22 とある妹の語る事件1

 事件当日の朝も、ソファーに座ってエルカは本を読んでいた。

 それは、昨日と変わらない今日のはじまり。




 コツコツという足音が近付いてくる。



 その音がパタリと止まると、エルカはゆっくりと顔を上げた。

エルカ

(兄さんの足音……返事しないといけないよね)

 目線は開いたページに向けられたまま、エルカは立ち上がる。


 返事をしないとナイトは乗り込んでくるのだ。

 せっかくの静寂を壊されたくなかったので、重い足取りで書庫の扉まで移動する。




 急な昇り階段は歩きにくいが、慣れてしまえばなんのことはないただの階段。



 ソルやナイトが苦戦しながら昇り降りする階段を、エルカは軽やかに昇る。



 もちろん、読みかけの本を持ったままで。読書に集中しているときは、一分一秒でも惜しいのだ。



 足を踏み外すなんてドジなことはしない。


 そんなことになれば、貴重な本に傷がついてしまうのだから。

 エルカにとって自分がケガをするとかは二の次なのた。









 エルカが扉に辿り着いたところで、ナイトが話し始めた。


 エルカが足音で兄の存在を確認するように、ナイトも足音でエルカの反応を確認できる。


 そして、扉の前まで来てしまえば互いの気配を理解することができる。


 長年の付き合いだからこそ出来ることだろう。

ナイト

いるか?

エルカ

うん……でも、忙しい

ナイト

話はすぐに終わる。どうやら、あの二人の間に子供が出来たそうだ

エルカ

ふぅん……

 エルカは手元の本を捲りながら兄の話を聞いていた。パラパラとページを捲る音は兄にも届いているはず。


 話半分にしか聞いていないであろう妹に向けてナイトは言葉を続ける。

ナイト

それで、オレたちはそれぞれ独り立ちするように……ということになったんだ

エルカ

……了解

ナイト

了解って……お前、それで良いのか?

エルカ

……私がやることは変わらない、引き篭もって読書……それが出来れば問題ないよ。それが出来るなら、住む場所なんてどこでも良いよ。いっそのこと土の中に篭もろうかな

ナイト

お前なぁ……まぁ……あの人たちが何を言おうと、オレがお前を引き取るつもりだ。お前はまだ子供で女の子だから、一人でどうにかしろなんてオレが許さない。だから、心配するな

エルカ

………うん

ナイト

それと、飯は置いておくから、後で食べろよ

エルカ

今読んでいる本が怒涛の展開……………それどころじゃないの

 ページを捲る手が止まらない。今、一番盛り上がっているところなのに……

ナイト

倒れたら続きが永遠に読めないぞ

 ナイトが低い声で不穏な言葉を発した。

エルカ

永遠に読めない? それは困るの

 そこでエルカはピタっと手を止める。

ナイト

だったら食べるんだ

エルカ

…………わかった。中に入れて

ナイト

おう

 不満そうな妹の声にナイトの満足そうな声が返される。

 物語の続きが読めないのは嫌だったので、兄に従って扉を少しだけ開く。そして、パンがのせられたトレイを受け取った。


 一瞬だけ兄と視線を交わしてから、ガシャンと扉を閉めた。


 更に中で鍵を閉めた。

 これは兄に指示されている行為だった。


 彼が居ない間は必ず内側の鍵もかける。

 あの両親が乗り込んでくることはないだろう。

 だが、第三者が乗り込む可能性はある。

エルカ

これは第三者がニンゲンであれば通用する。第三者がニンゲンでなければ無意味なもの……鍵穴をすり抜けて容易く侵入できるでしょう。

エルカ

でも、ここはお爺様の書庫だからニンゲン以外だってそう簡単には入れないでしょうね。それに、入れたとしても出られるとは限らない。まるで棺桶みたい

 ナイトの足音が遠ざかるのを確認して、エルカは溜息を吐いた。


 本を抱きしめながら先ほどの兄との会話を思い出していた。

エルカ

何の話かと思えば、くだらない話なのね

 あの二人の間に子供が生まれるのだという。

 それは、エルカにとっては実に興味のない話だった。祝福する気にもなれなかった。


 それはエルカたちを追い出す口実にすぎないだろう。子供が出来たというのも女の狂言に聞こえてしまう。



 迷惑なことに、その影響でエルカたち三人は家を出なければならないのだとか。


 元々住んでいたエルカがどうして出て行かなければならないのか理解できない。

 そう心の中で憤慨しながら、階段を降りて再度溜息を零した。

エルカ

……読書する気も失せた

 そう呟いてから、読みかけの本を机に置いた。

 その隣に兄から受け取った朝食を置く。


 そして私物を入れている机の引き出しを開いた。


 その中には学校に通っていた頃のものが残されていた。

 通うことを放棄して、引き篭もったのはエルカだった。



 二度と行くつもりなかったのに何でこんなものを残しているのだろう。

 そう思いながらも捨てることが出来なかった品々がそこにある。

エルカ

………ノート、こんなにあったんだ

 それは数冊のノートだった。


 エルカが書いたものではない。それは、お節介な誰かが用意してくれた授業のノート。


 友人と呼べた唯一の人だった。その人のことは、もう友人とは呼べなくなってしまった。


 エルカは学校を辞めていて、その人もこの街にはいない。


 引き返せない過去の記録のノートでもあった。
 それらのページをめくり、その丁寧に書かれた文字を見る。

エルカ

……字が綺麗すぎる。読みやすくて、とても見やすい……でも、勉強するより私は物語を堪能したいの

 ノートを閉じて、机の上の本に視線を落とした。

エルカ

でも………本を読むのはここまでにしようか。兄さんの話を聞いたら、何だか読む気も失せたみたい。余計な話、聞いちゃったな

 そう思い読みかけの本を本棚にしまう。そしてノートを机の中に戻して、引き出しを閉じた。

 パタンと冷たい音を立てた引き出しから視線を机の上に戻す。
  

 机の上にはナイフがあった。



 それを手に取った。刃先からは鈍い光が放たれている。このナイフはナイトから貰った護身用のもの。


 身を護る為に使うようにと与えられたもので、祖父グランからナイトが受け取った形見でもあった。

エルカ

これは必要だよね……………大丈夫、いつでも出来るよ

 怪しく光るナイフに微笑みかける。

 刃に映る少女は不敵な笑みを返した。

第2幕-22 とある妹の語る事件1

facebook twitter
pagetop