08 少年の帰還

* * *
 
時は、事件当日の朝まで遡る。

* * *

ルイ

………

 夜行列車のシートに寄りかかっていた少年は薄目を開く。


 黒髪に黒い瞳、これといった特徴のない少年だった。

 名前はルイ・バラン。平凡な家で生まれ育った少年は小さな欠伸を零す。



 彼は軽く伸びをしてから窓を見た。

 丁度、列車がホームに着いたところだったらしい。


 長時間、同じ体勢で座っていた身体が悲鳴を上げた。一般客のシートは固くて寝心地が良いとは言い難い。



 昨夜、住んでいる街を出た列車は山を越え、谷を越えてこの街に辿り着いた。

 それは、生まれ育った故郷までの長い旅路だった。


 夜中であり風景の変化を楽しむ余裕はなかったが、空気の変化は感じられる。

お客様、駅に着きましたよ。降りていただけますか?

ルイ

は、はい……すみません

 車掌に声を掛けられて慌てて立ち上がる。

 そして、他の乗客たちの最後尾を追いかけるように列車を降りた。



 ルイの荷物は黒いショルダーバックのみ。

 長距離列車に乗り込む乗客としては軽装だった。



 学生の家出かと疑われても仕方がないだろう。

 時折、車掌が不審な視線をこちらに向けるので、速足で駅を飛び出していた。









 駅から出てしまえば何のことはない。

 登校する学生たちに紛れ込んでしまえば問題はないのだ。

 地味な容姿はすぐに街の風景に溶け込んでしまえる。



 ルイの黒く沈んだ視界に映るのは、彼が半年前まで暮らしていた街の風景だった。

 人々の流れに沿って、歩き慣れたはずの石畳を踏みしめる。

 この時間の駅前は混雑していた。


 朝の通勤通学の人々でごった返している。


 それは、離れた頃と何も変わらない朝の風景。



 それなのにまるで知らない場所にいるような感覚に陥る。

 自分はうまく街の風景に溶け込んでいるはずだった。




 今は居心地が悪かった。

 思うように前に進むことが出来ない。



 人の流れに、うまく乗ることが出来ない。

 今、ルイが歩いているのは駅前の大通りだ。



 毎日通った学校に続く道。こんな人だかりは縫うように前に進めたはず。

 簡単に歩けたはずなのに……それなのに、初めて訪れたような気分になる。



 ここは、もうルイの知らない土地と化していた。

ルイ

……この街が僕を拒絶しているのか……

 そう思ったとき、

―――――――

 ザワザワとしていた通行人の喧騒が、パタリと止まった。


 静寂が訪れると、周囲の景色がモノクロに変わる。


 それと同時に、ルイ以外の全てが静止していることに気付く。



 声を出して叫びたいぐらいの気持ちだったが、声を出すことが出来なかった。

 そして足は石畳に縫い付けられたように動かすことが出来ない。



 手は動かすことが出来た。

 だけど、その手は何も掴むことが出来ない。側にいた通行人に触れてもすり抜けてしまう。



 聞こえるはずのない声が頭に直接響いてきた。

酷い奴だよな、クラスメイトを傷つけて他の街に逃げるんなんて

ズルいよな、親の仕事の都合だからって逃げられるんだもの

あいつは、何もかも忘れて一人で幸せになれるんだ

卑怯者よね

臆病者め

 心のない声だ。それらは銃弾のように四方八方から撃たれる。


 それを弾き返す言葉を彼は持っていなかった。



 だから、大人しく、銃弾を、受ける。



 身体中に痛みを感じる。唯一動かせる右手で頭を抱えて、苦痛に表情を歪ませた。



 額にジワリと汗が浮かびあがる。

―――――――

ルイ

……っ

 再びザワザワとした喧騒が耳に入ってきた。

 目を瞬かせると、ルイは大通りの真ん中に立ち尽くしていた。


 白昼夢から強制的に戻されたようだ。 



 額の汗は残っているし、頭も痛い。身体も痛い、だけど身体に銃弾を受けたような形跡はなかった。

 やはり、あれは夢だったのだろう。

 あの声と言葉には聞き覚えがあった。



 半年前、ルイは家の事情で街を離れた。

 その直前に友人と仲違いをした。


 友人とは仲直りが出来ないまま離れることとなった。周囲から見れば、ルイが【逃げた】ように見えただろう。



 街を離れる当日、すれ違ったクラスメイトたちがクスクスと笑いながら話しているのを聞いていた。

ルイ

(これは、悪い夢だ)

 唇を噛みしめて、歩き出そうとした時。

 横から衝撃を受けた。

 体格の良い男に突き飛ばされた。ルイは大きくよろめいて蹴躓く。男からは酒のにおいがした。

この糞ガキ!! 通行の邪魔なんだよ。真っ直ぐ歩けよ!!

ルイ

…………

 男は怒鳴り、ルイに唾を吐きつけると人の波に消えていった。

 他の通行人たちは、突き飛ばされた少年のことなど気にも止めなかった。

 余計なことには関わらない、それがこの街の暗黙のルール。

ルイ

……この世界は優しくないね、エルカ……

 少年の呟きなど、誰の耳にも届かなかった。

pagetop