13 思い出のハジマリ3

エルカ

………

 歩きながら、エルカは眉間に皺を寄せる。


 本を抱える両手が痛い。

 一度に持ち運ぶなんて無謀だったようだ。


 一歩進むごとに重みが増している。そのような錯覚を抱いていた。





 この辞書には鉛でも仕込まれているのではないだろうか。


 嫌がらせのために持たされているのだから、有り得ないこともないだろう。


 エルカがそんな疑いを持ち始めた時、背後から声がかけられた。

いいかな?

エルカ

……っ

 図書室は、まだ先だというのに油断をしていた。

 声をかけられたことに驚いて、バランスを崩してしまう。


 積み重ねられた本の数冊が、スッと斜めに落ちていく。




 いけない!


 このままでは床に落ちてしまう。






 辞書はスローモーションのように床に吸い寄せられる。




 落ちて破損してしまったら……





 そう思ったけれど、両手は塞がったまま。

 どうすることも出来なかった。

……っと

 本が床に落ちる直前だった。

 声をかけてきた少年の手が間一髪で本を受け止めた。

大丈夫か? 半分持つよ

 拾い上げた数冊を持って、微笑む少年。

 エルカは警戒するように睨んだ。



 黒い髪に黒い瞳の少年は、どこかで見たことがあるような気がした。


 他人の顔をいちいち覚えていないエルカにとって、自分と家族以外の他人は全て警戒の対象だ。

エルカ

ダメ!

え?

 強く拒否された少年が目を瞬かせた。

 エルカは少し考えてから言葉を続ける。

 ここで彼を怒らせて、女王様に告げ口でもされたら大変だ。

 慎重にならなければならない。

エルカ

あ……怒らないで……ください。これは私が頼まれたことなの……です。だからあなたが持ったらダメ……って言いたかっただけです。ごめんなさい

 どうにか声を出して、伝えたい言葉を口にする。

 ちゃんと伝わっているのかは、分からないが彼を怒らせてはいけない、とエルカは感じていた。

頼まれたって……どう見ても嫌がらせだろ?

エルカ

………

 エルカもそれぐらいは自覚している。

 言われなくても分かっているし、傍から見ても分かりやすいだろう。



 エルカが彼女たちから嫌がらせを受けることは周知の事実。


 周囲は見て見ぬふりをして、何かをしてくれたことはない。


 それが当然だった。


 当然のことを他人に指摘されたことがなかった。


 こういう時、どう反応すれば良いのか分からない。



 少年は軽く息を吐いて、呆れたという顔をする。

……そんなに持っていたら、また落としてしまうよ

エルカ

 言いながら、エルカの手にあった本をスッと持ち上げる。


 あまりにも素早い動作に驚いたエルカは、茫然と立ち尽くしていた。


 見上げると、彼の苦笑が目に映った。

あいつらのことなんか気にするなよ

エルカ

で、でも

僕が勝手に持っているんだからさ。うわ……こんなの持っていたのか? 重かっただろ?

エルカ

………うん

 流石に無理に抱え過ぎたとは思う。

 だけど、借りていた本の続きが気になっていた。
 
 それに数冊を教室に残していけば女王様たちから嫌味を言われる気がしたのだ。

まぁ、一度に持って行かないと嫌味言ってきそうだからな

エルカ

………だから、私が持たないと

だからって……君みたいな子に、こんな重いもの持たせられるかよ

エルカ

で、でも……そんなことをすれば……あなたが苛められますよ

そんなのは怖くない

 少年はきっぱりとそう言った。


 そして、こちらを安心させるような笑みを見せる。

エルカ

本当に良いの?

もちろん

エルカ

あ、ありがとう……

いえいえ

 本は全て彼の手にあった。


 エルカが苦労して持ち歩いていた本を、彼は軽々と持っている。


 これが、男と女の差なのだろうか。

 でも……

エルカ

(私に優しい人間がいるなんて……信じられない)

 エルカは他人を信じられない性格だった。


 兄のナイトに言い聞かされていたこともある。



『無闇に人を信じるな』と……そう言い聞かされていた。


 だから、油断は出来ない。

エルカ

(こういう親切も。きっと嫌がらせの一種だよね)

 彼が本を落として、それが破損したら………

 全部エルカの所為になってしまう。

 教師たちに叱られ、あの子たちに笑われる。

エルカ

(それに、何よりも本を傷つけるなんて、私には出来ない)

 慎重に彼を見る。

エルカ

………

そんなに怖い顔するなって……落とさないから心配するなよ

エルカ

本当ですか? 疑ってごめんなさい……ただ、私に親切してくれるなんて……信じられないので

本当だから、信じてくれ

 あまりにも真剣な表情で告げられたので、エルカは静かに頷いた。

エルカ

……わかりました

それで、これは図書室で良いのか?

エルカ

はい

第4幕-13 思い出のハジマリ3

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