なんでもっと、
玲也に優しくしてやらなかったんだろう。
あんなに心が弱い奴だと知っていたら、
もっと言い方を変えたのに。
なんでもっと、
玲也に優しくしてやらなかったんだろう。
あんなに心が弱い奴だと知っていたら、
もっと言い方を変えたのに。
なんでもっと、
玲也の気持ちを汲んでやらなかったんだろう。
あんなに繊細な奴だとわかっていたら、
もっと言い方を変えたのに。
今更悔やんだってもう遅いのは、わかってる。
だけど、玲也の死に顔が頭から離れない。
玲也にあんなにも
苦しそうな顔をさせてしまったのは、
他の誰でもなく、俺なんだ……。
廃墟島の5日目《 前編 》
船、こないね……
そうだな……
おかしいね。
最初にここに来たとき、
姫乃ちゃんは船の運転手さんに
『また2日後に』って
言ってたよね?
ああ……。
そう言ってた気がする
日にちを間違えてるにしても、
こんなに待っても来てくれない
なんて変だよ……
両ひざを抱え込むように座っていた若葉は、
顔をひざにうずめた。
そうだな……
俺はというと、船を待つわけでもなく、
ただ、ただ、海の向こうを眺めていた。
ごめんね
何がだ?
耀くんは船よりも、
玲也くんのことの方がショックだよね。
私、帰ることばかり考えていて
嫌な人間だよね……
……いや。
帰りたいと思ってる
若葉のほうが正常だよ
正常……かな?
今は他のことを考えられなく
なってるだけだよ……
お前は正しいよ。
ネガティブなこと考え出したら
キリがねえもん
(こんだけ周りで人が死んでんだ。
いつ若葉が『死にたい』なんて
言い出してもおかしくないぞ)
(なるべく暗い話題から
若葉を遠ざけるんだ)
(でも、正直……。
俺もキツイ。
守る奴がいなきゃ、
とっくの間に死んでる所だ)
(守る奴──か)
ねえ、耀くん。
ひとつ気になってたことが
あるんだ
なんだ?
私が寝てる間に、
耀くん……どこかに行ってること
あるよね
そ、そういうことも
あったかもな
どこに行ってるの?
トイレだよ。
校舎の裏に有る、仮設トイレ
でも、トイレに行くにしては
長すぎない?
トイレで寝ちまうことが
あるんだよ。
あと、スマホいじってたり
ふうーん……
俺を疑ってるのか?
疑ってないよ。
耀くんが、今まで私に隠しごとを
したことなんかないもん
もしかすると、
今は言えない事情があるのかなって
思ったりもしたけど
若葉……ありがとな
ふふっ。
どうしてお礼を言われるのか
わかんないけど、
どういたしまして
俺はいつも若葉の優しさに、助けられている。
だけど、無条件に俺を信じる若葉が
時折怖くなる。
俺はそこまで信用に足る人間じゃない。
若葉が知らない、薄汚い面もたくさんある。
現に今の俺は、
若葉をほんの少し疑っているのだから。
(玲也が死んじまったから、
生き残ったのは
俺と若葉だけ……)
(亜百合と玲也は自殺だったとしても、
兄貴と姫乃を殺したのは
一体、誰なんだ?)
不意に、玲也の言葉が頭をよぎった。
状況証拠ってやつだね。
宮ノ内さんの第一発見者と、
雲母さんの遺書の第一発見者。
これが全部日良さんだ
加えて先生先生が転落死したときに
男女が別の部屋で寝ていた
だから、美崎と僕はお互いの
アリバイが証明できるけど、
日良さんのアリバイを証明できる人間は
もうこの世にいない
(犯人は若葉?
そんな、まさか……)
ねえ、耀くん!
な、なんだ?
ちょっとお散歩に行かない?
へっ……?
まだ昼にもなってないぞ。
船は待たなくていいのか?
ここに目立つように荷物を置いて、
また置手紙をすれば
いいんじゃない?
ああ、まあ。
書き置きしていけば、
待っていてくれるとは思うけど
じゃあ、そうと決まれば行こう!
散歩って、
校舎の中を歩きたかったのか?
うん。
ここに来てから、
ゆっくり見て回る時間が
無かったでしょ?
(無かったのは
時間っていうより、
心の余裕だけどな……)
7階に行ってみようよ。
確か私たちが作った、
島の模型が有ったよね
ああ、ジオラマか。
そんなん作ったなあ
ひぃ、はぁ、ひぃ……。
な、7階まで上るのは
キツイ……
ふう、ふう……。
地上7階建ての学校なんて、
昔は希島だけだったんだってね
最盛期にあれだけ人口密度が
高かったことを考えりゃ、
高階層にして小中学生を一緒にするしか
方法が無かったからな……
まあ、俺たちが小6の時には
ほとんど生徒なんかいなかったけど
だから学年の違う
亜百合ちゃんたちと
同じ教室で勉強したんだよね。
懐かしいなあ……
おっ、有ったジオラマ。
ハハッ、ほこり被ってんな
ここなんか、ほとんど
玲也くんが作ったんだよね。
本当に器用だったなあ……
そうだったか?
