02 過保護兄と妹
02 過保護兄と妹
エルカは正面のナイトを睨みながら、頬を膨らませる。
ソルを追い返すことで満足していたエルカは、もう一人の兄のことを失念していたらしい。
エルカにとって彼は兄であり、時には父親であり母親でもある存在。
いつも、すぐ側に頼もしい背中があるから安心できた。
両親がいないからといって、エルカは寂しいと感じたことはなかった。
寂しいと感じる前に、ナイトがその寂しさを埋めてくれたのだから。
不安なときには側にいてくれた。
たくさん甘えて、たくさんワガママも言った。そのワガママをいつも彼は聞いてくれた。
だから、これはエルカの最期のワガママだ。
膝の上で拳を握り、できるだけ感情を殺して彼を睨む。
……兄さんが何を言っても私はここに残るわよ
だったら、俺もここにいるよ。お前を一人にするわけないだろ?
……何で、一人にしてくれないの?
一人が嫌なくせに、何を言うんだか……
ナイトは立ち上がるとエルカの隣に移動して座る。
そして、ソッと手を握り締めた。
エルカは一瞬だけ身体を強張らせる。
そんな妹の様子に彼は眉根を寄せてから苦笑した。
……何……よ?
不安だから手が震えてる……分かりやすいんだよ。お前って
うぅ……これは気のせいなの!
ハッとして離れようとするエルカをナイトは逃さなかった。
握られた手に微かに力が込められる。
エルカにはその手を振り払うことができなかった。
自分を見つめる兄の視線があまりに真剣だったから。
こんな子を一人にできないだろ?
いつも、貴方にはお見通しなのね
だって、俺はお前の兄貴だからな。その役割を放棄するつもりはない
でもね、貴方はいつまでも私の兄さんじゃダメなんだよ。だから、私にそこまでする必要ないんだよ
必要はある
貴方には私から解放される権利があるの
そんな権利はない
……だって、貴方と私の間に血の繋がりはないんだよ。私が知らないとでも思っていたの?
………なんだ………知っていたんだな
ナイトは目を丸くして、握っていた手を離す。
少しだけ赤くなっていた腕を軽くさすりながら、エルカは目尻を下げて兄を見る。
いつも通りの余裕めいた表情。
だけど、少しだけ影が差し込んだような笑みを浮かべる。
私と貴方は似ていないじゃない? 私たち二人を並べて兄妹だって見抜ける他人なんていないわよ
まぁ……確かにそうだよな。お前が俺を兄と呼ぶから、他人は俺たちを兄妹だと見ていたのだろうな。でも、どうして知ったんだ?
幼い頃にね、似ていないってことを指摘されたの
それは幼い子供の残酷な質問だった。
お兄さんと似ていないんだね?
お兄さんの髪は黒いのに、君の髪はキラキラしてキモチワルイ。
お兄さんは普通なのに、君は変だよね。
子供たちは矢継ぎ早にエルカを問い詰める。
言われてみれば自分たちは似ていない。
それに気付いて戸惑うエルカに対して、子供たちは質問を繰り返す。
何で、どうして、その理由を説明しろと迫ってくる。
エルカは答えることができなかった。答えられるはずがなかった。自分だって知らないのだから。
そして、エルカはグランのもとを訪れた。
それで、お爺様から教えてもらったんだよ
……そんなことがあったのか
ナイトは歯噛みした。悔しさが込み上がる。
自分の知らないところで、彼女を追い詰めた存在がいたことが悔しかった。
きっと彼女は不安だっただろう。
俯いていたエルカが静かに顔を上げる。
お爺様は教えてくれた。事情があって貴方と私は血は繋がっていない……
理由は教えられなかったのか
うん、幼い私にわかることとは限らないでしょ。大事なことは、ナイトは私の兄さんだってこと。
ソルもナイトも……血が繋がらなくても絆が繋いでいる兄さんだって……教えて貰ったの
そうだったのか……確かに俺たちを繋ぐのは絆だな
だから、私はそれ以上は聞かなかったよ。私を問い詰めてきた子たちにも、そう伝えたの。
納得はしてもらえなかったけど……『ナイトさん怒らせたら怖いから、これ以上は聞かないや』って言われた
