⑨小野小町
⑨小野小町
トオルの風邪もようやく治ったある日の放課後のことである。
今日こそは早く帰りたいなあと思いつつトオルが教室に入ると、やはりそこには生物教師笹塚がいるのだった。
やはりか・・・
トオルも、もう慣れてしまった。
さあ、始めようぜ!
・・・
気のせいだろうか、今日の笹塚先生はいつにも増して目がきらきらと輝いているようだ。
(え? なに? なんなの?)
笹塚先生はさっそく本を開く。
花の色は うつりにけりな いたづらに
わが身世にふる ながめせし間に
はなのいろは うつりにけりな いたづらに
わがみよにふる ながめせしまに
ん? なんかこれ、聞いたことがあるような
トオルが古典の授業を思い返していると、横で笹塚先生は身を乗り出してきて興奮気味に言った。
だろ? だろ?
笹塚先生のテンションは、これまでに無く高いようだ。
それは、生徒であるトオルがこの和歌に興味を示したことによって、教師としてのスイッチが入ったためのようだった。
この歌にはな、二つの意味が含まれているんだ
(・・・単に知ったかぶりしたいだけじゃないか?)
そうともいう。
笹塚先生は軽い足取りで黒板へと向かう。
(ふだんの授業でもあんなにはしゃぐことないのに・・・)
はやくもしらけ気味の生徒は、正直いって早く帰りたかったが、教師のやる気をむげにもできないので、とりあえず最後までつきあうことにした。
まず一つ目の意味は
・桜の色は長雨でいたずらに色あせてしまった
そして二つ目は
・私の美しさは長い年月でいたずらに衰えてしまった
そこまで笹塚先生が説明したところで、トオルは口を開く。
なるほど。二句切れで、二つの意味を
持つ掛け言葉を多用しているんですね
え? 急にどうした?
うろたえる笹塚先生。だが、トオルは先だって授業で学習したばかりなので内容を覚えていて、それを言っただけなのだ。
トオルは内心、今日は早く帰れそうだとほくそ笑んだ。
じゃあ最後に先生から一言、どうぞ
おう
オホン、とあらたまって笹塚先生は言った。
いろいろ、あったなぁ
・・・え~
そりゃないわ~
この句、どっちが先だったんですかね
あ? ん? どゆこと?
え、あ、いや、この句の、二つの意味のうち、小野小町はどちらを先に思いついて作ったのかな~と思って
・・・よみが深いなぁ
笹塚先生はそう言い残して教室を出て行ってしまった。
・・・アレ?
その姿を見送ってトオルは、思った。
ーーーなんか俺、深みにはまってる?
その日はトオルにとって、不安な放課後となったのだった。