翔子

はあっ…はあっ…レ、レム…!

レム

んっ…んっ…んんっ…君…また敏感になったね…

翔子

あうっ!ああっ…ああん…頭が…頭が狂ってしまいそう…!

 不眠症治療を開始して5日目の夜…。今宵も私は盟主に抱かれて気が狂う恐ろしい麻薬の”快楽”へと身を委ねている。
 心まで無くなってしまいそうな強烈な快楽。盟主・レムは激しいオーラルセックスに溺れて、その蠱惑的な美形の顔を私の陰部へ当てて、独特の快感を味わっている。
 瞳が閉じて、彼はその口を陰部へ当てて、まるで貪るように舌を使い、細かく繊細に動かしている。
 ふと、彼の目が開くと、いつもの薄紫色の瞳ではなく、薄紅色と呼ばれるピンク色の瞳の色に変化していた。
 だが、彼はまだ気付いていない。
 思わず、瞳の色が違うことを指摘した私。

翔子

あの…目の色が…

レム

何だい…?

翔子

目の色がピンク色に変わっています。まるで薄紅色に…

 その言葉を聞いた瞬間。
 突然、彼がオーラルセックスをやめて、傍らに何気なく置いてある鏡を覗き込んだ。
 そして、突然、自分の左手を見る。
 今まで不思議で仕方なかったことだけど、彼は身体を重ねる行為の時でも実は左手だけは真っ黒な手袋を填めていた。
 それは薄い革で出来た手袋だから、行為をする時でも、その花びらの感触は味わえた様子だからずっと填めていた。
 どんな時でも、行為をする時までも。
 その手首には何やら結束バンドみたいなもので厳重に縛られている。まるで何かを封印するように。
 突然、彼は自分の瞳の色が薄紅色に変わって、その左手を握り締めるように見つめている。そして、そのまま彼は急いだ様子でどこかに行ってしまった。

翔子

レム!

 彼が洗面台の前で喘ぐように身体を預けて、うずくまってしまっている。
 左手を抱き締めるように抱えて、それをまるで治療するように押さえつけて、水にまで濡らしてしまっている。

レム

来ないでくれ

レム

今夜は…すまないが…ここまでだ

翔子

どこか具合でも悪いのですか?

レム

君には関係ないことだ

翔子

でも

レム

いいから。今夜は一人にさせてくれ

 彼は洗面台に顔を向けたまま、珍しく邪険に私のことを扱った。
 その声は苛立ちに満ちている。初めて私は怖いと思った。
 彼は流水でその左手を流している。目がまだ薄紅色に輝いている。まるでその自分に苛立つように、鏡を見つめていた。
 何だか息遣いまでもが荒くなっている様子だ。
 私は所在なく部屋を後にした…。

 私が部屋から出ていき一人になったところで彼は忌々しくこう吐き捨てたと言う。

レム

くそ…っ!また例の症状が、出たか…!

 そして、自分の左手首に填められた手袋を外して、そして見つめた。そこには見るも無残なリストカットの傷痕がくっきりと残っていた。

レム

こんな傷痕…無くなってしまえばいいのに…

 そして自分の左手をまた治療するように右手で包み込んで、そして密かに彼は涙を流した。
 この夜はずっと、薄紅色の瞳の彼がそこにいた。

 そうして、朝が来た。
 どんな夜だって、朝は必ず来る。快楽の夜でも、そうでもない夜でも。
 私とリリアは今日も1階の食堂で朝食を食べている。
 昨夜は波乱の夜だったけど、明るい声が響くいつもの食堂…。でも私は薄紅色の瞳になった彼がどうしても気がかりで仕方ない。
 何故だろう?あんな設定…書いた覚えがない。だけど、何となくイメージが浮かんでいたこともある。
 リリアはそんな私を気遣って、柔らかく声をかけてくれた。

リリア

どうしたの?翔子ちゃん?

翔子

ねえ…?リリアさんは見たことがある?薄紅色の瞳をしたレムを?

