12 少年と男の約束2
12 少年と男の約束2
客の少ない店内は静寂に包まれている。
ゴッゴッというサイフォンの音がリズミカルに聞こえてくる。
先に口を開いたのはナイトだった。
……それで、大事な話って言うのは?
はい、実は彼女に……エルカに届けて欲しいものがあるんです
これは……
これは、エルカが大事にしていた本です
ルイは鞄の中から先ほど受け取ったばかりの布袋を取り出した。
落としてはいけないので、慎重な手つきでナイトに差し出す。
本当ならば、半年前に返すつもりでしたが、破損してしまったので修繕を頼んでいました。無事に修繕が完了したので……
ナイトさんから彼女に渡して貰えないでしょうか?
ナイトは、それを受け取ると中身を確認した。
これを彼女のもとに届けることが、ルイの旅の目的だった。
ナイトを通してなら、彼女のもとに届けることが出来るだろう。
………
ナイトは中身の本を凝視して眉根を寄せた。
そして布袋ごとルイの手に押し戻す。
え?
戻されるとは思わなかったルイは、茫然としてナイトを見上げる。
彼は不機嫌そうな表情を浮かべていた。
これは、お前が自分で本人に渡すべきだと思うが? お前は、その為に戻って来たわけだろ?
でも……彼女は僕に会ってくれないと思います
視線が静かに下がる。
コーヒーカップの取っ手を握る手が震えていた。
カップの中で揺れるコーヒーをジッと見据える。
ルイの手から渡しても彼女は受け取ってはくれないだろう。
ルイとエルカはケンカをして以来、顔も合わせていない。手紙すら受け取ってくれなかった。
それでもこれは、彼女にとって大切なもの。きちんと届けなければならない。
だから、第三者である彼女の兄の手を借りて渡すことにする。
確実に渡せる方法はそれしかないはずだった。
俺が渡すより、お前が渡すべきだよ
でも……
俺を介して渡そうだなんて甘いことを考えるなよ。そんなことをしても、あの子は受け取らないだろうよ。
それに、俺を介したらお前の気持ちは届かない
………っ
俺はそれで良いさ。お前の気持ちがあの子に届くか届かないかなんてどうでもいいこと。
だけど、お前はそうではないだろ? ルイ・バラン
途端にナイトの目が鋭くなる。
静かな声色だが、その言葉一つ一つに鋭さがあるのを感じていた。
その冷たい眼差しにルイは息を飲む。
誰かの手を借りることは、簡単だし楽だし、確実に届けることは出来るかもしれない。
だけど、ルイの気持ちは届かない。決して届くことはないだろう。
……そうですよね……すみません、このまま貴方に渡してしまえば前と変わりませんね。
自分の気持ちを伝えることから逃げるだけですよね
この布袋の中にある本は大事な物だった。
二人がまだ、友達だった頃の思い出の品でもある。
それを自分の手で渡すことが怖かった。
どんな反応を示されるかが不安だった。
目と目を交わすことが怖かった。
だから、半年前も会うことが出来なかった。彼女が会ってくれないと言いながら安堵していた。
会うのが怖かったのだから。
そうやって、逃げてきたのだ。
そうだぞ。逃げずにこの街に戻って来たんだ。ここで逃げたら意味ないだろ? お前の勇気を自分で無駄にするのか?
……また、逃げてしまうところでした。あの子にこれを返すと約束したのは僕でした
男が約束を破るなよ
……はい
少年は俯いていた顔を上げる。
迷いはもうなかった。
でも、よく戻って来てくれたな……その勇気は称賛に値するよ
……はい
これは、ルイ自身が傷つく可能性の方が高い。
半年前には出来なかったことを、これからやろうとするのだから。
ナイトは妹の頑固な性格を知っている。彼女はそう簡単に気持ちを曲げない。
引き篭もると宣言して半年、地上に出ることは殆んどなかった。
兄であるナイトとも顔を合わせることは殆んどない。
その勇気に免じて俺は今回はお前の味方になってやるよ。あの子は頑固すぎるからな。最低限のフォローはしてやるさ。さて、俺は仕事に戻るよ
忙しいのに、すみません
気にするなって。明日は暇か? 昼間は俺も休みだからな。あの子に会わせてやるよ
はい、明日の予定はありませんので
約束だからな……ここで逃げたら次はないからな
はい……必ず彼女に僕の手で渡すと約束します
期待してるぞ
………はい。あ、ここのコーヒー代は僕が出しますね
おいおい、年下に奢らせるわけにいかないだろ
奢らせてくださいよ。お願いします
あ、悪いな……
それでは、明日
おう
立ち去る男の背中に頭を下げて、少年は顔を上げる。
そして、拳を握りしめる。
明日、必ず約束を果たすよ
テーブルの上に置かれた布袋に視線を向けて呟いた。