13 とある兄の語る事件1

 ソルは静かに語り始める。


 この事件の犯人が自分であることを、目の前の魔女に伝える為に。

ソル

あの日、オレはいつも通りに朝食を食べていた

ソル

 すると、それは言葉だけではなく映像として、視界に浮かび上がった。


 それまであった喧騒は消え去り、記憶の映像の音だけが耳に入る。

 語っている自分の声が聞こえてこない。

 この不気味な感覚にも驚かなかった。

 ソルは語り終えるまで、それ以外の行動を許されないだろう。

ソル

……オレは応接間に一人でいたんだ……そこにあの女……母さんたちが現れた……



 その日は、珍しく早く起きてしまった。

 朝食の準備をしていたナイトからパンとミルクを押し付けられたので、仕方なく咀嚼する。

ソル

別にいらないんだけどさ……食べてやるよ

ナイト

はいはい……まったく、素直じゃない奴だな

ソル

うるさいな! あっちの部屋使うから入ってくんなよ

 特にやることもなかったので、応接間のソファーに寝転がる。


 ナイトはこっちでは食べないし、エルカは地下に引き篭もっている。大人たちはこんな時間には起きてこない。


 だから、誰も来ないと考えていた。



 足を伸ばしてくつろいでいると、ドカドカという品のない足音が近づいてきた。



 その音にビクリと身体を起こすと同時に、乱暴に扉が開かれたのだ。


 入って来たのは母親たちだった。

 その姿を確認して直後、起き上がり逃げようとしたソルを入口で止めたのは、実の母親だった。

ダメよ……これから大事なお話があるのよ

 ヘビのような双眸がソルを捕える。

 無視をして廊下に出て行けば良かった。


 しかし、ソルは足を動かすことが出来なかった。動かしたくても、動けなかった。



 しばらく疎遠になっていたが、幼い頃に自分を支配していた女の視線だ。

 それを、怖いと思ってしまう。身体に染み付いた記憶が、恐怖を感じていた。



 廊下側から様子を伺っていたナイトが目を細める。いつからそこに居たのだろうか。

 顔をしかめた彼の視線は一瞬だけソルに向けられた。

 逃げなかったことを咎めるような視線に口を結び視線を反らす。


 逃げるつもりだったのに、逃げられなかったのだ。
 そう視線で訴えると、彼は納得したように大きく肩をすくめる。

これからのことを話すから聞いて欲しい

 おもむろに口を開いたのは、エルカの父親マースだ。


 静かな声だった。


 初めて聞くかもしれない彼の声には感情がないように思える。

 作り物のような彼の表情が、ソルとナイトに向けられる。


 彼の傍らの女は満面の笑み。この温度差が不気味に感じられた。

 ソルとナイトは不機嫌な表情を浮かべたまま、応接間の入口付近に立っていた。



 そして、女はソファーに腰を下ろすと弾むような声で、眩暈がするような言葉を吐き出した。

聞いて! 私たちに赤ちゃんが出来たのよ

 母親と息子が最後に会話をしたのは、いつだっただろうか。


 一緒に住んでいるのに、下手すると一年以上言葉を交わしていなかった気がする。


 そんな相手から満面の笑顔を向けられても戸惑うしかなかった。



 もしかすると、笑顔なんて初めて見たかもしれない。


 その笑顔にソルは背筋が凍り付くのを感じた。

お前たちは三人は立派な大人だ。この家を出て、独り立ちできるだろう

 マースが平坦な声でそう告げる。

 このマースという男は何も見ていない。

 男の視線はソルのことも、ナイトのことも見ていない。


 何もない虚空を見ていた。用意されていた台本を読んでいるかのように。


 ただ、その言葉だけを口にする。


 だから、ソルは声を荒げていた。


 母親に対する恐怖心はあるが、この男には何も感じていないのだから。

ソル

ふ、ふざけてるのかよ!

そんなに怒ることなの? 幸せなことなのに

ナイト

ああ、幸せだろうね……俺たち以外は

 珍しく棘のある言葉をナイトが口にする。

 ソルは横目で彼を見た。いつになく不機嫌で目がナイフのように鋭い。


 だけど、この人たちにはナイトの放った棘が見えていないのだろう。




 自分たちの新生活の為、自分たちの血を引く子供たちは邪魔だった。


 だから、この屋敷から追い出そうと言うのだ。

 ソルは部屋に戻る為に廊下を歩いていた。



 無駄に広い屋敷。


 初めの頃は迷子になりそうになったものだ。


 幼い頃は、エルカに案内されながら何とか覚えることが出来た。お蔭で食堂と応接間と自分の部屋の位置は何とか覚えている。


 しばらく歩くと、エルカが引き篭もっている地下書庫の扉が見えた。


 そこにはナイトの姿も在る。


 どうやら、今の話を告げているらしい。家を出て行けと言われたのだ。彼女も、地下書庫から出なければならないのだろう。



 エルカはソルとは異なり表向きには真面目に学校に通っていた。その理由は、図書室に気になる本があるとか言っていた気がする。


 しかし、ここ半年の間は地下書庫から出た姿を見ていない。


 何かがあって学校へ行くことをやめたらしい。ソルは詳しいことは知らされていない。ソルも敢えて聞こうとはしなかった。


 とにかく……あそこから、引きずり出すことは容易ではないだろう。


 懐いているはずのナイトですら、扉越しの会話なのだから。

ナイト

……ということになったんだ

エルカ

……了解

ナイト

了解って……お前、それで良いのか?

エルカ

……私がやることは変わらない、引き篭もって読書……それが出来れば問題ないよ。それが出来るなら、住む場所なんてどこでも良いよ。いっそのこと土の中に篭もろうかな

ナイト

お前なぁ……まぁ……あの人たちが何を言おうと、オレがお前を引き取るつもりだ。お前はまだ子供で女の子だから、一人でどうにかしろなんてオレが許さない。だから、心配するな

エルカ

……うん

ナイト

それと、飯は置いておくから、後で食べろよ

エルカ

今読んでいる本が怒涛の展開……………それどころじゃないの

ナイト

倒れたら続きが永遠に読めないぞ

エルカ

永遠に読めない? それは困るの

ナイト

だったら食べるんだ

エルカ

…………わかった。中に入れて

ナイト

おう

 少しだけ控えめに、扉が開かれる。

 その隙間にナイトがトレイを入れると、すぐに扉は閉ざされてしまう。

 閉ざされた扉を見るナイトの視線は優しかった。

第2幕-13 とある兄の語る事件1

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