リリア

ああ…あの症状ね?

翔子

”症状”?

リリア

私も何回か見たことあるの。そういう時はいつも、行為を中断していつも洗面台に向かってしまってらしたわ…

翔子

やっぱり見たことがあるんだ…。あの”症状”はなに?

リリア

私もそれが何かはわからない…。ただ、いつも左手を漆黒の手袋で包んで何かを隠している様子に見えた。初めて抱かれた夜もあの人は左手だけ漆黒の手袋を填めていて、何故外さないかと質問したら…”これは見ない方がいいもの”とだけ答えていたわ…

翔子

義手?

リリア

ううん。義手ではないみたい。きちんとした左手だよ?だけど、そのことを聞かれたくない様子だからあえて聞かないでいたの…

翔子

何で、突然、瞳の色が変わってしまうのかな?ねえ?リリアさん?

リリア

何でなのかな?いつもは薄紫色なのに、ピンク色に変わるといつもあの人は…それを見られたくないように人前から姿をくらましていたわ…

翔子

アドニスなら知っているかしら…?

リリア

それはおおいに考えられるかも。アドニスはレムのことを結構知っている様子だから…訊いてみよう?

翔子

うん。そうだね

 二人して朝食を食べ終えた私達は、アドニスを探しに向かった。

 彼は兵士たちが剣の修行をする道場に姿を現して、一般兵士たちに剣の修行をさせている光景があった。

翔子

おはようございます。アドニスさん

アドニス

ああ、これは、お二人とも。おはようございます

アドニス

どうしたのですか?

翔子

あの内密で訊きたいことが…

 そのことを耳打ちした私達に彼は何やら神妙に頷いて、そしてこう促してくれた。

アドニス

その件につきましては、後ほどご報告いたします。2階の書庫でお待ちください。そこで話しますから

翔子

わかりました

 その1時間後だった。
 アドニスが書庫に現れて、そして秘密のからくり部屋の扉を開けて、そこでレムの過去を話してくれた。
 ”薄紅のレム”と呼ばれていた頃の時のことを。

アドニス

あれはまだレム様の奥様がいた頃でした…

 その頃の彼には愛妻が存在していた。その頃の彼の瞳の色は薄紅色の瞳だったという。
 そして、毎夜の如く、彼は妻の身体を求めていた。まるで麻薬の禁断症状のように、毎夜の如く。
 そして妻はその苛烈なセックスをさせられ、まるで拷問のような恐ろしい快楽を身に受けていたという。
 だが、妻にとって”拷問”だったという。彼の愛の交換は。時には暴力的な面が表に出て、それこそ”拷問”を受けたという。身体的な暴力を振るわれたのだ。
 そこで妻は彼を殺そうとセックスの合間に刃を向けたという。
 刃を向けられた夫は気が動転して、そしてその刃を向けられたことにショックを受け、彼もまた刃を向けてしまった。
 壮絶な夫婦喧嘩の後……妻はそこで別れると言った。
 レムはそこで”これ以上君と共にいても殺し合うだけだな”と言い、その場で離婚。彼らは別れた。
 だが、唯一、信じていた者に刃を向けられた傷は、彼を苛み、彼はその左手首を斬るようになった。リストカットを繰り返しては彼は自らの治療魔法で傷を塞いでいたという。
 だが、その傷痕は魔法をもってしても残ってしまい、彼はその傷を意識的に忘れる為に”薄紫色のレンブラント”という人格を自ら生みだし、暗示をかけたという。
 魔法による暗示で、彼は”薄紫色のレンブラント”となって、あの普段見ている”盟主レム”が誕生したのだという…。
 それが特にセックスの合間に”薄紅のレム”が表に出てその度、彼はあの”忘れられない記憶”がよみがえり、血を流して泣いたあの時を思いだしてしまっているのだという…。
 その傷痕は他人が見るとおぞましいものであると悟った彼は、常に片方にだけマントを羽織って、配慮をしたという。
 そして漆黒の手袋を填めて、彼はその忌まわしい記憶を、忘却の彼方に置いてきた。
 そうして、”薄紫色のレンブラント”として今を生きている…。

