04 図書棺の魔女
04 図書棺の魔女
――バサッ
二人の目の前に、一冊の本が落ちてきた。
唐突のことだったので、エルカはルイと顔を見合わせて首を傾げる。
部屋の隅にいるナイトに視線を向けると、彼も怪訝そうな視線を本に向けていた。
この本についてナイトも知らないらしい。
これは?
これは……あなたたちが体験した事件に関する記憶の本よ
誰にともなく呟いた問いに、答えが返ってくる。
エルカは声が聞こえた天井を見上げた。
途端に、淡い光が視界を覆い、眩しさに目を閉ざす。
次に目を見開くと、そこには一人の女性が浮かんでいた。
微笑みながら、彼女は舞い降りる。
キラキラと輝く銀色の髪。彼女を包む光も銀の輝きを放っていた。
女性は二人の前に降り立つと、親しみのある柔らかな笑みを向ける。
エルカは女性の姿を茫然と見つめていた。
初めて会う相手のはずなのに、懐かしさも感じられる。
恐怖は感じられないが、少し警戒しつつ、問いかけた。
……あ、あなたは?
図書棺の魔女です
え?
図書棺という膨大な空間は幾人もの魔女によって管理されています。私はその一人……図書棺の魔女ウツロと申します
図書棺の魔女……あれ? どこかで聞いたことがあるような……
エルカは目を瞬かせながら彼女を見る。
彼女の姿を見るのは初めてだった。
しかし、声はどこかで聞いたことがある。それも、つい最近のこと。
グランは図書棺の存在を教えてくれたが、そこに住まう魔女のことは語っていなかった。
エルカが幼いから難しいことは告げなかったのかもしれない。
そんな未知の存在を前に、たじろぎながらエルカは彼女から目を離さなかった。
彼女とは初対面ではない。だけど、どこで会ったのかが思い出せずにいる。
それを考えている間に彼女は言葉を続けた。
この本は……あなたのお母様コレットが見つけた特別な本。私は、これを届けるために、管理者権限でここに来ています
あなたは……コレットの知り合いなの?
ええ、彼女とは友人です。本当は管理者があまり顔を出してはいけないのですよ。今回はこの特別な本をエルカちゃんたちに届けるために、姿を見せています
特別な本って、えっと……ど、どういうこと?
エルカは困惑していた。
様々なことが起こり過ぎて、思考が追い付かない。
そんな、エルカの焦る気持ちと対照的に、ウツロは落ち着いた口調で続ける。
この本は例の事件に関する二人の記憶の本です。二人分の記憶。二人が見た記憶、そして互いの知らなかった互いの記憶も含めて書かれています。
二人の記憶が繋がることで完成する一冊の真実の書……と言った方が良いかしら
図書棺の本は、一人の記憶や人生や空想を『本』という形にしたものだった。
しかし、この本はエルカとルイ、二人の記憶を『本』したもの。
ふと、エルカはつい最近あった似たような出来事を思い出す。
プリン王子の世界で、私と兄はそれぞれの場所で本を開いた。そして、同じ出来事の記憶を見たけど、それとこれとは違うの?
本の中のエルカと、図書棺の中のソル。
別々の場所にいて、同じ記憶の本を開いていた。
二人は『一緒にプリンを作って楽しかった』という、記憶を共有している。
二人はその記憶を映像として見ていた。
それは、エルカが忘れていた知りたい記憶だった。
そしてソルが覚えていた、エルカに教えたい記憶でもあった。
記憶の映像を見たことで、エルカはあの記憶を取り戻した。
あの本は二人の共通の記憶だったわね。エルカちゃんが知らない、ソルくんの記憶は見ていないわよね。忘れていたのではなく、そもそも知らない記憶のことよ
うん、見ていないよ
でも、この本は違う…………エルカちゃんの知らないルイくんの記憶も見えてくる
本来なら本人以外は読むことができない。けれど、一つになったことで強制的に互いの記憶を見せられる。とても都合の良い、特別な本なの
ウツロは、本を拾い上げるとそれをエルカとルイの前に差し出す。
これを受け取って良いものかと、エルカは目を泳がせた。
コレットが用意したもの。エルカの為に、危険を犯してソルを送り込んできた母が裏で動いている。
それを信じても、信じなくとも、これが魔法使いが用意したものであることに変わりはないだろう。
ウツロやコレットからは、悪意を感じることはなかった。
そもそもエルカを騙して得るものなんてないはずだ。エルカには何もないのだから。
エルカは本を見ていた視線を、ウツロに向ける。
……ここに、真実が書かれているの?
……二人とも本当のことを話すのが怖いのでしょう? それは当然のことです。相手にどう思われるかわからないのですもの、怖くて当たり前です。
………
………
ですが、二人はこうも思っているのでしょう。本当のことを話したい、そして、本当のことを知りたい
………
………
エルカとルイは同時に頷いた。
言葉で相手に気持ちを伝えることは、簡単なことで、とても難しいこと。
エルカは全てを彼に打ち明けていない。
ルイは少しも彼女に打ち明けていない。
エルカはもっと打ち明けたい。
ルイはしっかりと打ち明けたい
それは、ほんの少しの勇気があればできること。
しかし、その少しの勇気を出すことが難しい。
これは、それを叶えてくれる本だった。
言葉に出す勇気がないのなら、本を開く勇気を持ちなさい。本を開くだけで互いの気持ちを互いに伝えることができる。簡単なことよね。
でも、本を開いてしまえば、後戻りはできない。これは、ただ一瞬の勇気で良いの
もう一つ確認、これは大事なことだから……これは私たち以外、例え兄さんであっても読めない本なの?
………むむ
………
ナイトの視線をエルカは一瞥する。
彼にはグランの加護で、エルカのいる場所ならどこにでも行ける。
エルカとソルが関わっていた『プリン王子』の本の中にも平然と入ってきた。
この本だって覗くことが出来るのではないだろうか。
無理よ……フフフ、試しに開いてごらんなさい。ナイトくん
え?
突然、本を手渡されたナイトがギョッとして目を丸くする。
反射的に受け取った本とエルカを交互に見る。
もしも、読めてしまえば彼女たちの過去を知ることができる。
しかし、その瞬間に妹から完全に嫌われるような気がしたのだ。
ジワリと額に脂汗が浮かぶのを感じていた。
読みたい、けれど読めてしまうのが怖い。
ほらほら
………
楽しそうに急かすウツロをナイトは睨みながら、本を開こうと手を動かす。
ナイトの緊張が伝わっているのか、エルカとルイもゴクリと生唾を飲み込んだ。
……………開かない
だから言ったでしょ。ほら、返しなさい。面白いわ、周囲から怖がられている貴方も、ハイエナに追い詰められたシカのような表情を見せるのね
してやってりという笑みを浮かべるウツロ。
ナイトは自分がからかわれたことに気付き渋面を深めた。
フフフ、私の役目はここまでよ。図書棺の魔女はこれ以上は深く干渉できないから。その本をどう使うかは……あなたたち次第よ
……ウツロさん……プリン王子の物語の中でも会いましたよね。私に、助言をしてくれましたよね?
エルカはウツロの顔をジッと見る。
この声は、プリン王子の隠し部屋で本を開いたときにも聞いていた。
姿は見えていなかったが彼女で間違いはないだろう。
……フフフ……それも私だったかもしれないわね。それなら、私が言いたいことは……わかるわよね
え?
意味深な笑みにエルカは首を傾げた。
エルカが問いかけようと口を開いた、次の瞬間にはウツロの姿は霧と化す。
彼女が消えてしまった空間を、エルカはぼんやりと見つめていた。