4-08 闇の中で
4-08 闇の中で
本を開いた瞬間、エルカの視界を漆黒の闇が覆う。
黒 黒
黒 黒
黒 黒
黒 黒
黒 黒
黒 黒
右も左もそれ黒、それ以外は何も見えない。
闇の中にいるのだとエルカは理解する。
視線を下に落としても、黒い闇が広がっているだけ。
足元の感覚はフワフワとしていて、変な感じがした。
立っているというよりも、浮かんでいる感覚に近いのかもしれない。
図書棺の扉を開いた時も似たような状況にあった。
あのときは、足元には床の感覚があった。
地に足をつけているという感覚があったから安心できた。
今回はその感覚がない。
一歩、一歩、前に踏み出してみた。
そのはずなのに前に進んでいる気がしなかった。
後ろに進んでいるのかもしれない。
前に踏み出しているのに、どうして……
足音も聞こえない。聞こえてくるのは自分の呼吸だけ。
本を開けば過去が見えるはずだった。
その過去が黒い世界だというのはおかしい。
何度、瞬きをしても、何も変わらない。
闇が広がるだけ。
エルカは冷静に頭で考える。ウツロが嘘をついていたのだろうか。
この本は良くない本だったのかもしれない。開いてはいけない本だったのだ。
……ちがう
ウツロを疑うことで現実から逃げてしまうところだった。
エルカは再度、闇を凝視する。
考えられる可能性……現実世界で身体が死んでしまったのだろうか。
身体が死んでしまったのだとすれば。
今のエルカは魂だけの存在ということになる。
だから、足が地面についていないのだ。
魂だけとなった後は、どうなるのかエルカは知らない。
今の状況がそれなのかもしれない。
死を迎えた魂は、闇の中で永遠を過ごすというのだろうか。
死んだら本になると祖父は言った。
それでは、本になるとは、どういうことなのだろうか。
そこまで考えたら、背中に一筋の汗が流れた気がする。
自分は死んでしまったのだろうか。
そんなのは嫌だった。
………
エルカは己の死に関しては恐怖を抱かなかったはず。
自分の死を利用して母親に自分の存在を認識して欲しいだなんて……我ながらずいぶん歪んだ思考を抱いていた。
それなのに、闇の中に一人でいることが、怖いと感じた。
今は死に対する恐怖も抱いている。
孤独は、こんなにも怖いものだったろうか。
闇は、こんなにも恐ろしい世界だったろうか。
(このまま、ずっとここにいるの?)
たまらずに、自分の手で自分の身体を抱きしめる。
身体の震えがおさまらない。
(そんなのは、嫌だ。ひとりは、嫌だ)
幼い頃から一人だった。
だから、一人で過ごすことは苦ではなかった。
だけど、本当は怖かった。
図書棺の扉を開いたときはソルが一緒だった。
ソルが現れたとき、心の奥底ではたまらなく嬉しかった。
プリン王子の世界に迷い込んだときは、ナイトがそばにいた。
あの時のエルカは彼が兄であることに気付いていなかった。
それなのに、何者かもわからない彼を疑いながら、同時に安心感も抱いていた。
現実世界でも、二人の兄は近くに居た。
だから、一人ではなかった。
だけど、今は一人だ。
きっと、この先もずっと。
そう思うだけで、手が震えてしまう。
………っ
ふいに、誰かに腕を掴まれた。
エルカは反射的に肩をビクリと跳ね上げて、静かに顔を上げる。
………
そこに居たのはルイだった。
最初は、ぼんやりと……しだいにその姿が鮮明に見えてくる。
人の中に容易く溶け込んでしまうような、地味な少年の姿が目に映る。
彼は気遣うような視線を向けてきた。
……ルイくん……
ぼんやりしていたけど、大丈夫?
うん……私、一人なのかと思っていた
おいおい………君が言ったんだろ? 一人じゃないって
………あ
最初は暗闇で何も見えなかった。けど、エルカが側にいるって思ったら、そうしたら君のことも見えたんだ
ルイはそう言って微笑んで見せる。
エルカはハッとしてルイを見上げる。穏やかな彼の表情が目に映った。
私の言葉を信じてくれたの?
君の言葉は信じるよ
その言葉で、気が付いた。
エルカは自分の言葉を信じていなかった。
一人ではない。
そう彼に言いながら、自分は一人なのだと思ってしまった。
だから、何も見えなかった。
すぐ側にいる彼のことも見えなかった。
危うく闇に飲まれるところだった。
ルイが一緒だということを忘れてしまったから。
一人ではないということを忘れてしまうところだった。
ウツロの言葉を忘れてしまうところだった。
(自分が一人ではないことを忘れてはダメ……貴女には味方がいる、そう言ったのに忘れちゃったの?)
(ごめんなさい……大丈夫……思い出したよ。今の私は、一人じゃないってことを)
記憶の中でウツロが優しく微笑んでいた。
彼女はここにはいない。これは記憶の中のウツロの言葉だ。
エルカは目を閉ざし、記憶の中のウツロに謝罪する。
ウツロは呆れ顔を浮かべながら、ポンポンとエルカの肩を叩いた。
重い瞼を開くと、目の前にはルイの姿があった。
彼は微かな笑みを向けてくる。
エルカが自分を信じられなくても、僕は君を信じているから。だから、一人にはさせないよ
…………
でも、一人にさせたのは僕だったね
そう言って苦笑するルイの横顔を見上げる。
彼は苦しそうな表情を浮かべていた。
……どうして、そんなことが言えるの?
………
……そうだったね、その答えをこれから見るんだよね
似た者同士の二人は、言いたいことを伝えることができなかった。
それを知る為に、ここに来たことを思い出す。