兄貴が口うるさく指示して
げんなりしたのだけは
覚えてるんだけど
あれは、耀くんが
先生(さきお)先生の話を
ちゃんと聞いてないからだよぉ
うるせー。
みさきさんはもっと
丁寧に説明してくれたぞ
みさき先生は
いつでも優しかったからね
あっ、こっちは
亜百合ちゃんと姫乃ちゃんが
作った所だ!
千雪ちゃんも
幼稚園が終わったらここに来て
たくさんお手伝いしてくれよね
んで、この倒れてんのを
作ったのが若葉な
ち、違うよぉ!
そこを作ったのは耀くんでしょ?
そうだったけ?
まっ、どっちでもいいや
…………
若葉が倒れた建物を手に取り、
まっすぐに置き直す。
これを作ってるときは、
希島からみんながいなくなるなんて
思ってなかったよね
ああ……。
島を出てくときも、いつかは
戻ってくるもんだと思ってた
耀くんは、
もう一度この島で暮らしたい?
うーん……どうだろうな。
あの頃は楽しかったけど、
今はここには何も無いだろ
そっか、楽しかったんだ……
若葉はそうじゃないのか?
もちろん楽しかったよ。
でも……
ちょっと窮屈に
思ってた所もあったの
みんなが家族みたいにお互いのことを
知ってるのは良かったけど、
ほっといて欲しいことも一杯あって……
はは……。
まあ確かに、部屋の明かりで
夜更かししてたのが近所にバレて、
翌朝おばちゃんから怒られるのは
勘弁して欲しかったけどな
プライバシーがほとんど
無かったよね。
入浴もゆっくりできなくて、
自分の家専用のお風呂に
すごく憧れてたなあ
あー、俺たちの風呂は
マンションで共同だったもんな。
姫乃みたいな金持ちは違ったけど
うんうん。
それにね、小さい頃はどこへ
行っても大勢の人がいて、
息が詰まる思いだったよ
後半は人が減っていくらか
息抜きはできたけど、
島の慣習みたいなもので
みんなに監視されてる感じが
したなあ……
そんな風に若葉が
思ってたのは意外だな。
お前、いっつも明るかったじゃん
玲也くんじゃないけど、
昔は我慢してた部分も
あったかもしれない
みんなと仲良くしないと、
いつ仲間はずれにされるか
わからなかったでしょ?
誰かがちょっとでも
違うことをすると
いじめに遭うっていうの、
島民の連帯感が高いことの
欠点でもあるよね
俺はそういうのまったく
気にしてなかったけどなあ
耀くんは正義感があって
みんなを助けてあげたから、
誰からも好かれてたっけ
そうかあ?
けっこー嫌われてたぞ、俺
そんなことないよ。
よくケンカはしてたけど、
心の底から耀くんを嫌ってる人は
一人もいなかったよ
耀くんってすごいなあ……
って、いつも思ってた。
だから耀くんの側に
居たかったのかも
お、おう。
そうか
ねえ、せっかく7階まで
きたんだし、
次は屋上に行こうか?
……屋上?
うん。
屋上って一回も
入ったこと無いから、
一度行ってみたかったんだ
あー、いや、でも……。
落ちたら危ないから先生たちに
入るなって言われてたし……
あははっ。
この歳になって、はしゃいで
落っこちちゃうことなんて
無いよぉ~
そう言いながら若葉は屋上に続く階段を上り、
扉の取っ手に手をかけた。
あれ……?
開かない
きっと島を閉鎖する時に、
閉めて行ったんだよ
そうなのかな?
せっかく憧れの屋上に入れると
思ったのに、残念……
はは、俺も残念だよ。
さー、次はどっか別の所でも
見に行くか
ん~……そうだねえ。
商店街に行こうか?
おっ、いいな
当たり前だけど、
どこもかしこもシャッターが
下りてばっかだなあ
あっ!
私たちがよく行った駄菓子屋さん。
ここは開いてるよ
本当だ。
入ってみるか
古びた駄菓子屋は当時の面影を残しながらも、
棚やケースが砂埃で薄汚れており、
時の経過を思わせた。
置き去りにされたいくつかの駄菓子からは、
寂しげな声が聞こえるようだった。
これ、よく食べたっけ。
懐かしいなあ。
本土では見かけないよね
食うなよ
た、食べないよ!
食べたらおなか壊しちゃう!
お前は食い意地張ってるからな~。
言わなきゃ食ってただろ?
それは耀くんでしょ……
あっ、リリアンが有る!