アドニス

いわば”薄紅のレム”は自分の手で葬り去った自分自身。あの方は無意識のうちに”薄紫色のレンブラント”になってこの時間を生きている…そういうことだと思います

リリア

そんな凄惨な過去が…

翔子

信じていた者に殺されそうになるなんて…悲しすぎる…

アドニス

あの方は心を開いているようで、心を隠しているのです…。もう誰にも裏切られたくない。だから、そうなる前に心を隠そう…。そう決めているのでしょうね

翔子

あの突っ張った性格も?

アドニス

”薄紫色のレンブラント”がそうさせているのです。本当の彼は”薄紅のレム”。誰よりも純粋で、誰よりも繊細で、ガラスの心の持ち主です

アドニス

でも、誰よりも”愛”を欲しがっていた人物でもあります。ずっと、孤独で、雨の日は最悪な想い出しかないといつも、雨の日はそう呟いています

アドニス

この世界を誰よりも憎んでいるのはきっと彼です。だけど、世界を憎んで破壊することを望んでいない彼は、自分自身を”殺して”きました。そして今でも苦しんでいる。それが不眠症になってしまった原因ですね…

リリア

そんな過去があるなんて言ってなかった…。あの人…

アドニス

この傷を治せる人はそんなにはいません。それこそ、けして裏切らないような人にしかあの人は心を許さないかも知れません

 その”けして裏切らない人”というのは、私しかいないと思う。
 翔子は思った。この世界の作者以前に、その男性を求めていた自分が、その傷を癒して、泣いてくれるのを望んでいた。
 元居た世界でゲームに親しんだ彼女は、それに似た主人公を思いだす。
 娼婦で自らが生きるためには殺しをも辞さない態度の女性は最期、世界を呪って災厄を生みだしてしまった。
 救いのない人物だったが、それに似たのかも知れないと思う。世界を呪った人物は結局は最後、竜に生命を奪われることでその災厄を終わらせたのだ。

 そうか…。だから私は…。
 それをさせない物語を描きたいからそれを書き始めたのだ。この”小説の世界”を。
 自分の役目が見えた翔子は、今夜、”薄紅のレム”に会おうと思った。外には憂鬱な雨がいつの間にか降り出していた。

 夜。雷が轟き豪雨が降る嵐の夜。
 今夜の彼は憂鬱な気分だった。雨が降る時は最悪な日だ。最悪な想い出しかない。だが、そこで思いだす。ならば晴れの日は最良だったとでも?そうでもない…と苦笑を浮かべる。
 ふと鏡を見ると、今夜の自分は”薄紅のレム”になっている。そんな時、合鍵を持っている翔子が来た。
 こんな時の自分を見られたくない。彼は退室を促した。目を閉じて。

レム

すまないね…。今夜は誰の顔も見たくないんだ…。部屋を出て欲しい…

 だが、首を振る翔子。そして”彼”の名を呼んだ。

翔子

”薄紅のレム”。出て来てください…

レム

その名前は…?誰から聞いた?

翔子

誰でもいい。お願いだから出て来て。話を聞かせてください。一人で悩まないで、話を聞くだけなら出来るから出て来て?お願い

 目を開いた。目の前には確かにいた。”薄紅のレム”が。綺麗なピンク色がかった赤い目の男性が。

レム

……君は誰?

翔子

私は…

 レム・レンブラントの中に、”薄紅のレム”と”薄紫色のレンブラント”が対立している。

レム

出てくるなと言っているだろう?俺は貴様を殺したんだ

レム

違うな。お前は演じているだけだ。”薄紫色のレンブラント”を

レム

違う…!俺は貴様など知らない…!

