…眠れない。

お父さまが、新しいお母さまと結婚してからだわ。不安で眠れなくなったのは。なんだか、いやな感じがするんだもの…

はあ…
お水を飲みに行こうっと。

あら? あれは…

…………。

お母さまだわ。
何をしているのかしら。

お兄さまの部屋で、衣装タンスをあさっている。
何か、悪いことをしているんじゃ…

これで、よし…

……?

おい。
誰ぞ、そこで見ておいでかい?

森で出会った少女――イライザは、
そこまで語ると、息をついた。

私は慌てて逃げ出しました。
すぐに部屋に戻ったので、姿は見られていないはずです。

翌朝、兄が着替える前に部屋を訪ねて、衣装タンスを調べましたが、おかしな点はありませんでした。
兄は、考えすぎだよと笑って――

私は部屋から出ました。兄が着替えたいと言ったので。
それからすぐです。バッタリ倒れて、体中に羽毛が生え始めたんです!

羽毛? 異変はそれだけ?
白鳥になったって話だったけど、首がぐいーんと伸びて、くちばしがついて、空を飛べるようになったとかは?

人の形は保っています。
でも、羽根は体どころか、顔もおおっているし、抜いても抜いてもなくならないんです。

顔が見えないので、父は兄がわからず、羽毛だらけの化け物がいるという義母の告げ口にだまされて、兄を追い出してしまいました。

私は、兄を追ってこっそり家を出てきたんです。
宿を借りて、兄をかくまい…
昼は町で働いて、夜は森へ。

森へ? なんのために?

兄は、あれからほとんど口をきけなくなってしまったのですが、一度だけ、言ったのです。

星の花、と――

これは…スターワートですね。

私たちの故郷では「星の花」と呼ばれています。きっと兄は、呪いを解くのにこの花が必要だと、倒れる前にどこかで知り、私に伝えようとしたのです。

でも、どう使うのかわからなくて…
煎じて飲ませたり、羽毛の上から塗ったりしても、効き目がなくて…

それでも、必要ならば集めておこうと、毎晩森へ行ってこれをつんでいたのですが…

それを見られて、魔女に間違えられたのね。

はい…でも、私のことは、どうでもいいのです。
兄を、兄を助けてください!

どうです? チバリ様。

毛髪の変性。細工されたのは衣服…
ワルヌースの毒を受けたわね。

ワルヌース?

樹液の毒よ。あれなら肌から入る毒だし、声を出せなくなるっていうのも当てはまるわ。そして、スターワートで解毒できるのも正解。

ねえイライザ。夜な夜な森へ行っていたなら、採ってきたのがこの一輪、なんてことないわよね?

もちろん。この袋にいっぱい、つんであります。

よろしいっ
それだけあれば、十分よ。

じゃあ…!

その代わり。
手伝ってほしいことがあるのよね。

何でも言ってください!
兄の命が何より大切です。この身にできることなら、何でもお手伝いします!

ふふ、いい覚悟ね。
じゃあ言うけど…

アレ、直すの手伝ってくれない?
さっき壊しちゃったのよね…

と、チバリが指差す先には――

無残にも、真ん中から
バッキリ折れたドアがあった。

さて、ワルヌースの解毒法は、この薬術書にも書いたことがあるわ。
ノーラ、94ページを開いてちょうだい。

94ページですね。
確かに、スターワートを使ったレシピがあります。

①花弁をガクから外し、かまどの上で乾燥させる。

はいは~い。

②乾燥させた花弁を、チーズと砂糖、卵白、薔薇水と一緒にし、混ぜる。

えいやっ

③大砂時計の砂が落ち切るまで、かまどで焼くと…

じゃーん!!

④おいしいタルトの出来上がり。

って、あれぇっ!?

それが、解毒薬…?

違う違うわっ。これはただの、おいしいタルト。
どうしてこうなっちゃったのかしら?

確認なんですけど、94ページで合ってますか?

ああっ! ページを間違えてたわ。
49ページ、49ページよ!

でしょうね。
ページの初めに「スターワートを用いて極上の甘味を作る法」とあったので、怪しいと思っていました。

それを「怪しい」で済ますような洞察力の弟子を持った覚えはないわ!
ノーラ、気づいてたでしょう、ページが違うって。言ってよ!!

うう…
命がけで集めたスターワートが…

おいしいタルトに…
なってしまった…っ

ああ、イライザさん、泣かないでください。ほら、甘いものでも食べて元気を出して。

そうよ。おいしいタルトがあるわ。

ううっ…おいしい…っ!

イライザが泣き止むまで、しばし、
おやつの時間とする三人。

あっおいしい。

私のレシピだもの、当然ね!

