03 逃げない勇気

 ナイトの視線は、エルカの持つノートに向けられている。


 受け取ってから彼女はそれを手放していなかった。

ナイト

そいつが嫌いなら、どうしてそれを持っている?

エルカ

………っ

ナイト

嫌いな奴がお節介で用意したものなんて……捨てるべきだろ

エルカ

…………

 これはルイによって届けられていたものだった。


 ケンカをして突き放したエルカの為に、彼はこのノートを作ってくれた。


 彼女の為にだけ作られた数冊のノート。

ナイト

俺が、処分に困るなら燃やすか? って言っても拒否していただろ?

エルカ

…………

ナイト

何ならここで、燃やしても良いんだ。そうすれば、ルイも、もうお前に関わらないだろう

エルカ

………

ナイト

何も言わないのなら、燃やすぞ

 いつの間にか、そのノートは全てナイトの右手の中にあった。


 エルカは彼の左手を凝視する。

 その左手にはロウソク。その先端でオレンジ色の炎が微かに揺れていた。



 ロウソクの炎と、ノートがゆっくりと引き寄せ合う……

エルカ

それは、ダメ!!

 エルカの声にポンっと音を立てて、ロウソクの炎が消えた。


 ノートは燃えなかった。焦げてもいない。


 ホッと安堵したエルカの手に、再びノートが手渡された。




 エルカは受け取ったそれを、ギュッと抱きしめる。



 力なくへたりこんだ妹の頭に手をのせて、ナイトは微苦笑を浮かべた。

エルカ

……

ナイト

………やっぱり、大事なんだろ。こいつのことが………燃やされたら泣いちまうぐらいに

 ナイトはそう呟いた。

 少し呆れたような響きがしたので、エルカは顔を上げる。



 堪えていたものが溢れ出てくる。


 それは、もう止めることが出来なかった。

エルカ

……うぅ

ルイ

……持っていてくれたんだ。てっきり捨てられたのかと思っていたよ

 背後で驚いたような声がしたので、エルカは振り返る。


 ルイの戸惑ったような表情がそこにあった。

エルカ

捨てるわけないよ。だって、こんなに丁寧に作られてあるんだもの。私の為に作ってくれたって分かってしまうからっ

ルイ

……

 黙ったまま、ただ立ち尽くすルイをエルカは見上げる。


 涙声は聞こえづらいだろうし、涙でグチャグチャになった顔は、きっと酷い表情なのだろう。



 それでも、今でなければ伝えられないと思った。


 今を逃せば、言葉にする勇気は失われてしまう



 だからエルカは、胸に抱いたノートを抱きしめながら思いを言葉にする。

エルカ

だからね、私ね、ルイくんの本当の気持ちがわからなかったんだ

 ――彼は私を傷つけた。

 ――私は彼を傷つけた。
 


 それなのに、どうして彼はエルカに優しいのだろうか。

エルカ

ルイくんの本当の気持ちを知るのが怖かった。だから、会いたくなかった。

エルカ

次に会う時に私の聞きたくない言葉を、ルイくんの口から聞いてしまう……そんな気がしたから……

ルイ

…………

エルカ

ノートの字がとても丁寧だよね。自惚れかもしれないけれど、ルイくんが私の為に書いているのかなって……思ったんだよ

 このノートにはルイの心が詰まっているような気がした。

 これを捨てることは、彼との時間を捨てることになる。



 このノートを燃やすことは、彼と過ごした時間を燃やすことになる。



 そんなのは、嫌だった。


 ケンカをして、決別しても、それでも彼は大事な存在だから。

エルカ

………怖かったんだ。私がこのノートから感じた【優しさ】も嘘なんじゃないかって

エルカ

……また、裏切られるんじゃないかって。そう思い始めたらキリがなくて

 言ってしまった言葉は取り消せない。


 エルカは、溜め込んでいた気持ちを吐き出していた。



 それを、ルイは黙って聞いていた。以前からそうだった。


 彼はエルカの話をちゃんと聞いてくれる。


 それなのに、エルカは彼の話を聞こうとしなかった。

エルカ

分かっていたよ。あの時だって、私はルイくんの本音は聞いていなかった。ルイくんが盗ったって言ったのはあの子たちで、それをルイくんは肯定しただけで……

エルカ

証拠なんてなかったのに、私は……私はあの子たちの言葉を信用して、責めてしまった……私が責めたから、ルイくんは犯人になってしまった。

エルカ

みんなもルイくんを犯人として認めてしまった……

エルカ

私がルイくんを信じなかったからっっ

ルイ

悪いのは僕だよ

 重い声でルイが低く呟くと、エルカは首を横に振ってみせる。

エルカ

ルイくんが悪いっていう、その証拠がなかった

ルイ

僕の証言だけじゃ証拠にならないのか

エルカ

貴方がそれを言うのはおかしいよね。探偵を志している貴方が証拠不十分な状況で、犯人を特定するだなんて。

エルカ

教室にいたのがルイくんだけ……その証拠もないじゃない

ルイ

………それは

エルカ

本当は……あの子たちがいない場所で、私たちは、もう一度事実を確認すれば良かったんだよね?

ルイ

………

エルカ

あの子たちがどう思おうとも構わない。私の自作自演だろうと、貴方が犯人だろうと、周囲が勝手に思ってくれれば良かった。私たちの真実は私たちだけが理解していれば良かったのに

エルカ

………それが、出来なかった。もう一度確認して、ルイくんが犯人だって、肯定されるのが嫌だった

ルイ

………

エルカ

私はルイくんを疑ってしまった。疑った自分を許せなかった。そして私は逃げたの。ルイくんに会わない為に引篭もったの。

エルカ

外に出たら、また私は自分とルイくんを……傷つけてしまうから。それが、嫌だった、怖かった

 信じたいのに、信じられない。


 エルカは考えることを放棄した。


 耳を塞いで、目を閉ざして、引き篭もることを選んだ。

ルイ

逃げていたのは僕も同じだよ

 ルイは苦笑すると、綺麗に折りたたまれたハンカチを差し出した。



 ずっと泣いていたエルカの目はきっと真っ赤で、涙と鼻水で酷い顏をしているのかもしれない。

エルカ

………ルイくん

 受け取ったハンカチで目尻を拭いてから、ルイの顔を見上げると、黒い瞳がこちらに向けられた。



 交差した視線を反らさないように、彼の真剣な瞳を見つめながら、彼が語るのを待っていた。

ルイ

僕は君に嫌われることが怖くて、偽りの真実に身を委ねた。僕が犯人になった方が楽だと思ったんだ

エルカ

どういうこと?

 小首を傾げるエルカにルイは悲し気な表情を向けた。

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