一時期だけ、
女子に流行ったんだよね
若葉はほこりまみれになったオモチャを
手に取りながらも、
嬉しそうに笑っている。
(こんな無邪気にはしゃぐ
若葉を見てると、
ちょっとでも若葉を疑った自分が
恥ずかしくなるな)
姫乃ちゃん、亜百合ちゃん、
千雪ちゃん、玲也くんたちと
ここに買い物に来てたよね
あ、先生先生と
みさき先生が一緒に
来てくれたこともあったっけ
あの頃は楽しかったな
うんっ
もう、全部……
元に戻らないんだな……
…………
もしその中で、一人だけ
生き返らせるとしたら……
若葉なら、誰を選ぶ?
むぅ。
難しい質問するね
私なら、
やっぱりみんなを
生き返らせるかな
それじゃ答えになってねえよ
だって人間を生き返らせる力を
持ってるっていうことは、
神様みたいな力があるってことでしょ?
神様なら、どんなことだって
できるはずだよ
お前、変わってるよな
そうかなぁ?
普通ならそういう場合、
誰かを選ぶことなんかできない
って言うだろ
私は、選ぶよ。
みんなを選ぶ。
希島にとっては、
みんな必要な人なの
……そっか。
そうだよな
どうしてかわからないけどね、
またみんなで会える気がするんだ。
ゾンビみたいに生き返るとか、
そういうことじゃなくて……
……って、ごめん。
こんなの現実逃避だよね
いや、現実逃避じゃない。
お前の中で、
兄貴やみんなは
まだ生きてるんだな
ふふっ、そうだといいな。
そうかもしれないね
なあ、お前はどうして
いつもそんなに明るく
いられるんだ?
えっ……?
そんなことないよ。
普通だと思うけど
俺はお前みたいに
前を向くのは無理だ。
一人じゃ無理なんだよ……
俺は、若葉を強く抱きしめた。
あ、耀くん?
若葉……。
俺、やっとわかったんだ
何を……?
父さんと母さんが死んだときにも、
ずっと俺の話を聞いてくれたのは
若葉だった
うん……
兄貴まで死んじまって
正直、吐きそうなくらいキツイ。
だけど兄貴は、お前の中にいる
ってことがわかったんだ
そんなことないよ。
耀くんの中にも、
ちゃんと先生先生はいるよ
お前がそう言ってくれるだけで、
俺の中で兄貴は生き返るんだ
そうなんだ……。
それなら良かった
本当のこと言うと、
一瞬だけお前を疑っちまったんだ。
お前が犯人なんじゃないか? って
耀くんがそう思うのは、
しょうがないよ
俺を許してくれるのか?
うん。
だって……
みんな死んじゃったんだもん。
誰だってそう思うよ
じゃあ、お前も俺を
疑ったのか?
ううん、疑ってないよ。
耀くんは思いやりがあって、
強い人だって知ってたから
俺はそんなやつじゃない。
若葉のほうが、ずっと強いんだ。
俺はそんなに強くなれない
いいんだよ、耀くん。
私に、弱い所もいっぱい見せて?
若葉……
俺は若葉を抱きしめたままに、
唇を重ね合わせた。
若葉は頬をピンク色に染めて、
真ん丸くした瞳でこちらを見上げている。
あか……る……くん?
好きだ、若葉。
大好きだ
……っっ!?
本当は本土に戻って、
すべてが落ち着いてから
答えを出そうと思ってた
でも、気づいちまった。
お前のことが、誰よりも……
みさきさんよりも、好きなんだって
うそ……。
みさき先生よりも?
本当は、子供の時から
好きだったのかもしれない。
だけど照れくさくてさ、
お前のこと好きだって認めるのが
何それ……。
ふふっ、耀くんって本当に
子供っぽいんだから
いいじゃねえか。
今は好きってこと
自覚したんだから
あの、じゃあ……
私たち、両思いなんだよね?
確認しなくても、
そうだって言ってんだろ
えへへ。
これからは、
私だけの耀くんなんだ。
嬉しいなあ
照れくさい言い方すんなよ!
恥ずかしいやつだなっ
ふふっ。
大好きだよ、耀くん
俺と若葉は幸せな気持ちに包まれたまま、
商店街を後にした。
希島に来てから最悪なことしか無かったけど、
若葉と思いを伝え合ったことは
唯一の幸福な出来事だった。
(若葉となら、失った物も取り戻せる。
不幸な出来事は忘れられないけど、
それ以上に幸せになればいいんだ)
俺たちは再び、船着場へ来ていた。
置手紙も、荷物もそのまま……。
船がきた様子は無いな。
一旦、学校へ戻るか
ねえ……。
学校へ戻ったあと、
行きたい所があるんだけど
まだ行きたいとこあんのか?
温泉へ行きたいの
今からか?
