14 少年の決意

「頼みたいことがあるから、病院に来て欲しい」

 ナイトからの呼び出しがあったのは、夕方のこと。


 ルイは急ぎ足で病院に駆け付けた。

 走ることは得意ではない、体力にも自信はなかった。

 だけど、ありったけの力を振り絞って走っていた。



 風を切って走る。


 呼吸を荒くしながら、だけど足を止めることなく石畳の道を駆け抜ける。


 必死の形相で走る姿に、すれ違う人々から怪訝な視線を向けられた。


 そんなものは気にならない。


 他人の視線が気にならないほどに必死だった。

 病室の扉を前にすると緊張が一気に押し寄せる。


 呼吸を整えてから、慎重にノックを三回叩いて、ひと呼吸置いてから二回叩く。

 これは、ナイトに指定された叩き方。


 それは、誰が来たのかを伝える為の合言葉のようなもの。

 好奇心旺盛な新聞記者が押し掛けることもあるのだろう。それを回避するための対策らしい。



 しばしの静寂の後、内側から静かに扉が開かれた。


 その先で待っていたのはナイトだった。

ナイト

呼び出して悪かったな

ルイ

彼女に何かあったのですか?

ナイト

いや、何かが起こらない為に来てもらったんだよ。さ、入ってくれ

 ナイトに促され入ったのは殺風景な病室だった。

 白いベッドには誰かが居た形跡はなかった。

 白いカーテンが優しく揺れている。


 ナイト以外に誰の姿も見当たらない。ルイは目を瞬かせながらナイトを見上げる。

ルイ

えっと……ここは?

ナイト

ああ、仮眠室代わりに借りている病室だ。あの子や弟が寝ているところじゃ話しにくいからな

ルイ

確かにそうですね…………僕に頼みがあるって、どういうことですか? 今朝は余計なことはするなって言っていましたけど

ナイト

言っただろ? お前がやることは、あの子との約束を果たすことだ

ルイ

わかっています

ナイト

ここだけの話だが、火事については犯人が誰なのかもわかっている。それは俺たち家族の誰でもない。

ナイト

だから、心配する必要はないよ。この件についてはほぼ解決に向かっている

ルイ

…………ナイトさん。僕は彼女が犯人とは考えていませんよ。

ルイ

もちろん、彼女のお兄さんたちが違うということも。彼女を大事にする貴方たちが彼女を悲しませることはしないでしょうからね

ナイト

お前は、俺たちのことを買いかぶりすぎじゃないのか? 俺はあの子の為なら罪を犯せるぞ

ルイ

何を言っているのですか? 貴方が罪を犯せば、彼女が一人になってしまう。そんなことを貴方はしませんよ。

ルイ

貴方が罪を犯すとすれば、それは……貴方が護りたい人たちが誰もいなくなった時、ではないでしょうか?

ナイト

……確かに、その通りだな

 ナイトは苦笑する。

 目の前の少年はナイト自身でさえ見えていない、『ナイト・フラン』が見えるのだ。



 ナイトは感心するようにルイを見下ろす。
 
 彼は真摯な視線をこちらに向けていた。


 ルイは知っている。

 罪を犯すことも、罪を被ることもナイトには簡単に出来てしまうことを。



 だけど、それはエルカたちを残したままでは出来ないことだった。


 自分が捕まっては、あの二人だけで生きてはいけないだろうから。



 ナイトにとって妹を護ることは一番大事なこと。


 罪を犯せば、それができなくなってしまう。彼女を悲しませる行動は、絶対に避ける男だ。



 だから、今までナイトは罪を犯さなかった。



 大人たちが気に入らなかった、殺したいと思っていた。

 強く憎悪を抱き、殺意を向けていた。それでも手を汚さない。汚してはいけなかった。



 エルカたちから、ナイトという存在を奪わないために。

ナイト

探偵の真似事をするなとは言ったけど、お前には探偵の素質があるのかもしれないな

ルイ

確かに僕は思考することは好きです。探偵にも憧れていました。

ルイ

ですが、彼女とのケンカについては僕は加害者のようなものです。探偵が犯人であることは、あってはいけません

ナイト

よくわからないが、そういうものなのか

ルイ

ミステリーの法則みたいなものですよ。探偵が犯人であってはならないのです

ナイト

なるほど。だが、これは探偵への依頼ではないから安心しなよ。

ナイト

さて、お前に協力して欲しいのは、別件についてだ。これは、お前が約束を果たす為にも必要なことになる

ルイ

……僕が約束を果たす為?

 約束。


 それは、この布袋の中にある本を渡すこと。


 しかし、エルカが目覚めなければ叶わない。

ナイト

あの子が頑固な性格ってことは知っているだろ?

ルイ

……はい

ナイト

簡単に説明すると、今のあの子は、魔法を使って自分の心に引き篭もっている……そこに鍵をかけてしまったんだ。

ナイト

厄介なことに自分で昏睡状態に陥っている状況だ。火事で引き篭もる場所がなくなったから、代わりの場所を自分で生み出したってところだな

ルイ

よくわかりませんが……彼女らしいというか

ナイト

そこの扉っていうのが、俺たち兄弟では開けられない鍵でな。それを、お前に開けてもらおうと思って呼んだんだ

ルイ

そんなものを開くなんて……僕に出来るのでしょうか

ナイト

必要なものは……それなんだよ

ルイ

これが

 ナイトが指差しているのは、ルイの手にある布袋だった。

 その中にある本を返すためにルイはこの街に帰ってきた。

ナイト

本格的にあの子が引き篭もりになったのは……お前がきっかけだ。お前とケンカをしてからあの子は引き篭もったんだ

ルイ

………っ

 この本と二人のケンカが、どのように結びつくのかはナイトにはわからない。

 しかし、彼の強張った表情を見れば重要なものなのだと伺える。

ナイト

今はお前を責めるつもりはない。お前たちの間に何があったのかはわからない。

ナイト

それは、きっとお前たち二人の問題で、俺たちが口出しできることではないだろう

ルイ

………悪いのは僕ですから

ナイト

その真相もお前たち二人でしか辿り着けない。お前たちのケンカについて、俺たちは部外者になるからな

ルイ

………これを持っている僕なら、彼女のところに行けるということですね

ナイト

………ああ、その通りだ。ただな……少し、厄介な場所になる。下手をするとお前も戻ってこれない

ルイ

…………

ルイ

何処にだって行きますよ。その為に来たのですから

 ここで逃げたら、もう約束は果たせないだろう。
 ここまで来たのだから、逃げるわけにはいかない。



 ルイは逃げない。

ナイト

ああ……そうだったな

 ナイトはルイの力強い視線に頷いた。

 真っ直ぐで純粋な視線。それは、ナイトには出来ないものだった。


 少しだけ嫉妬してしまう気持ちを隠して、口端を上げて笑う。

ナイト

そこに行く前に、説明することがあるんだ

ルイ

………はい

 ルイは眉根を寄せる。

 ナイトから漂うただならぬ気配に、反射的に一歩後退していた。

ナイト

……少し複雑な話だから座ってくれ。紅茶でも飲んでリラックスしてくれよな。

ルイ

はい

ナイト

あと、ごめんな。先に謝っておくよ

ルイ

 そう言って、ナイトは不敵な笑みを浮かべた。

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