さあて…
スターワートの生えている場所なら、覚えているわ。今度は〈植物の魔女〉に頼らずに済みそう。

採りに行くのは夜にするわ。
日の高い時間は、ドアを直すのに使いましょう。

夜中にドアを開けっぱなしじゃ、何が来るやらわかりませんからね。
裏から道具を取ってくるので、先に外へ出ていてください。

わかったわ!
さ、イライザ。行きましょう。
薬の対価分は働いてもらうわよ。

はい…でも…

本当に…
薬を作ってくれるのかしら?

不安を残しながらも、やがて日は落ち、
少女は魔女の家で眠りについた。

うわあっ
やっちゃったぁ…

でも大丈夫!
薬は無事よ!

皿も無事なら言うことなかったんですけどね。

それも大丈夫!
同じお皿がまだ二、三枚はあるわ!

二、三枚…?
ダースでそろえたやつですよね…?

日付が変わって数時間、という頃。

イライザは、物音…と言うより、
騒音によって目を覚ました。

…う、何事…?

おや、起こしてしまいましたか。
こんな間近で作業をしていて、今まで起きなかったのも不思議ですが。

ずっと、寝不足だったので…
久しぶりに、ぐっすりしちゃいました。

ゆうべは、ノーラさんが淹れてくれた青いお茶を飲んだら、気絶するみたいに眠れたんです。

それ、気絶したんだと思うわ。

ところで、何をやっているんですか?

何って、ご注文の薬を作っているのよ。

ええっ。こんな時間から?

こんな時間から、じゃないです。
ゆうべ、スターワートをつみに出かけて、帰ってすぐに作り始めたので。

ふうっ。煮詰める時間が長いもんだから、一晩中かかっちゃったわ。
でも、これで完成。壺に移して…

コポ、コポ…

壺の中に、男物のシャツを投入する!

ちゃぽん!

えっ、どうして?

ワルヌースの毒はとても強いから、解毒薬をただ塗るだけじゃ、効き目が薄いんです。

だから、薬をじっくりしみ込ませたシャツを着せて、時間をかけて肌に浸透させるのよ。

毎日昼の十二時にシャツを脱がせて、この壺に浸して、また着せなさい。
六日間それを繰り返せば、お兄さんは人間に戻るわ。

ああ…!

ありがとうございます、本当に!

町を歩くときや、宿に入るときは、魔女狩りに気を付けて人目を避けるのよ。

はいっ!

少女はチバリの忠告にうなずくと、
壺を大事に抱え、魔女の家を去った。

それを見送り、チバリはしみじみと
鍋をひと混ぜ。

それにしても、ワルヌースの毒か。
なつかしいわね。

誰かに使ったことがあるんですか?

いいえ、自分に使ったの。
白鳥変身薬だと聞いていたから、飛行薬を作るヒントになるかと思ってね…
でも、羽根が生えただけだったわ。

それはなんとも、残念でしたね。

でも、夢は見られたわ。
ワルヌースを使うと、夜の短い時間だけ頭がさえて、他は一日中ぼんやりしているの。

そのぼんやりしている時間には、この世のものとは思えぬ素晴らしい光景が眼前に広がっているのよ。
足元が一面キラキラしていて、まるで星が咲いているようなの!

え…それって。
じゃあ、イライザさんの兄君が言った「星の花」という言葉は…

きっとその光景を言ったのね。

でも、スターワートが解毒薬になるのも本当よ。
薬を夢で暗示するなんて、これだから人間の体って面白いわ!

この世のものとは思えぬ素晴らしい光景、か。
そんなもの見ちゃったら、現実に帰ってきたときに退屈でしょうね。

そうねぇ。夢を見ている方が楽しいって人も、中にはいるからね――

アッツ!!

無造作に鍋を混ぜていたチバリ。
中身が跳ね、思わず取り落としたスプーンが
鍋の中に沈んでいく。

あっあっ大変!
救出しなきゃ!

ぅあっつ!!!

火にかけた鍋に手を突っ込めば、火傷するに決まってますよ。

チバリ様みたいな師匠を持つ身じゃ、夢を見る暇もありませんね…

それから、数日後。

チバリの家のドアを、
そっとノックする者があった。

ガチャ!

いらっしゃい。
あら、あなたは――

ふふ、ちゃんと人間に戻れたようね、白鳥さん。

なぜ私が、先日お世話になった娘の兄だとおわかりで?

左手にまだ羽毛が少し。

それで?
私を訪ねてきたのは、お礼を言いにかしら、それとも…?

お願いがあって参りました。

…忘れられないのです。
どうか私を――

もう一度、白鳥にしてください。

 

おしまい

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