歩き回って疲れてんだけど。
明日にしねえか?
だって二日間も
お風呂に入ってないんだよ?
あー、そういやそうだったな。
しゃーねえ、
風呂道具取りに行くか
替わりばんこに温泉に入った俺たちは、
濡れた髪をタオルで拭きながら
学校へ戻って来た。
水が入ったペットボトルを手に取り、
ふたを開けようとしたら
背中に少しの重みを感じた。
トサ……
ふわっとシャンプーの香りが漂い、
背中から体温が伝わる。
若葉が寄りかかってきたのだ。
若葉……?
どうした?
あ、あの。
こういうお願いするの、
すごく恥ずかしいけど……
なんだよ?
えっと、なんて
言ったらいいのか……
じれったいな。
早く言えよ
私と……して欲しいの
は?
”して欲しい”って……?
耀くんと両思いになれたら、
お願いしようと思ってたの
な、何をだ?
私を……
抱いて欲しいの……
俺の背中に、
若葉の額が押し付けられているのを感じた。
そして若葉は、ぎゅうっ……と、
俺の服を握り締める。
だって、こんなに船がこないんじゃ
生きて島を出られるか
わからないでしょ?
だから……最後に、
女の子として生まれて良かった
って思いたいの
何をバカなこと言ってんだよ!
そ、そうだよね。
女の子からこんなこと言うのって、
馬鹿みたいだよね
違う!
俺がバカって言ったのは、
生きて出られるかわからない
って言ったことだ!
若葉は、俺が守る。
だから殺されるなんて考えるな
そう……。
じゃ、じゃあ今日は寝ようか
若葉がこちらに顔も見せずに、寝袋を広げた。
その背中がわずかに震えているように見えて、
若葉の肩をつかんで無理にこちらに向かせる。
若葉!
……っ!
若葉は、泣いていた。
真っ赤になった頬に、涙を伝わせていた。
お前……泣いてるのか?
や、やだ、恥ずかしい。
断られたくらいで泣いたりして、
本当めんどくさいよね
そんな若葉を見て
たまらない気持ちになった俺は、
力強く抱きしめた。
誰が断ったんだよ。
好きな女の頼みを
断るわけないだろ
でも、耀くんは私を
女の子として見れないんじゃ
ないかと思って……
そんなことねえよ。
むしろその逆だ
だって……!
お前には内緒にしてたけど、
本当は……
お前に抱きしめられたとき、
ドキドキしてたんだ
若葉を寝袋の上にそっと倒すと、
涙で濡れたその顔の横に手を突いた。
本当に、いいんだな?
…………
若葉は何も言わずに、首をわずかに縦に振る。
そして俺たちは、結ばれた。
長い、長い時間をかけて、
ようやく結ばれたのだった……。
──それから、
どれくらい時が過ぎただろうか。
俺は脱いだ服をそのままにして、
水が入ったペットボトルを
リュックから取り出した。
(や、やべえ……。
若葉の顔が見れねえ)
気恥ずかしさをごまかすように、
水をがぶ飲みする。
横目でチラリと若葉を見ると、
恥ずかしそうにもぞもぞと
動きながら下着をつけていた。
はたと目が合い、
若葉が顔を一気に紅潮させた。
見ないで!
見ないでって、
今更だろ……
さっきのと、これは違うの!
とにかく見ちゃダメ!
(何がどう違うのかわからんが、
まあ俺も服を着るか)
幸せのような、気恥ずかしいような、
なんだか変な空気の中で俺と若葉は服を着る。
身じたくを整えて満足したのか、
若葉はリュックからペットボトルを取り出した。
お風呂から上がって、
ずっと水飲んでなかったもんね。
あー、のど渇いちゃった
さっきまで恥ずかしがっていたとは
思えない様子で、
若葉があっけらかんと水を飲んでいる。
お前、犬に噛まれたと思って
忘れようとしてないか?
あははっ、面白いこと言うね。
なんでそう思うの?
だって……
さっき俺に迫ってきたときと
全然感じが違うだろ
せ、迫ったって何それ!
変な言い方しないでよ、もう
はいはい、悪かったよ
別に本気で怒ってるわけじゃ
ないけど……。
私のお願いを聞いてくれて
嬉しかったし
私……。
生きてきた中で、
今が一番幸せだよ
若葉……
若葉を抱きしめようと手を伸ばしたとき、
視界がぐらりとゆがんだ。
耀くん……?
耀くん!?
なんだか、頭が……
ボーッとして……
すごく……
『すごく眠い』
そう言い終える前に、
全身の力が抜けて俺は床に倒れこんでいた。
意識が混濁する中で、
最後に俺の視界に入ったのは
その場で倒れた若葉の姿だった。
あ、か……る、くん……
わか……ば……
そうして俺たちの意識は、闇に閉ざされた。