32 偽りの罪人

 ゆっくりと、エルカは表情を歪ませた。


 自分が壊れないように、目の前の彼が心配しないように、笑顔を浮かべていたのに。

 もう無理だ、笑うことが出来ない。

エルカ

………

ソル

やったのは、オレの父さんだ…………お前は何もしていない、お前じゃないっ

 強い言葉で、懇願するようにソルは叫んだ。

 ここに探偵はいない。いるのは容疑者だけ。しかし、容疑者はここにいる者だけではない。

 肝心の真犯人はいなかった。


 ここで真犯人だと叫べば嘘の証言になってしまう。

 ソルはエルカを嘘つきにはしたくなかった。

エルカ

でも、私がやったんだ……よ

ソル

違う! お前のその細い腕で出来ることじゃないだろ。重いものも持てない、小走りしただけで、すぐに息切れするような体力のないお前に出来るはずがないんだ

 力強い手がエルカの両肩を掴む。

 先ほどのように無理矢理に抱きすくめはしなかった。

 ちゃんと目を見なければ、今の彼女には届かないと思ったからだ。

エルカ

……あぅ

 強い視線で睨むと、逃げるように彼女は目を逸らす。

 彼女を睨みつける。これはソルの強がりだ。

 ソルは虚勢を張ることでしか、相手を従わせることができない。



 自分たちは何てこうも似ているのだろう。血は繋がっていないはずなのに、自分に嘘を吐いて、自分と相手を傷つけて、その嘘を真実に塗り替えようとする。


 犯人はソルの父親、エルカは何もしていない。

 それが真実だった。


 
 だけど、それではダメなのだ。

 エルカの中では、それが真実であってはいけなかった。

 ソルも強がっていたが、エルカも強がって狂気じみた表情を浮かべていたのだ。


 今は、俯いて表情を曇らせる。

エルカ

で……も………ダメなの

 か細い声が否定する。

 犯人がエルカでなければダメなのだ。震える目でソルを見上げた。

ソル

それに、オレの父さんはまだ生きているだろ?

エルカ

そう……だね

 確かに真犯人は生きている。

 地下に落とされた彼は、幻覚を見せられているだけ。

 エルカによって、物理的に傷を負わされているわけではない。

 しかし、燃え盛る炎による火傷。
 エルカを追い回した時や、階段を転げ落ちた時の打撲は、徐々に彼を死に誘っている。


 このまま地下に飲まず食わずで放置していれば、凶器と共に真犯人を闇に葬ってしまうだろう。




 それでは、誰も幸せになれない。

 ソルはそんな結末を認めたくはなかった。
 

ソル

……地下書庫の鍵はどこにあるんだ? お前なら合鍵ぐらい持っているだろ? 本好きのお前があの書庫を手離すとは思えないんだ

エルカ

………確かに合鍵は持っているよ。まさか、あの人を助けるっていうの? 何、考えているの?

ソル

助けるんじゃない。犯人として引っ張り出すだけだ。そうしないと、あの男の罪をお前が背負うことになるだろ?

エルカ

そのつもりだよ……

ソル

違うな……お前の大好きな兄貴……ナイトが被ることになる

エルカ

…………っ

ソル

それは、嫌だろ?

 突然、兄の名前を出されたからだろう。

 エルカは頬を引きつらせる。

 彼女はナイトに懐いている。

 そして、ナイトは妹にとても甘い。この二人にとってお互いの存在が弱点であることはソルも理解していた。

 だから、彼の名前を出したのだ。

エルカ

兄さんが罪を被ることは出来ない。私の指紋のついたナイフ……それは現場に残してきた。刺していなかったとしても、凶器になるものが落ちていた。それが証拠に繋がる

 あれがある限り、犯人は自分でしかありえないとエルカは考えていた。


 おそらく、ナイトにはアリバイがある。あの時間、彼は確実に勤務中だったのだ。


 エルカの表情に焦りの色が見えたことを確認して、ソルは苦笑した。

ソル

………お前が考えていることぐらい、ナイトには御見通しだろ?

エルカ

ううぅ

 エルカは小さく呻いていた。

 ナイトはエルカに対して過保護だった。

 エルカはその過保護に鬱陶しさを感じながら、同時に甘えていた。

 毎日食事を届けに来てくれるとき、一瞬でも会えれば嬉しかった。隙間から一瞬だけ見える視線に安心感を得ていた。


 幼い頃から、事あるごとにエルカはナイトの背後に隠れていた。

 ソルが嫉妬するほどに、エルカはナイトに深く心酔している。

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