01 過保護兄の再会
01 過保護兄の再会
静寂に包まれた部屋の片隅のソファーで本を読む少女がいた。
エメラルド色の髪にワインレッドの瞳が特徴的な少女の名前はエルカ。
彼女は膝の上の開かれた本のページをゆっくりとめくる。
憂いを帯びた視線が、開かれたページに注がれる。
言葉で描かれたその世界は、少女を空想の世界へ誘う。
聞こえてくるのは自分がページを捲る音だけ。
時間は静かにゆっくりと流れていく。
ここは『魔法の図書棺』と呼ばれる魔法空間。
亡くなった人間の思い出や記憶、空想などが本という形になって存在している。
実在する本、中には廃刊となったものや、未発行のものもある。まるで、世界の全てが納められているような場所。
図書棺に漂う空気に、肌寒さを感じたエルカは身を固くした。
ここは夢の中のような場所。
だけど、夢の中とは違う。
味覚、嗅覚、視覚、触覚、聴覚、の五感を全身で確かに感じることが出来るのだから。
ここはとても現実と似ていて、だけど現実離れする空間。
………
エルカは微かに顔を上げて、視線で周囲を見渡した。
先ほどまで、この部屋には自分以外に義兄のソルがいた。
体温を持つ人間が二人いるだけで少しだけ暖かかったのかもしれない。
二人が一人になっただけで、こんなにも世界は冷えてしまうようだ。
二人いれば会話ができる一人では話し相手もいない。本や壁に話しかけても言葉は返ってこないのだから。
何度も横目でチラリと見てしまう扉。
先ほどまで、扉の前にソルがいた。
しかし、今はいない。
追い返したのはエルカだった。
それなのに、あるべき場所に空白が出来たみたいで、もの悲しさを感じる。
エルカは目を細めて、その空白を見つめる。そして首を横に振った。
別に寂しくなんかないんだからね……ここには、お爺様の書庫よりもたくさんの本があるんだもの
エルカは、ずっとこれを求めていた。
誰にも邪魔されない自分だけの空間を欲していたことを思い出す。
――ここなら、誰も私を傷つけない
私は誰かを傷つけない――
エルカは漏れ出した笑みを隠さなかった。
ここには自分しかいない、誰にも見られないのだから。
どんな表情を浮かべても構わないのだ。
立ち上がり本棚に並べられた本を見渡す。
ずらりと並ぶ見たことのないタイトルの本たち。
ここに在る本は実在するものばかり。
自由に読むことができるのは実在する本だ。
誰かの記憶や思い出の本は、持ち主からの許可がなければ読めないのだ。
そもそも、無関係な他人の本は見つけることもできないだろう。
別の棚を眺めると見覚えのあるタイトルも見えてきた。
私好みの本が揃っているね。しかも、作者が亡くなって未完のままだったシリーズの続きまである
本棚にズラリと並んだ本を眺めながらうっとりと目を細める。紙とインクの匂いが彼女の心に癒しを与えてくれる。
エルカが望めば別の部屋の本も読むことができるだろう。
しかし、ここだけでも十分に楽しめそうだ。
魔法によって紅茶は無限に飲めるし、望めば食事にも困らない。
時間の概念がないので、好きなときに本が読めて、好きなときに眠ることができる。
エルカは、ソファーの前のテーブルに本を積み重ねる。
そこから選んだ一冊を開いて笑みを浮かべた。
……探偵伯爵シリーズ……これが読みたかったんだよね……
お前って隙だらけだよな……
突然、声をかけられたので、反射的に顔を上げる。
………
え……兄さん?
対面するソファーに座っていた彼は立ち上がって、ニコッと笑う。
もしかすると、ずいぶん前からそこにいてエルカの独り言を聞いていたのかもしれない。
エルカは突如湧き上がる羞恥心に、顔が熱くなるのを感じていた。
本が前にあるだけで、周りが全く見えていない。お前のそういう所は、少し心配になるな
彼が何を言っているのかわからなかった。
エルカは熱くなる感情を抑えて、冷静に思考を動かす。
先ほどまで、彼はここに居なかった。
そこには誰も居なかった。
(どういうこと? 扉の鍵は閉めた……扉はこの一つしかない。そもしもこれは扉ではないのに)
首を捻って考えても答えは出てこない。
答えを知っているのは、目の前の男だけだ。エルカは無言で、彼を見据える。
そして、その答えが語られるのを待つ。
………あいつはこの扉を開けることが出来た。扉を開けることは出来ても連れ出すことは出来なかったようだな。仕方ないよな……そのための道具を持っていなかったのだから
え?
あいつは、それで良い。お前たち二人は和解した。二人の共通の夢でもあった家族になることは果たされた。それで十分だろう
………
だが、あいつはお前が抱えていた別の事情を知らなかった。不登校になって地下書庫に引き篭もるようになった……その理由を………な
………
だから、あいつでは連れ出すことは不可能だ。まぁ、俺もお前たち二人の間にあった事情は知らなかった。兄貴失格だよな、全く
何を…………言っているの? それに、どうして兄さんはここにいるの?
分からない。自分だけ納得して、話を進める。そんな兄の姿にエルカは苛立ちを感じ始めていた。
そんなエルカの苛立ちも気付いているのだろう。
兄は不敵な笑みを浮かべてみせる。
忘れていないよな? 俺には爺様の加護がついている
……兄さんは……私のいるところなら何処にだって行ける……だっけ
それは鍵がかかった部屋であっても、遠く離れた場所であっても、彼は必ずエルカのもとに辿り着けるのだ。
それは、グランがナイトに与えた加護の魔法。
ああ、その通りだ。だから、俺はここにいる。俺はお前の人生の一部だ……どんなに拒まれても側に居るよ。切っても離れられないのが俺
お爺様の加護って言われたら、それだけで納得してしまうの。お爺様は偉大な魔法使いですもの。それ……本当に厄介な加護ね
さて、ソルは追い出せても、俺は追い出せないぞ
……至高の読書タイムが始まるところだったのに。兄さんは私の読書を邪魔するのが本当に好きなのね
腕組みをしながらドヤ顔を浮かべる兄に、エルカは大きく肩をすくめて溜息を零した。
エルカの望みを叶えるには、この兄をどうにかしなければならないらしい。