夕食の後は、キャンプファイヤーまで2時間ほどの自由時間。

 といっても、ここには川と、その川を覆うように茂っている森しかない。
 その川も、前日の大雨による水嵩《みずかさ》の増量で入る事を禁止されている。

 まだ明るいとはいえ、森へ入るのはやっぱり怖い。
 また何だかよくわからない虫がいるかもしれないし、熊なんかも……もしかしたらいるのかもしれない。
 そう思うと、余計に森へは入りたくなくなる。

 とどのつまり、何もする事がないのだ。


 トイレに行くと言う優雨ちゃん朱莉ちゃんを待つ為に、今こうして一人テントで待っているのだけど……。

 何だか、眠たくなってきちゃったなぁ。
 昨日は楽しみすぎて、あまり眠れなかったから。


 外に出ればまだ蒸し暑さがあるのに、テントにいると日陰のせいかちょうどいい温度に感じる。吹き込む風が気持ち良い。

 あぁ……本当に、眠くなってきちゃった。

 我慢できない睡魔に、少しだけ横になってみる。
 トイレ、混んでるのかなぁ……。

優雨ちゃん達、まだかなぁ……


 ポツリ呟くと、私は意識を手放した。

 ーーーーーーー


ーーめ

 
 ん……何……?

 ユラユラと身体が揺れて、心地良い……。

ゆーー

 ん……っ。誰かが私を、呼んで……るの?

 心地良く揺れるリズムに身を委ねながら、ボンヤリとした意識でそんな事を思う。
    
 何……??

ゆーめ

 ……あっ。……そうだ、私……。

 手放していた意識を懸命に手繰《たぐ》り寄せると、何とか覚醒しようと頑張ってみる。

 やけに重たい瞼をゆっくりと開いてみれば、私の視界いっぱいに笑顔の涼くんが広がった。

……っん。寝ちゃってたぁ

 覚醒しきれていない頭で、そんな事を言いながら瞼を擦る。

うん、知ってる。そんな風に寝てると、風邪ひくよ


 いつもの笑顔でニカッと笑った涼くんは、言いながら私の頭をわしゃわしゃと撫でた。

夢。今から、凄い所に連れてってあげる


 相変わらずの笑顔で、今度はくしゃくしゃになってしまった私の髪を整えながら話す涼くん。

凄い、ところ……?

うん。夢、きっと気に入るよ。行きたくない?

 ちょっぴりイジワルそうな笑みを見せられれば、不思議と興味は湧いてくるもので……。

……行きたいっ!

 興奮気味にそう告げると、涼くんはアハハと可笑しそうに笑って、私の頭をポンポンと優しく撫でた。

 せっかくだから皆も誘おうとの事で、勿論異論などなかった私は、皆が集まるのを待ってから涼くんの後へ着いて出発した。

……も、森に入るの? ちょっと怖いな……

 目の前に広がるジャングルのように鬱蒼《うっそう》とした森は、まだ陽が沈んでいないというのに怖がるには充分な暗さで……。
 今にも消えてなくなりそうな声で訴えてみる。

大丈夫だよ、夢ちゃん。皆が一緒だから

奏多

何かあったら、俺がついてるから安心して

優雨

私だっているから。大丈夫だよ、夢

朱莉

夢ってばぁー。まだまだ暗くないから、大丈夫だよ!

懐中電灯も持って来たし、大丈夫だよ。ね? 夢だって凄い所、見に行きたいでしょ?

 森を見て怯んだ私に、皆が口々に説得を始める。

 確かに、ここまで来て一人でお留守番なんて嫌だ。むしろ、こんな森の入り口で一人待たされる方が、よっぽど怖い。

 何も考えずに着いて来ただけなので、帰り道なんてわかるはずもなく……。
 確か、ここへ着くまでに10分くらいは歩いた。
 ということは、まず一人でテントまで帰るのは難しい。

 かといって、自分一人の為に皆も行かないでとお願いするのも申し訳ない。

 チラリと目の前の涼くんを見ると、自信満々に右手に持った懐中電灯を見せてくる。

一緒に行こう、夢


 ニカッと満面の笑みで笑いながら、空いている左手を私の目の前へ差し出す。
 私はコクリと小さく頷くと、差し出された左手に自分の右手をそっと置いた。

 ーーーーーーーー



 ーーーーーー

きゃーーっっ!!!

 意を決して入った森の中は、外から見るよりも真っ暗で、足元には道なんてものはなかった。
 頼りない足元を注意深く進んでいると、動物によるものなのか風なのか……時折、カサッと葉が擦れ合う音が聞こえてくる。

 

ーーーカサッ

いやぁーーっっ!!

 森の中はとても恐ろしくて、もう帰りたいと、ここまでに何度も心の中で思った。
 怖くて怖くて……もうそろそろ、限界。

 森へ入ってから、ずっと叫んでいるのは私ーー

 ではなく、朱莉ちゃん。
 私は恐怖で声すら出せないでいた。

 今叫んだら、絶対に泣いてしまう。
 右隣にいる涼くんの腕にキュッとしがみついて、必死に耐える。

 

ーーーガサッ

朱莉

きゃあぁぁーー!!!

