23 とある妹の語る事件2

 エルカは椅子に座り天井を見上げた。


 誰かが歩く音が聞こえてくる。ドスンという音は、ソファーに座った音だろう。
 

エルカ

それにしても……あの人たちは、私の処遇については兄さんたちには伝えていないみたいだね……

エルカ

フフフ………あの人たち、聞こえていないとでも思っていたのかな

 エルカは手でナイフを弄びながら微笑を浮かべる。

 この地下書庫の上にはリビングがある。

 そして、この机の側に居ると上の会話が筒抜けになるのだ。

 ここで夫婦が客人を呼んで語らうのをエルカはいつも聞いていた。

 これは祖父がエルカだけに教えてくれた地下の秘密。


 兄が仕事の為に出かけた。裏口の扉が開いたから、ソルも何処かに行ったのだろう。

 それを見計らったかのように彼らが言葉を交わす。

 
 自分たちの会話をエルカが聞いているとは思いもしないだろう。

貴方の娘だけど、あいつに売っても良いわよね

 耳障りな女の声が甘えるように父親に囁いていた。
 耳を塞ぎたくなるような気持ちの悪い声。


 今すぐあの忌々しい口を糸で縫い合わせてしまいたい。


 そう思っても行動できない自分が情けなかった。エルカは拳を固く握りしめる。

あまり金にならないと思うが

 対する父親の声は平坦で感情が見えない。

 感情が見えないから少しだけ怖かった。もっと高値なら快く売り飛ばされるかもしれない。

 乗り気ではない男の反応が気に入らなかったのか、女は猫なで声で続ける。

だってぇ、邪魔ですもの。私は嫌なの! 前妻の面影があるのが視界に入るなんて

そうか……

実は話はつけてあるのよ。偉いでしょ。でも、ほら見て。あいつ、思ったより金を出さないみたいなのよ。あの娘が欲しいって言うくせに……これっぽっちなのよ

……

……今日も呼んでいるから、来たら言ってやりましょう

……それで、ソルくんの方は?

あいつも引き取ってもらうつもりよ。あの子はあの人に似ているから苛々するのよ! どうせ、一人じゃ生きられないでしょうから、私の生活資金になってもらわなきゃね。二人合わせると、この金額よ………ウフフフフアハハハハハハハ!!

ハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!!

 下品な笑い声が聞こえた。

 この声を聞くだけで心が穢れてしまいそうになる。

 エルカは耳を塞いでしゃがみ込んだ。

エルカ

(その下品な口を開かないでよ……っっ)

 心の中で悲鳴を上げながら、瞼ををきつく閉じる。
 そんなことをしても無駄だった。声は耳に届くのだから。



 あの人たちにとって、自分たちは何だったのだろう。エルカにとってあの人たちは、ただの他人にすぎない。


 だから、どうなろうと構わない。きっと彼らも同じなのだ。

 ただの他人であるエルカたちがどうなろうと、興味もないのだ。

 足をふらつかせながら声の聴こえない場所まで移動した。


 そして床にしゃがみ込んで耳と目を閉ざす。

エルカ

…………貴女にとって私たちは……私は何だったの?

 姿を消した魔女を思い出していた。彼女は魔女であって、母親ではなかった。


 エルカの保護者は祖父とナイトだけだ。では、彼女は何だったのだろうか。

 どんなに深く考えても、その答えは見当たらなかった。




 時間はゆったりと確実に過ぎていく。


 それは、思考を巡らせるには十分な時間だった。


 一体どれぐらいの時間が過ぎたのか分からない。


 食べるように促された食事は手付かずのまま。エルカは時計を見て苦笑を浮かべた。

エルカ

……いつの間にか夜になっていたのね。少しは食べた方が良いよね。栄養補給程度には

 エルカはパンを小さくちぎって口に放り込む。

 それをミルクで流し込んだ。食事はこれで十分だ。



 今夜のナイトは帰宅が遅がくなる。




 家を出て生活するには大金が必要になるのだから兄は仕事量を増やす。

 自分の睡眠時間を惜しんででも働く困った兄だ。




 これから起こす行動はナイトには知られたくなかった。

 だから不在は好都合であり、このタイミングを逃したら二度とチャンスは訪れないだろう。





 エルカは立ち上がり、机に歩み寄る。視線は護身用のナイフに固定される。

 これを本気で使う日が来るとは思わなかった。



 だけど、使わなければただのアクセサリーになってしまう。

















 このナイフは 使 う た め に、ここにある。

エルカ

やるなら………

 今だ……


 
 エルカは呼吸を整えてナイフを握りしめた。


 自分の中の決意を確かめるように、静かに呼吸を整える。


 そして、目を見開いた。

エルカ

………





 その時、天井で大きな物音が聞こえた。

エルカ

…………っっ

 固まった決意にヒビが入ったような気がしてエルカは目を見開く。


 ナイフは握りしめたまま立ち尽くしていた。

 これを握っていないと、狂ってしまうような気がした。

 上で何か異変が起きたことは確かなこと。

エルカ

……様子を見ないと

 エルカは音を立てないように、慎重に階段を上り、そっと扉を開けて様子を伺う。

 そこでは誰かが誰かに馬乗りになっていた。

 暗がりの中で、誰なのかは確認ができない。

エルカ

………

バシ バシ バシ バシ ビシャ ビシャ ビチャ

バシ バシ バシ バシ ビシャ ビシャ ビチャ

バシ バシ バシ バシ ビシャ ビシャ ビチャ
 
 不快な音が聞こえる。

 これは何の音だろうか。

 それに視線を向ける。



 視線の先に黒い影が見えた。黒くて大きな影。その黒い影が、あの人たちを殴っている。

 馬乗りになって、煤だらけの拳を振り下ろしていた。

バシ バシ ビシャ ビシャ ビチャ ビチャ グシャ グシャ

ゴメンナサイ、ごめんなさい、
タスケテ……ユルシテ………ダズグェ……ガガ

 

 手を伸ばし、命乞いをする声を、【彼】は聞いていない。

 伸ばされた手を踏みつけて、何度も蹴り、何度も殴っていた。飛び散っている赤い飛沫は何だろうか。

エルカ

……わけがわからないけど、これだけはわかるよ。あの人に気づかれてはいけないってことは……

 そう思ったエルカは静かに扉を閉める。

 現れた殺戮者は、その行動を続けていた。

第2幕-23 とある妹の語る事件2

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