03 過保護兄の過去1

 まるで絵本を読み聞かせるように、静かな口調で彼は語り始める。


 幼い頃のように寄り添いながら、エルカは彼の話に耳を傾けていた。


 十四歳にしては小柄なエルカは、二十歳で体格のよいナイトからすれば小さな子供にすぎない。



 頭を撫でられる心地よさと、静かすぎずうるさくもない口調。


 それらが、物語の中にエルカを誘う。



 否、これは物語ではない。

 彼の真実の話。

 その声は近くにあって、どこか遠くにも聞こえた。

ナイト

………あの頃の俺には、名前はなかった。傀儡人 《クグツビト》市場の商品だからな。

ナイト

与えられるものは識別するための番号。そいつは“Ⅸ≪ナイン≫”と呼ばれていた………

 傀儡人 《クグツビト》とは、人間でありながら物のように扱われる人間。



 彼らは戦場で使い捨ての兵士として重宝されていた。


 天涯孤独の彼らの死に涙する者も、胸を痛める者もいない。

 命令を下すだけで、彼らは敵陣に突っ込んでいく消耗品だった。



 悪徳商人たちは孤児を捕え、遠い異国に兵士として出荷する。



 このトロアの街に傀儡人 《クグツビト》市場があったことをエルカは知らなかった。


 まるで空想の話をされているみたいだった。



 だけど、これは本当の話なのだろう。ナイトの目はいつになく真剣で、そして暗い色を見せていたのだから。



 エルカのぼんやりした目が兄を見上げる。

エルカ

……兄さんも戦争に行ったことがあるの?

ナイト

行ったことはないよ。この話は長くなるから、お前はただ聞いてくれれば良い。最初の方は気持ちの良い話じゃないけれど

エルカ

うん、ごめんね……話の腰を折るようなことして。傀儡人 《クグツビト》なんて言うから驚いて

ナイト

馴染みのない言葉だからな。じゃあ続けるぞ

 彼は静かに語りはじめる。

 そして、エルカの意識は彼の記憶の世界に誘われた。

 彼は物心がつく頃には傀儡人 《クグツビト》だった。

 自分が傀儡人 《クグツビト》以外の何者かであったという記憶がない。


 きっと、そんなものは初めから存在しないのかもしれない。






――生き残りたければ、
強くなれ!!

 傀儡人 《クグツビト》商人は商品たちに向けて怒鳴りつける。



 だから、彼は強くなろうと努力した。


 体力、腕力、洞察力、瞬発力、強さに必要なものを身に着ける。

 異国の地で戦闘兵士として戦うための力だ。



 そして、彼は強くなった。誰にも負けない強さを手に入れたが、タイミングが悪かった。


 各地で起きていた内乱が終結すると兵士としての傀儡人 《クグツビト》を求める者が減少する。




 更に傀儡人 《クグツビト》禁止令というものが各国に出された。


 異国の地への出荷が主な生業である傀儡人 《クグツビト》商人たちは窮地に立たされる。



 トロアの街は、まだ傀儡人 《クグツビト》禁止令は発令されていないが、異国から買いに訪れる者は減少している



 商人たちは、手元にいる傀儡人 《クグツビト》たちを売り尽くすか処分するしかない。



 強欲な商人たちは処分するより売り尽くそうと画策する。労働力として、愛玩用として彼らは売買を強化する。
 


 見知った顔が売られていくのを彼は横目で眺めていた。



 彼は彼らを戦闘能力の低い劣等生と見下していた。


 そんな彼らが主を得るのを見送る。


 笑顔で去る者、泣きながら去る者、彼らの未来は幸せか不幸かはわからない。



 だけど、彼らはこの狭い檻の外に出ることができたのだ。

ナイト

皮肉な話だよな。戦争が続いていれば俺が檻の外に出て、奴らは檻の中だったんだから

 彼は檻の中に取り残されていた。


 傀儡人 《クグツビト》は扱いやすいモノがより好まれるようになった。

 鋭い眼光を放つ、狂暴な獣のような彼は誰も欲しがらない。




 戦場ならば重宝されただろう。しかし、平和な世に戦闘狂の傀儡人 《クグツビト》は不必要だった。

 彼はいつの頃からか、売れ残りとして放置されていた。




 いつの間にか店先にも並ぶことがなかった。


 檻の隅に放置されたまま、食事も与えられない日々。商人たちはのたれ死ぬのを待っていた。



 彼は動くことも出来ない、呼吸すらも面倒になっていた。



 もう、楽にして欲しいと視線で訴えても商人たちは殺してもくれない。

 生き残る為に得た強さだった。

 強くなり過ぎたばかりに、彼は売れ残りとして死に向かっていた。


 あんな大人の言葉を信用するべきではなかったのだ。


 鋭い眼光だけは消えることがなかった。睨んでいるわけでも、威嚇しているわけでもないのに皆が怯える。

 これが普通の表情なのだから仕方がない。






 彼は死の時を待っていたのに、鍛え抜かれた肉体は人並外れた生命力で溢れていたらしい。




 だから、なかなか死に誘ってくれない。

 そこに、現れたのは魔法使いの老人だった。



 その魔法使いが傀儡人 《クグツビト》市場を訪れたのは偶然の気まぐれだった。


 そして、彼の前に現れたのもただの偶然。

 これは奇跡の出会いだった。


 彼にとっても、魔法使いにとっても運命を変える出会いだった。

グラン

……彼をいただこうか

 その言葉に商人たちは驚いた。売れ残りの商品を指さしたのだから。

他にも良い傀儡人 《クグツビト》はいますよ。こんな死にぞこないより

グラン

彼が良いのだ……彼以外はいらない

………お買い上げありがとうございます

 商人は戸惑いながら檻の鍵を魔法使いに渡す。


 魔法使いは飄々とした笑顔で鍵を受け取ると彼の檻を開く。



 彼は、これが開くときは死ぬときだろうと思っていた。


 だけど、彼は生きている。


 茫然としたまま、魔法使いを見上げる。

グラン

私の名は、グラン・フラン。変り者の魔法使いだ。よろしくな、少年よ

………

 魔法使いはそう名乗った。


 死に損ないの傀儡人 《クグツビト》を選んだ、変り者の魔法使いは、屈託のない笑顔を浮かべると、彼に手を差し伸べたのだ。



 彼は、暖かい手の温もりに初めて触れた。

 そして、彼は檻の外へと足を踏み出す。

第3幕-03 過保護兄の過去1

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