07 過保護兄の決断2
07 過保護兄の決断2
ナイトはエルカの正面のソファーに腰を下ろす。
慣れた手つきで料理の本を開くと、そこからコーヒーを召喚した。
コーヒーの香ばしい香りは正面のエルカにも届く。
しばらく香りを堪能したあと、ナイトはそれを一気に飲み干した。
もう少し、ゆっくり飲めないのかというエルカの視線が刺さるが、彼は気にしていない。
ナイトにはこの一瞬で十分だったのだ。
コーヒーの香りで心を落ち着かせ、苦味によって熱くなっていた頭を冷やすことが出来た。
軽く呼吸すると正面に座る妹を睨みつける。
再び向けられた真剣な眼差し。エルカは肩をビクリと震えさせ、吐いた息を飲みこんだ。
彼にはまだ何か秘策がある。そんな予感がした。
俺は、エルカをここから連れ出さなければならない。残していけば、二度と帰ってこない。そうだろ? エルカには帰る意思はないんだからさ
もちろん。現実に帰ることは、私の望みではないんだよ。私は読書をして引篭もれるここが良いの。ここは私の望みを叶えてくれる場所だから
本さえ読めれば良いのなら、現実世界でも問題ないだろ?
そう、だけど
ここに拘る理由はないはずだ
べ、別に死を選んだわけじゃないんだよ。ここには世界中の記憶が集まっている。居心地が良いんだよ
居心地は確かに良いだろうな
私は生きている。今まで通りに兄さんが好きなようにすればいい。寝ている私を好きにお世話すれば良いよ
ずっと目覚めないのは、死んだようなものだ
………そうだね。それでも、現実で生きているよりは苦しくないよ
身体は眠り続けて、魂は図書棺の中に在る状況。
薬で外部から栄養を与えなければ、生き続けることも出来ない肉体。
喋ることも見ることも、聞くことも出来ない。
ただ眠り続けて成長するだけの抜け殻になる。
エルカはそれでも良かった。
魂だけでも幸せであれば十分。肉体があるから傷つくこともあるのだから。
しかし、ナイトはそうは思ってはくれない。
今までに見たことのない、真剣な眼差しがエルカを捕えて離さない。
俺はこれまでお前が嫌がることはやらなかった
そうだったね
だから、俺は今からお前が嫌がることをする
え?
驚きを隠せないエルカに向けて、ナイトが底意地の悪い笑みを浮かべた。
目つきの悪い彼のその笑いは、悪役の表情に見える。
エルカは反射的に顔を強張らせ、仰け反る。それを楽しそうに見るナイトは本当に悪役面をしていた。
嫌がること。
それが何なのか、エルカには予測できない。
実はな、お前が現実に戻りたくない理由は分かっているよ。そいつは………俺やソルには、どうすることも出来ない理由だ
………だったら、放っておいて
エルカはナイトの顔を直視することが出来なかった。
目を見なくとも、威圧感をこちらに向けてくる。少し視線を動かせば鬼の形相がそこにあるのだ。
そして、内面の奥底まで覗かれる。
蛇のような兄の視線は、視線も合っていないのにゾクゾクと中に入り込んでくる。
放ってはおけない。だから、お前の為に、お前を傷つける……
どういうこと?
お前はソルを突き放す時に、大きなミスをしていたんだ。お蔭で俺の予想は確信になった。確実な方法で傷つける方法が何か……をな
……何ができると言うの? お爺様の加護があっても人間の貴方に出来ることなんて
ナイトにはグランの加護がついている。それでも、彼が人間であることには変わりない。
超人的な体力や腕力があっても彼は人間だ。
人間が人を傷つけるときに使うのに、手っ取り早いのは言葉と拳だ。
口と手はほとんどの人間に備わっている武器なのだ。
ナイトはそれをエルカに対して使うのだろうか。
エルカは息を飲みこみ、兄の表情を探る。自分の内面を覗かれないように、相手の内面を探る。
しかし、彼の内面なんて見えてこなかった。
この兄に敵うはずがないのだと、エルカは諦めたように肩を大きくすくめてみせた。
そして、余裕めいた笑みを浮かべる兄を睨む。
これが、今のエルカの精一杯の反抗。
ナイトは持っていた数冊のノートをパラパラと捲る。そして、口端をあげて、不敵な笑みを浮かた。
見てのお楽しみだよ。これは、俺の……俺たちがお前に向ける最後で最大の攻撃になるはずだ
何をするつもりなのよ
本当に良いタイミングで帰ってきたよ。お前たちの縁の深さには嫉妬するしかないな
ナイトのその笑顔にエルカは薄気味の悪さを感じていた。
きっと、それはエルカに対する大きな一撃になるだろう。
身体を硬直させながら、エルカはその攻撃に備えることにした。
俺やソルが介入していない時間が鍵なんだよ……