過保護兄の一撃

 図書棺の中を生暖かい空気が漂っている。

 兄と妹は互いの次の行動を探るように見合っていた。



 追い詰められているのはエルカだった。兄の出方が読めない以上は身構えていることしかできない。


 そんな妹に向ける兄の表情は、変わらず捉えどころのない顔つき。



 その表情がエルカの心を震えさせる。


 彼が何を起こすのか不安で仕方がなかった。


 焦らすような沈黙のあと、ナイトは手に持っていたノートを差し出してくる。

ナイト

……戻りたくない理由は……これだろ?

エルカ

これは、どうして……

 それを受け取るエルカは表情を強張らせた。

 それが、何かなんて一目でわかってしまう。

 そのノートの持ち主はエルカなのだから。



 それは、紙をまとめて糸で縫い合わせた手作りのノート。


 これは誰にも見られないようにと、祖父の机の引き出しの中に閉まっていた大切なもの。


 鍵もかけていたはず。

 それがどうしてナイトの手の中にあるのだろうか。

ナイト

お前が不登校になってから、誰かさんが届けてくれたものだな。お前は出てこないから、受け取っているのは俺だった。

ナイト

だから、これが何の為に作られたのかも知っているよ

エルカ

………

 エルカが地下書庫に引き篭もるようになったのは、不登校になってすぐのこと。


 それ以降は、兄二人以外とは顔を合わせないように生活していた。



 クラスメイトを名乗る《《誰か》》が訪ねて来たことは知っていた。

 その誰かがノートを届けてくれたことも知っている。



 だけど、エルカはその誰かの前に姿を見せなかった。

 代わりに兄に受け取りに向かわせていた。


 誰かさんは何度も来た。その都度だったので、このノートは数冊あった。


 これはその中の一つだろう。

ナイト

お前は読書好きでも勉強は嫌いだったからな。これは、勉強嫌いにもわかりやすいように作られている、エルカの為のものだ

エルカ

……私には要らないものだよ

 ノートの中身は教本の内容をまとめたもの。


 エルカは勉強が嫌いだった。やる気のない教師が読み上げる言葉を聞いていても楽しくなかった。


 勉強をしたところで良い事があるとは思えなかった

ナイト

そうだな、こんなもの要らないと言いながら、受け取っていた。お前は……これを読んでいただろ?

エルカ

読みやすいから……だから読んでいただけ

 几帳面な誰かさんは綺麗な字でこのノートを作成していた。

 普段書いている文字よりも丁寧に書かれている。

 内容も要点をまとめていてわかりやすい。



 だから、読んでいた。それ以外に理由なんてあるはずがない。

ナイト

………これが、お前を連れ出す為に必要な道具だ

エルカ

……道具?

ナイト

お前たちの絆の一端だ

 ふいにナイトの目が不敵な色を浮かべたような気がした。


 道具という言葉に引っかかりを覚えながら、エルカは兄を見る。

 このノートに何の力があるのだろうか、エルカには分からなかった。

エルカ

どういうこと? どうして兄さんはいつも、自分だけ理解して、話を進めるの……

ナイト

悪いな………これもお前の為なんだ。先に謝るよ……すまない

エルカ

………その謝罪は何に対するものなの?

 なぜ、謝罪するのだろうか。

 これから、何が起こるのだろうか。

 戸惑うエルカを差し置いて、ナイトが続ける。



 いつもそうだった。

 この兄は自分だけが納得して、話を進めてしまう。

 それは全てエルカの為の行動だった。

 だから、これから起きることもエルカの為のことなのだろう。

ナイト

さっきも言ったが、俺はお前を傷つける。だから謝罪の意味も言わない

エルカ

イジワルなんだね

ナイト

傷つけるから、イジワルにもなるさ。さて、お前をここから連れ出す為に必要な道具はこれだけじゃないさ。このノートともうひとつは……こいつだな

 パチンとナイトが指を鳴らした。


 彼に魔法は使えない。これはグランが与えた加護の力。


 彼が音を鳴らすことで発動されるもの。


 グランは愛する孫の為にあらゆる魔法を仕込んでいたのだ。



 そして、その発動方法をナイトに告げていたのだ。


 これから起こる出来事は、その中のひとつにすぎない。



 ある意味、ナイトは数多の魔法使いたちよりも厄介かもしれない。


 エルカはその考えに至ると、冷笑を浮かべた。



 すでに魔法は発動されている、これから何かが起きるのだ。



 何もなかった空間に黒い霧が現れ、バチバチと小さな火花を巻き散らす



 周囲の空間がグニャリと歪むと、天井に黒い影のようなものが現れた。そこから人間の足が生えてる。

エルカ

…………え?



 エルカの呆けた声の後。



 黒く歪んだ空間から何かが落ちて来た。

 何か、重いものが落ちたような音。

 それは、ものではない。



 落ちて来たのは人間だった。




 その姿を見て、エルカは啞然とする。








 ガクガクと身体が震え出した。


 有り得ない、有ってはいけないことが目の前で起きていたからだ。



 現れた黒髪の少年は理解が追い付いていないのか、仰向けのまま目を瞬かせている。

エルカ

(どうして、貴方がここに)

 彼は腰を強く打ったらしく押さえながら身を起こす。


 その少年は目を瞬かせて、周囲を見渡し、そしてエルカと目が合うと大きく見開いた。

ルイ

………エル、カ

 驚きと戸惑いが、その表情からにじみ出る。

 会いたかった少女が目の前にいるという奇跡に彼は肩を震えさせた。



 奇遇にも、エルカも同じような表情をしていた。


 懐かしい人だった。

 一番会いたくて、一番会いたくなかった相手。



 彼はエルカが学校に通っていた頃の、唯一の友達と呼べた存在だった。

エルカ

(……ルイくん……?)

 その名前を心の中で呟く。

 それは、忘れていた記憶。

 忘れていたかった記憶。

 考えなかった記憶が蘇る。


 思い出したくないのに、記憶が開けられる。

第3幕-15 過保護兄の策略

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