるんだぞ?
俺は若葉を抱いて、学校まで戻って来た。
そして寝袋に若葉を入れ、
首もとまでそっとチャックを締める。
若葉、待っててくれよ……。
必ず真実を突き止めるからな……
そして俺は、ふたが開いているペットボトルを
徹底的に探した。
(ペットボトルの水には恐らく、
睡眠薬を入れられていたんだ。
それを、俺と若葉は飲んじまった)
(ちゃんと明るい場所で
見ていれば、
そのにごりに気づいていたの
かもしれない)
(だけどランタンの明かりだけで
過ごしていた俺たちには、
水が白く濁っていたことに
気づくなんて不可能だった)
こんな物のために、
若葉は……
ペットボトルを見つけては、
片っ端から中の水を捨てて行った。
なんとしても犯人を捕まえてやる。
……いや、殺してやる
俺は”ある物”について、
ようやく確かめる決心をした。
もしも”あれ”の正体が
俺が思っているものと一致したら……。
(亜百合がどこかへ走り去ったあの晩、
俺たちは雨に降られて
この映画館に駆け込んだ)
(そして、トイレから爆発音がして
そこには……)
俺は確かめるのを後回しにしていた、
“ある物”にもう一度歩み寄る。
やっぱりそういうことか。
なんであの時に俺は
気づかなかったんだ
“ある物”の横に膝を突き、
顔を近づけてじっくりと覗き込んだ。
“これ”をアイツが犯人であると言うには、
物的証拠としては不十分かもしれない。
だが、俺の中で確証を得るには
充分過ぎるほどだった。
犯人は、やっぱりアイツだったのか
アイツを見つけたら……
絶対に、殺してやる。