雨が降っていた。

 ここは森の奥の墓地。



 俺たちは豪雨に打たれている。

 灰色に染められた空の下、偉大なる魔法使いの葬儀は、ひっそりとしめやかに執り行われていた。


 悪天候の中の葬儀に参列するのは身内である俺たち三人。

 俺と妹のエルカと、義弟のソルだった。



 埋葬を終え、神父たちが帰った後。

 俺たちは彼の墓標の前から動けなかった。



 この土の中に彼が眠っている……その事実をまだ受け入れることができない。
 



 土砂降りの雨は激しさを増すが、俺たちは未だに動けずに立ち尽くしている。



 彼は魔法使いとはいえ人間なのだ。【死】という未来は必ず訪れる。それぐらいわかっていたはずだ。



 それなのに、彼という存在は、いつまでもこの屋敷に在り続けるのだと思っていた。


 消えてなくなるなんて考えたくなかったのだ。




 そんな非常識を求めてしまう。

 ふいに、先ほどまで嗚咽をあげて泣いていた妹が涙声で呟く。

エルカ

……これは、決められていたことなんだよね

ナイト

………そうだな

エルカ

でも、また会えるんだよね

ナイト

それは、どうだろうな

 俺は死後の世界なんて信じていなかった。

 しかし、夢見がちな少女は信じているのだろう。俺の曖昧な返答に対して、涙を拭いながら微笑を浮かべた。

エルカ

……だって、お爺様は【本】になるのよ。今の私は未熟だから無理だけど、いつか必ず……お爺様の【本】を読むの。その為には、たくさん勉強しないといけないの

ナイト

そうか、頑張れよ

エルカ

うん!

 【人間が死ぬと一冊の本になる】

 彼が語ったその話を彼女は信じているのだ。だから、ただ悲しみに沈むことをやめて、希望を持って笑顔を作る。

 俺は元気に頷く妹の頭を撫でてやった。

エルカ

だから心の中でお爺様とお話するね

 そう言ってエルカは五指を交互に組み瞼を閉ざす。

 これからのことを祖父に誓っているのだろう。





 俺は次に傍らに視線を向けた。

 隣ではソルが口を結んで墓を見つめていた。眉間に皺を寄せながら、何かを呻いている。懸命に泣くのを堪えているようだった。



 いつも不機嫌で乱暴者のソルだが、恩人の葬儀ともなれば大人しく参列してくれた。

 今日一日はやけに大人しくて別人のような姿を見せている。



 ソルが彼のことを敬愛していたことは隠さなくてもわかっている。

 号泣しても構わないというのに、意地っ張りな彼は涙を見せまいとしていた。

ソル

…………

ナイト

お前……泣きたいなら素直に泣いて良いんだぞ

ソル

な、泣いてなんか

ナイト

せっかく雨が降っているんだ。どれだけ泣いても……笑う奴らはいないからさ

ソル

………うぅ

 俺の言葉に一瞬だけ一瞥すると、目頭を抱えて俯いた。

 素直じゃない奴だと思いながら、俺は彼に背を向ける。


 すると、微かな嗚咽が背中越しに聞こえてくる。
 

 どれぐらい時間が過ぎただろうか。

 俺は再び彼女に視線を向ける。



 エルカは組んでいた手を解き顔を上げた。

 冷たい雨は体温を奪っていく。

 傘も持たない俺たちは全身びしょ濡れになっている。か弱い彼女にはそろそろ辛い状況だろう。

 俺は冷え切った彼女の手を握った。

ナイト

エルカはこっちで雨宿りしよう。風邪ひくぞ

エルカ

………ねぇ、どうして兄さんは泣いていないの?

ナイト

え?

 不思議そうに彼女は俺を見上げた。

 それは純粋な疑問だったのだろう。

 同じことを思っていたのか、もう一つの視線もこちらに向けられていた。



 堰を切ったように泣いていた二人と違い、俺は涙を流していない。
 心が冷たい人間だと思われたのかもしれない。

エルカ

お爺様が亡くなって悲しくないの?

ナイト

………悲しいよ。でも、俺は……泣き方がわからないんだ

エルカ

………

 悲しいという感情は確かにあった。

 しかし、涙は流れない。


 ソルに泣いても良いなんて言っておきながら自分は泣くことが出来ない。



 どのようにして涙が溢れるのか、俺にはわからなかったのだ。

 だって、泣いている暇なんてないのだから。俺が泣いたら、彼女たちを支えることができない。



 泣いてしまえば、この手を引いて雨を凌げる場所に連れて行くこともできない。



 先に口を開いたのはソルだった。


 彼はぶっきらぼうな表情でつぶやく。

ソル

簡単だろ? 自分のことだけを考えれば良いんだよ

ナイト

何言い出すんだ?

