14 思い出のハジマリ4

 エルカは黒髪の少年と並んで歩きだした。


 学校の廊下を誰かと並んで歩くなんて初めてだったので、少しだけ緊張する。



 少年の表情も心なしか緊張していた。


 こちらは、女の子と並んで歩くことに対する緊張だった。


 緊張をほぐそうと考えた少年が口を開く。

いつも思うけど、下らない嫌がらせだよな? 今回はどうして辞書を運ぶことになったか聞いても良いかな

エルカ

私………放課後は図書室で本を読んでいます。それはみんなが知っていることですよね。だから、図書室に行くなら、ついでに持って行ってって………

言われたのか?

エルカ

………うん

酷いな!

エルカ

……っ

 強く声を放ったので、思わずビクリとした。

 だけど、それはエルカに向けられた言葉じゃなかった。

 だから、余計に驚いてしまった。

エルカ

みんな、忙しいから仕方ないです

忙しいって?

エルカ

…………きっと……忙しいから……

 彼女たちが何をしているのか、エルカは知らない。


 きっと遊ぶための時間が忙しいのだろう。


 周囲に誰がいるのか分からない。

 そんな状況で彼女たちを批判する言葉は避けたかった。エルカは慎重に言葉を選んでいる。

あいつら、校門でバカ騒ぎしていたけど、あれが忙しいのか? 女ってわからないな

…………って、君に言っても意味ないか。大声出してごめん。なんだか、驚かせてばっかりで、本当にごめん

 エルカが委縮していることに気付いた少年は、慌てて肩をすくめた。


 そんな少年を不思議そうに見上げる。

エルカ

(この人………あの子たちのことを怒っている?)

エルカ

(私………謝罪された………よね)

 こんなことは初めてだった。


 この校内で、エルカの前で誰かの悪口を言う人なんて……


 謝罪の言葉を述べる人がいるなんて……


 胸の奥が暖かくなった。


 そう思ったら彼に対する警戒心が急速に溶けていく。

エルカ

(この人は、大丈夫かもしれない)

 エルカは覗き込むように少年を見上げた。


 艶々とした黒髪に、飲み込まれそうな黒い瞳がとてもキレイだと思った。



 エルカは口元に笑みを浮かべる。

エルカ

そんなことないです。ありがとうございます

………っ

エルカ

うん? どうしたのですか

 急に顔を赤くする少年にエルカはコロンと小首を傾げる。

……笑えるんだね

エルカ

笑えますよ。人間だし

 エルカは眉間に皺を寄せて、彼を睨む。
 

………笑った方が、良いよ

エルカ

え?

その………君は笑った方が………良い顔をしているって思う。その顔は好きだな

エルカ

………っ

 突然、何を言い出すのだろうか。


 彼がそんなことを言い出すものだから、エルカの顔も赤くなる。


 無意識に両手で顔を覆う。

エルカ

あなた、目が悪いんじゃないですか? どこをどう見れば、そんな言葉……

視力は良いよ。本当のことだ

エルカ

そんなこと………誰にも言われたことが……ないです

そ、そうなのか? ごめん……戸惑うようなこと言って……ごめん

エルカ

あ、謝らなくても良い……です。謝りすぎ……です

そっか?

エルカ

お、男の子ってもっと怖いのかと思っていました

 女子生徒たちは、嫌がらせばかりしてくる。


 男子生徒たちは、遠目で見ているだけで何を考えているのか分からない。


怖いのは女の方だと思うぞ

エルカ

……私も怖いですか?

お前は全然怖くないさ……むしろ…………

エルカ

むしろ?

 少年は、ジーっとエルカを見る。

 身長は低い。他の女子たちと比べても小柄だと思う。

 外見が幼いから同じ歳とは思えない。

…………弱そうだ

エルカ

うーん…………間違いではないけど。ちょっと酷いです

ごめん、ごめん。あ、図書室についたな

エルカ

ありがとうございます。後は司書さんにも手伝ってもらうので大丈夫です。えっと………

ルイ

ルイだよ。ルイ・バラン。一応、クラスメイトなんだけど

エルカ

クラスメイトの顔は同じ顔にしか見えないです

ルイ

おいおい

エルカ

だって、覚える必要なんてないですから

ルイ

そうだけど、少し寂しいぞ

エルカ

ごめんなさい。でも、大丈夫。あなたのこと……、ちゃんと覚えた……です

 そう言って、ルイを正面から見る。

 この顏を目に焼き付ける。


 この人は優しい人だから大丈夫だと、心に刻み込む。

ルイ

あ……それと、さ……敬語、慣れていないならやめなよ。なんか変な感じなんだよな

エルカ

でも……男の人だし。知らない男と話すときは隙を見せるなと言われてます

ルイ

男だからって敬語にする必要ないだろ。クラスメイトなんだぞ

エルカ

………わかった。ありがとう………ルイくん

 名前を呼ぶと、ルイは目を見張った。

 エルカは首を傾げる。

 そしてあることに気付いて口に手を当てた。

エルカ

(……家族以外の人の名前……呼んだのって……久しぶりだ)

 そう思ったら、恥ずかしさが膨らんできた。


 一方のルイもあることに気付いて、顔を強張らせていた。

ルイ

(名前……初めて呼ばれた……クラスの女たちに名前を呼ばれていたけど……やっぱり違う)

エルカ

(この感じは)

ルイ

(この気持ちは)

 くすぐったい…



 二人は、ハッとして視線を交わして、そして微笑み合う。

ルイ

気にするなって、何かあったらいつでも声かけろよな。エルカ

エルカ

うん。わかったよ、ルイくん

 それは、初めて言葉を交わした日の記憶。


 二人の心が繋がった、はじまりの日の、いつもよりも暖かい放課後の思い出。

第4幕-14 思い出のハジマリ4

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