ちょっ……。朱莉、腕がもげる

 そんな声が、右隣から聞こえてくる。

 あぁ、朱莉ちゃん涼くんの右腕に掴まってるんだな……なんて思う余裕も、今の私にはない。

 朱莉ちゃんの叫び声を聞けば聞くほどに恐怖心は増し、ついに私の足はガクガクと震えだした。

夢、大丈夫?

 そう言って私を心配する涼くんの声は、酷く不安気だ。

 顔を覗き込まれているような気配を感じるけど、今の私には目を合わせる余裕などなく、コクリと小さく頷くので精一杯。

ちゃんと目を開けて歩かないと、危ないよ? ……ほら、夢

 言われて初めて気が付いた。
 恐怖のあまり、無意識に目を閉じてしまっていたらしい。

 確かに、目を閉じたまま歩くのは危ないので……怖いけど……凄く、怖いけど。
 薄っすらと目を開けると、徐々にその視界を広げてゆく。

 ゆっくりゆくっりと、固く閉じていた瞼の力を緩めていると、ヒュンッと勢いよく何かが目の前を横切った。
 突然の事に驚いた私の目は全開になり、左から右へと走り抜けていったモノは一体何だったのかと、無意識に目で追いかけてしまった私。

 その視線の先にはーー

 懐中電灯に止まる、黒々とした変な虫。バタバタと動く、気持ちの悪い羽根。

ひゃっ……やぁぁー!

 大の虫嫌いな私は、今までずっと我慢していたせいもあったのか……ついに叫び声を上げると後ずさった。
 そして、足元にあった窪みにハマって体勢を崩すと、そのままドサリと尻もちを着いた。

 もう、これ以上の我慢はできなかった。
 とっくに限界は超えていたから。

いやぁー……っ。ぅ……こわい゛ぃぃ……。ぅぅぅっ……おうちっ……かえりたっ……いぃぃ……

 限界を超えた私は、とうとう泣き出してしまった。
 
 泣きたくなんかないのに。
 こんな姿、皆に見られて恥ずかしいのに。

 そう思うのに、一度泣き出してしまったら止められなくて……。

……ぅ……こわっ……いよっ……ぉぉっ……ヴっ。……こわいっ……ぃぃ~っ……

 怖い怖いと、泣く事しかできなかった。

「「「「夢!」」」ちゃん! 」



 近くにはいたものの、バラバラだった皆が私の元へと集まってくる。

奏多

ほら……夢。そんなところに、いつまでも座ってちゃ駄目だよ

……夢ちゃん、痛いところない?


 奏多くんが私を抱き起こすと、楓くんが心配そうに私の手や身体に付いた土や葉っぱを払ってゆく。

朱莉

夢、大丈夫……?

こめん、夢。光につられて、虫が寄ってきたんだ。……夢、虫嫌いだもんね。ホントごめん……

 心配そうに見つめる朱莉ちゃんと、申し訳なさそうな顔で見つめる涼くん。

 涼くんのせいじゃないのに……。

っ……ぅ……っ……こわっ……ぃぃ

 涼くんのせいじゃないよって伝えたいのに、それ以上に怖くて怖くてーーわたしの口からは、怖いしか出てこない。

優雨

ほらぁ、夢。もう泣かないで? 怖くないから……ね?

 ハンカチで涙を拭いてくれる優雨ちゃん。
 その声は、とても優しくて安心する。まるでママみたい。

 拭っても拭っても溢れる涙を、優しく何度も拭いてくれる。

優雨

皆で一緒に、行くんでしょ?

 優雨ちゃんに優しくそう問われ、涙を流しながらも小さく頷く。

夢……本当に、大丈夫?

 心配そうに私を見つめる涼くん。

奏多

大丈夫だよ、夢。俺がついてるから

じゃあ……。こっちは、俺ね?


 奏多くんが右手を、楓くんが左手をそれぞれ握ると、

これでもう、怖くないね?

って楓くんが笑顔で言うから……。

 本当はやっぱり怖いけど、コクリと小さく頷く。

あと少しだから、頑張ろう! 夢

 いつもの笑顔に戻った涼くんが、ポンポンと私の頭を撫でてくれる。

 まだ涙でぐしゃぐしゃのままの私は、涼くんのいつもの笑顔が嬉しくて、それにつらるようにして大きく頷いた。

ーーじゃあ、行こうか

という涼くんの言葉を合図に、改めて出発となった私達。

 明かりがある方がいいからとの事で、朱莉ちゃんは涼くんと。
 私の右手には奏多くん。左手には楓くん。
 優雨ちゃんは、優しく私の頭を撫でながらずっと側にいてくれた。

 何故か、さっきまで感じていた恐怖に比べるとそこまで怖くないのが不思議だったけど、私は別の意味で苦しむ事となる。

 もう涙は止まったのに……。
 なかった事にしたいのに……。

夢ちゃん、泣いちゃったね。……でも、可愛かったなぁ~

 なんて、妙にご機嫌な楓くんが何度も言うから……。

 私は赤面した顔を俯かせると、暫くの間、楓くんによる公開処刑に黙って堪えながら歩くしかなかったーー。

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