27 欠けた兄妹の思い出

 魔法の手順に間違いはないはずだった。



 しかし雑念と不安が、集中を妨げたのかもしれない。

 その影響なのか、エルカは記憶が曖昧な状態で目覚めてしまった。


 いっそのこと全てを忘れた状態で目覚めたかった。

 見知らぬ部屋で目覚め、現れたソルと合流して、図書棺に足を踏み入れる。


 自分の描いた絵本に取り込まれ、物語の完結を目指した。

 物語を紡ぐ過程で、穴だらけだった記憶が埋まっていく。


 記憶を埋めることが正しいような気がした。

 だから、記憶を戻すことも、帰るという自分の意思にも、何ら疑問は抱かなかった。





 そして、記憶を全て取り戻したエルカは、思い出したことを後悔していた。


 あんなにも、不安だった心の空白が埋められたことに深く溜息をこぼす。




 

 思い出さなければ幸せだった。




 少しばかり回り道をしたが、最後はエルカの予定通りに事は運ばれた。

 それは、後味が悪くて、つまらないバッドエンド。
 この結末が正しいのだ。

 この、魔法の図書棺には誰もいない。

 エルカの心の棺に踏み込める者は現れないだろう。

 ソファーに座りながらエルカは思考を巡らせる。魔法のティーポットで紅茶を淹れる。

 お気に入りの紅茶の仄かな香りが、乱れかけたエルカの心を落ち着かせてくれた。




――ここは物語の棺、エルカの記憶の棺。





 エルカは自分が何処にいるのか、ようやく思い出すことが出来た。

 あまりにも長い旅路だったので、思わずため息を零してしまう。


 静寂に包まれた部屋の中にはエルカだけ。ここはエルカが自分の為に用意した棺だった。



 ここは図書棺、時間を潰すには十分な量の本が収められている。


 エルカは数多の本の中から一冊を手に取って、それを抱きしめた。

 それは、エルカが完結させることが出来なかったプリン王子の物語だ。

 図書棺にソルと足を踏み入れた時に、依頼されたことを思い出していた。


 未完の物語を完結に導くなんて無茶な話だ。


 これは、一度書いた完結を全て消して、新しい結末を考えて、だけど書くことができなかったのだから。

 未完のまま、この本は祖父グランに預けていた。二度と見ることはないだろうと思っていた、一冊の本。

エルカ

……そう……途中までは、これは幸せな物語だったんだよ……

 エルカは何もない日常から幸せを空想していた。

 それは幼い少女の精一杯の現実逃避だった。

 せめて物語の中では幸せになりたかったのだ。


 父親が再婚して新しい兄弟ができた。

 彼は少し怖くて不器用な男の子。

 近付くと殴られそうで怖かった。

 でもおやつのプリンを食べているときは別人みたいに笑顔だった。

 少しも怖くなかった。

 それをナイトも知っていた。
 ナイトは出かけるとき、必ずプリンを作って置いてくれた。

エルカ

……それでも、あの時は足りなくて……

 ソルが自分でプリンを作ろうとしたときは驚いた。

 バケツプリンはお腹を壊す。

 ソルがお腹を壊したら余計に機嫌が悪くなる。

 それは嫌だ。だから一緒にプリンを作ることにした。



 それは、初めての事でワクワクした。

 他の誰かと何かを作ることは初めてだった。

 二人でプリンを作って、食べた時………

エルカ

―――あの瞬間だけは幸せになれるって思っていた。この物語。

エルカ

いつもはソルに内緒でこれを描いていたけれど。このページはソルの目の前で描いた。ソルが食べているのを見ながら

 そこにエルカは描いていたのは幸せそうに笑うプリン王子の絵だった。



 自分で作ったプリンが美味しかった。

 ソルがいつまでも食べていた。

 後片づけはいつもエルカの仕事。

 だから彼が食べ終わるのを待っていた。






 目を閉じると、あの日の思い出が瞼の裏で再生される。



 エルカは、ソルを眺めていた。


 その視線に彼は不快そうな表情を浮かべる。

ソル

……何?

エルカ

片付けるの……だから待っているの

 『それが私のお仕事だから』、そう付け加えるとソルは理解したらしい。



 ソルが今食べているプリンの皿を片付ける為に、彼女は待っているのだ。

 他にもプリンがのせられている皿は残っている。

 これを食べ終わるまで、エルカは視線を反らさないつもりだろう。



 だから、ソルは眉を寄せた。

エルカ

…………

ソル

わかったけど……食べているところをさ……見られているのは恥ずかしい

エルカ

ごめん、そうだよね……そういえば、カラメルソースの作り方、知っていたの?

ソル

お前の爺さんから聞いたんだよ。レシピを貰ったんだ。お前をビックリさせたくて。オレが何も出来ないって思われているのは癪に障るしな

エルカ

うん、ビックリしたよ。美味しかった

ソル

そっか………ああ、もう少し食べていたいから。お前はその辺で絵でも描いてなよ。あ、片付けはオレもやるからさ……

エルカ

え? ソルも片付けてくれるの?

 意外な返答にエルカは目をパチパチとさせた。

 見上げるとソルは、鼻の上を掻きながら視線を反らしたのだ。

ソル

や、やりたくないけどさ……お前に怪我させるとアイツ怖いだろ?

エルカ

兄さんは怖くないよ

ソル

オレには怖いんだ。すぐに食べ終わるからそれまでは好きなことしてなよ

 ……ってソルが言ったから、エルカは日記帳を取り出して描いていた。


 本人を目の前に描いたのはこれが最初で最後だった気がする。


 エルカは絵を描くことに夢中になっている。


 そう思ったのだろうか、ソルは無防備に幸せそうな顔を浮かべていた。


 エルカはその表情を盗み見しながら描いていた。

エルカ

…………

ソル

……………

 ああ、この笑顔は……

 本の中で見た、プリン王子の笑顔と同じだ。

 満面の笑顔のプリン王子の絵を見て、そして次のページを開く。



 ページを開く手が無意識に震える。


 それでも意を決して開いた。そこから先は、黒く塗り潰されている。

 
 何度も何度も何度も描きなおした。

 どんなに描いても、怖いものを描いてしまった。

 ソルが怖いものになってしまう。プリン王子が怖い存在に変貌する。


 ソルは怖くないはずなのに、怖いと思ってしまう。それは彼が望んだことだから。

 だから、幸せの欠片なんてどこにもない怖いものを描いてしまった。



 真っ黒な目をした王子様が一人で闇の中に立ち尽くしている。


 そんな絵を描いてしまった。

 それが怖くて、それは違うと思ってエルカは黒で塗りつぶした。



 何度も何度も何度も黒インクを重ねて塗りつぶす。

 ソルは言った。

 あれは、ソルがやったって。

 あの怖いのは、ソルだったんだって。

 エルカはソルを信じているから………その言葉も信じた。

 本当は見ていたし、違うってことも知っていたけど。男の子でしかも年上の人に泣いて訴えられたのだから、従うしかない。

 あの日、暴れて家の中を滅茶苦茶にしたのはソルではない。






 だけど、ソルが暴れて家の中を滅茶苦茶にしたということにする。


 エルカは自分の意思で記憶を上書きした。

第2幕-27 欠けた兄妹の思い出

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