レム

知っている癖に。知っているからセックスの合間に出てやっているんじゃないか

レム

来るな!俺はもうこれ以上、傷つきたくないんだ

レム

そうだな。お前は誰よりも純粋だ。剥き出しの魂を傷つけたくないと思っている

レム

来るなよ…!俺は…もう誰にも裏切られたくないんだ

レム

その目の前に”裏切らない女”がいるのに?

レム

彼女もお前と同類だ。裏切りたくないし、裏切られたくもない。いい加減、突っ張ってないで、正直になれよ

レム

その傷痕を見せても彼女は笑わない

 傷痕…。私は…。いや、俺は…?

レム

少し、話してもいいかな。どうでもいい、俺の世間話だけど

翔子

話してください…

レム

すまないね。俺さ、昔、結婚していた時があった。かなり昔、もう10年以上も昔のことだ

レム

あの時から俺は”淫乱”だったかもしれない。でも、身体を重ねてただ一緒にいたかった。それだけだった。でも彼女は”もうセックスするのは嫌だから別れる”と言いだした。そんなの俺には理解できない。何故だって聞いたら”こんなの暴力だ”って言われた

 薄紅のレムは悲しそうに話す。少年のような眼差しで悲しそうに話した…。微かに涙が溢れて来ている。

レム

避妊にも協力しなかったから…。望まない愛の交換をして、最後には喧嘩になった。あの時俺は信じていた者に殺されそうになったんだ。俺も気がついたらナイフを手に持っていた。醜い争いをした後、その夜。こんな雨が降る夜、永遠に別れた。だけど悲しくてしょうがなかった。雨が降る度、俺は手首を斬った。後で気づいたら血だらけになって治療魔法を唱えても…血が止まらないんだよ…

レム

その度に俺は泣いていた。何で、血が止まらない?何で、痛いのか?って…

 
 彼はそこで漆黒の手袋を初めて外した。他人の目の前で。酷いリストカットの傷痕が見えた。彼はその傷痕を右手で隠す。

レム

そんな日が何日続いたのか…。俺もわからない。だけど、このままでは俺は世界を呪って自分で死ぬかも知れないと思って、自分に魔法をかけた

レム

まともな理性を持った”薄紫色のレンブラント”を生みだした瞬間だった

翔子

傷痕を見せてくれませんか?

レム

ダメだよ。君が嫌になってしまう

翔子

見たいの。嫌にならないから、見せて…触れさせて

レム

……

 彼はその隠した右手をどけて、翔子に見せた。酷いリストカットの傷痕。目を閉じている。
 彼女はその傷に触れてみた。独特の刃物で刻んだ後の生々しい傷痕だ。かさぶたが出来ている。まだ傷は消えていない。
 その傷だらけの腕を撫でて、胸に抱き締めた。

翔子

その傷を癒すことが出来ないでしょうか…?私に…?

レム

君は…

翔子

孤独にさせないから、孤独にしないでほしいの。独りぼっちは嫌。あなたと一緒にいたい

翔子

そこにいるのが、”薄紅”でも”薄紫色”でも構わない。あなたはあなただから。お願い…一人にしないで

レム

……やっと会えたような気がする。そう言ってくれる人を

 そこには、また”薄紫色の瞳”をした彼が目の前にいた。

レム

俺を一人にしないでくれよ。もう誰とも別れたくないから

 最後に彼は彼女をきつく抱きしめて自分の胸に抱かせた。
 もう、誰とも…。ただ、いつの間にか身に付けてきたアロマのペンダントが彼女の首に下がっている。そこから美しい花の香りが漂ってきた。
 花の中の花と言われるイランイランの香りだった。そのペンダントが抱き締めてもらっている胸に輝いているのを見た、レムだった。
 

レム

キスしようか?

 一言だけ言って、彼は深いキスを…濃厚なキスを交わし始めた。
 雨は、切なくだけど、今夜は優しく降っているような気がする。

 雨の日は最悪な想い出しかない。けど、今夜からは違う。これは最良の想い出だと彼は想った。

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