……俺、その件については一切知らないぞ
みんな、私が直接兄さんに相談したんだと勘違いしたんだと思うよ。
兄さんのこと怖がってる子たち多かったからね。黙っているだけで睨んでいるように見えるから
………
ナイトは渋面を浮かべる。
幼い頃から目つきは悪かった。その自覚は十分あったはずだが、意図しないところで面識のない相手から恐れられていたらしい。
複雑な気持ちではあるが、それで彼女を守れたのだから良かったのだと、ナイトは思っていた。
エルカは渋い表情の兄を横目で見ながら、人差し指を立てる。
でもね、私が知っていることを兄さんは気付いていない。
だから、私は知らないフリをするようにってお爺様に言われたの。私が知っていることは兄さんにはナイショって
ああ………今日まで、俺は知らなかった
私が知っていることを知ったら、貴方はきっと悲しくなるからって
………確かに今、少しだけ悲しい。子供の頃にそれを知ったらもっと悲しかっただろうな……
ナイトはエルカのことを溺愛している。
兄と呼ばれ、頼りにされているだけで幸せだった。
そんな愛する少女から兄妹ではないと告げられたら、冷静じゃいられないかもしれない。
それを、グランはいち早く見抜いていたのかもしれない。
大人になってからで良かったね。今なら、その悲しみは乗り越えられるもの
大人は辛いよな
兄さんは、悲しみを乗り越えることができるよ。貴方は私がいなくても新しい人生をやり直せるから
そして、扉を開けてソルのように立ち去って欲しい……
懇願するようなエルカの双眸にナイトは険しい表情を向けていた。
なぜ、そうなるんだよ!
私がこれを知っていること……貴方にはずっと黙っているつもりだったのよ
私は、お爺様との約束を破ってしまった
そういうことになるな
私の決意を無駄にしないで欲しいの。お爺様との約束を破った私の決意を
エルカつ強い眼差しがナイトに刺さる。
彼女にとってグランとの約束は大事なものだった。それを破るということはグランへの裏切りになってしまう。
グランを慕う彼女にそれをさせたことは心苦しい。
しかし……
ナイトは口端を上げて笑う。
エルカがグランと約束を交わしたように、ナイトも彼と交わした約束がある。その約束を破るわけにはいかないのだ。
何より、この話はナイトが語らせたことではない。
お前が勝手に話したことだろ?
それにな、そんなことは関係ない。俺はお前の兄貴であることは絶対にやめないからな
エルカが話だしたことに、ナイトが責任を取る理由はなかった。
何を言ってもナイトは折れない。
エルカは眉根を寄せて彼を睨む。彼を突き動かすのが何なのか、エルカには分からなかった。
自分なんか放っておいてくれた方が、彼は生きやすいだろう。
それなのに、彼はエルカを放っておかない。
どうして……こんなに、ひねくれて、ワガママな私なんかの……
あんな両親から生まれた私なんかの兄になろうとするの。何の得もないでしょ?
エルカはそれが疑問でならなかった。
ソルのように再婚によって兄妹になったわけではない。
祖父とナイトの間で何らかのやり取りがあったから彼はエルカの兄になった。
やり取りを交わしたであろうグランはもういない。
彼に得られる何かなんてないはずだった。
祖父ならば何かを与えることが出来ただろう。しかし、エルカには何もできない。
それなのに、どうして彼はこんなにも兄であろうとするのだろうか。
悶々とする気持ちにエルカは渋面を浮かべる。
そんな妹の様子に苦笑を浮かべて、ナイトは彼女の頭に手をのせる。
……エルカは……俺がお前の兄貴になった時の話は本当に知らないんだな
さっきも言ったよね? 私が知っていることは血が繋がらない兄ってことだけ。それだけで十分だよ。それ以上は知る必要ないもの
そうか……
肝心なことを彼女の祖父は伝えていなかった。
確かにナイトの過去に関わることだし、幼い少女に話すような内容でもなかった。
ナイトはしばらく考えた後、意を決したように言葉を続ける。
……じゃあ、教えてやるよ。俺がお前の兄になった経緯をね