25 とある妹の語る事件4
25 とある妹の語る事件4
エルカは走りながら冷静さを取り戻していた。
視線の端に見えるのは、炎の欠片。
それはまだ小さな塊だが燃え広がれば、確実に中にいる全員が死ぬだろう。
ゴミだらけの屋敷だから、すぐに燃え広がる。
【魔法使いは魔法で人間を殺せない】
それは魔法使いの鉄の掟。
この掟を破れば、罰として四肢が引きちぎられ塵と化す。
そう祖父から聞かされてことをエルカは思い出していた。
父はこれを恐れていたのだろうか。
魔法で直接殺すことはできない。だけど間接的になら、魔法で殺すことはできる。
そう考えて魔法で火を放った。男に対してではなく、屋敷に対して。
そうすれば、火事を起こして間接的に男を殺すことができるのだから。
息絶える直前だったのだから、死を覚悟で魔法で殺せば良かったのに。
彼はそれをやらなかった。
おそらく、出来なかった。
(……父さんの力が足りなかったからなのか……分からないけど。もしも、直接魔法で殺せなかったら、父さんはあの人を殺す機会を失ってしまう。)
(そして、あの人は父さんがこれ以上魔法を使うことを阻止するでしょうね)
確実に魔法で殺せるのなら、そうしたであろう。
しかし、マースは優秀な魔法使いではなかった。失敗するリスクの方が高かったのだろう。
だから、彼は考えたのだ。
(突然の魔法……そんな奇襲が成功するのは一度きり。だから、炎は屋敷に向けられた。燃え広がった炎は父さんが息絶えても燃え続けるのだから。)
(そして、この続きを私にやらせるつもりだったのね。そうだね、それは私にしか出来ないもの。あの男をこの屋敷に閉じ込める)
自然とエルカは笑みを浮かべる。
乗り込んできた男を逃がすわけにはいかない。この機会を逃してはいけない。
父親の置き土産は有効活用しなければならない。
(流石、お爺様の息子だよね。魔法で間接的に殺す………そんなことは私には考えもつかなかった。私は直接刺し違えてでも相手を潰すつもりだった。成功率はとても低い。)
(他に方法なんてないと思っていた。そうか、間接的にね………そうだね、父さんが出来なかったことを、果たしてあげる)
地下書庫の扉は開けたまま。
だから、エルカは男の視線を地下書庫の扉に誘導させる。
男はエルカが地下書庫に逃げるのを防ぎたいはずだ。
あそこが、エルカにとっての安全地帯であることをこの男は知っている。
(あの女……私が地下書庫に引き篭もることを、この人に教えていた。そのことに感謝しないとね。この人は私の逃げ場を塞ぎたい……だから)
残念、逃がさないよぉ
エルカの逃げ場所は地下書庫だけ。
だから男はエルカより先に扉の前に向かう。エルカの退路を断つために。
開かれたままの扉を背中に男は通せんぼをする。
無防備に手を広げて、ニンマリと笑う男にエルカは冷たい視線を向けていた。
(貴方は知らない)
地下書庫の扉の一寸先は急な階段になっていた。
気を付けて降りないとエルカだって落ちて怪我をする。
だけど、そんなことを男は知らない。先回りをして、退路を断ったことに勝ち誇った男が嗤って………
うわぁぁぁぁぁぁ
けたたましい悲鳴が響いていた。
男の大きな身体が大きな音を立てながら地下書庫の階段を転げ落ちていく。
そこは絶壁に立っているようなものだ。
断崖絶壁の先端に背中を向けたまま立っているなんて、狂気の沙汰ではないだろう。
足を引きずって歩いている男は平衡感覚が鈍っており、フラフラと危なっかしい動きをしている。
ほんの一瞬だけ、足元がよろめいただけだった。
それだけで、男は奈落の底に向かって転げ落ちていく。
エルカは、上手くいくとは思わなかったので自然に笑みが浮かべた。
………
なにしやがる……っ
階段下から男の醜い声。
エルカは地上に上がるときに、地下書庫の灯は全て消してきた。闇の中だから顔は見えない。
きっと今のエルカは醜い顔を浮かべているだろう。
………ここはお爺様の地下書庫だよ。許可なき者が足を踏み入れた場合……罰が下されるの……そういう魔法がかけられているの
な、何を言って………ひぃぃ
私には見えないものが、貴方には見えているはず。ここはお爺様が私の為に用意してくれたもの。お爺様は言っていたわ、貴方が来たらここに突き落とせって
すまない、助けてくれぁ
ごめんなさい……これもお爺様の言いつけなの
あの日、ソルは父親の視線からエルカを隠せたと思っていた。
だけど、男はエルカを見つけていたし、エルカも男を見ていた。
二人は初対面でありながら、互いの考えを瞬時に読み取っていた。
いずれ、何度でも
エルカに会いに行く。
いずれ、何度でも
あの男が会いにくるだろう。
男の狂気を危惧した祖父が、死の間際にこの地下書庫を魔法で改造した。
孫娘に危害を与える存在に対しては、別の姿に変貌するようにという高度な魔法だ。
だから、階段の下で何が起きているのかエルカは知らない。
エルカの知っている地下書庫とは別の何処かに繋がっているのだろう。
男の悲鳴が鳴りやまない。
た、たすけ………
情けない声は最後まで聞く必要がなかったので、エルカは扉を閉じた。
終わった。
これで終わったのだ。エルカは安心して扉に触れる。
向こう側でまだ叫んでいるが、知ったことではない。周囲が熱い、父の放った炎が燃え上がっていた。
その温もりにうっとりと目を細める。
父の放つ炎で焼け死ぬという結末も悪くないかもしれない。
それは、今のエルカにとっては最高のハッピーエンドなのだから。
邪魔なものが全てなくなる。
父親も継母も、この男も、そして自分もいない世界は最高に幸せだとエルカは考えていた。
しかし、何かが満たされない。
胸に手を触れても、何が足りないのかエルカには分からなかった。