エルカ

ソルの言う通りだよ。私たちのことを気にして泣けないのなら……一瞬だけで良いから、自分のことだけを気にして欲しい。

エルカ

兄さんが過ごしたお爺様との思い出を考えて欲しい

ナイト

俺と爺さんが過ごした時間か……

ソル

オレ、十分泣いたから雨宿りするよ

エルカ

私も……

 先ほどまで泣いていたソルとエルカが微苦笑を浮かべる。


 そして、俺を残して立ち去ってしまった。

 特に親しいわけではない二人は、雨を凌げる軒下で微妙な距離を空けて立っていた。




 残された俺は、彼が埋められた土を見据える。


 俺にとって彼は大きすぎる存在だった。彼がいるから、今の俺たちがいるのだ。涙が溢れ出る。



 彼がいなくなって、俺は彼女たちを護れるだろうか。

 彼が生きていた頃は大丈夫だと思っていたのに、いなくなってみると彼の存在の大きさを痛感する。



 自分が青二才であることを自覚してしまう。


 そんな不安が過ったが立ち止まってはいけないと首を横に振る。

ナイト

こんな顔をしていたら心配だろうな。泣くのは今だけだ……貴方がいなくとも俺が二人を支えていく

……だから、今だけは

 溢れ出る涙を俺は止めることができなかった。


 悲しいと思ったのも、涙を流したのも初めてだった。




 だから涙を止める方法がわからなくて……


 心配になって来てくれた妹が抱きついてくるまで、涙はとめどなく流れていたのだ。

 毎年、彼の命日には三人でこの森を訪れる。


 ソルもこの日だけは大人しく俺たちについてきた。

 花を供えて、不機嫌そうな顔のまま、彼の墓に手を合わせる。そして、近況を報告する。


 聞こえてはこないが、『まぁまぁ元気だ』みたいなことを言っているように見えた。手を合わせたと思えば立ち上がっていた。



 ソルと入れ違いに墓の前に立つ俺も同じようなもの。手を合わせて『三人とも、まぁまぁ元気です』と呟いている。



 そんな面倒臭がりな兄たちと異なり、エルカは時間をかけて報告するのだ。

 話が長くなるからとソルを先に帰しておく。

 彼女は、お守り代わりに持ち歩いている本を抱きしめながら語り掛けていた。

エルカ

お爺様のお蔭で通わせて貰っている学校……嫌いだけど、最近は楽しいこともあるんだよ。内緒だけどね、図書室の司書さんが私の好きな本を買ってくれたんだ

 彼女は学校であったことを俺たちには話さなかった。

 だから、初めて聞く話だったので耳を傾けてしまうのだ。

エルカ

それとね……友達みたいな人も出来たんだ。私の話に付き合ってくれるの……魔法使いの私と関わったらいけないから、もちろん内緒で会っているのだけど。

ナイト

(友達だと?)

 友達が出来たことは喜ばしいが、密会のようなやり取りに眉根を寄せた。

 そもそも、その友達の性別はどちらなのだろう。

 俺は耳をピクピクとさせながら、彼女の声を聞いていた。



 エルカは俺に話しているわけではないので、小声で控えめに話している。

 風が木々を揺らすだけでかき消されてしまうほどの弱々しい声。

エルカ

……今までは図書室に行くことが目的だったけど、今は……その人と図書室で話すのが楽しみなの。だから、私はまぁまぁ元気だから安心してください

 最後にエルカは小さく頭を下げた。

 どうやら、彼への報告は終わったらしい。




 そして振り返り俺と目が合う。話を聞かれていたことに気付いた彼女は、顔を赤くしながら小さく睨んできた。

エルカ

!!

 これは、かろうじて幸せだった頃の記憶だ。

 その少年は、エルカにとって初めての親友だった。



 俺とそいつが交流を深めることになるとは……




 この時は、思いもよらなかったことだ。

 俺たちじゃ出来ないことが彼なら出来るだろう。

 『兄』である俺たちと異なり、彼は『何』にでもなれるのだから……

後編
~引篭もりの魔女と友の絆~

第3幕

男たちの話

~prologue~

第3幕 男たちの話 prologue

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