12 黒い記憶の向こうへ

エルカ

『……ソル、聞こえる?』

 鈴の音と共に感情のない暗い声が聞こえた。

 それに反応するようにソルの閉ざされた瞼が開かれる。

 ここに時間という概念はないらしい。もしくはソルに睡魔というものが訪れないのだろう。

 エルカと会話をする以外の時間、ソルはただ目を閉ざして時の流れに身を任せていた。



 彼女は物語の進行具合をソルに報告してくる。

 しかし、姿は見えないのに彼女の濁った視線がそこにあるような気がした。
 


 背筋がゾッとするのを感じた。




 最初に話した頃と明らかに違う何かをエルカに感じる。

ソル

………

エルカ

『物語は進んだよ。みんなでプリンを作って、みんなでプリンを食べたの』

 穏やかな声だ。だけど、その目は笑っていない気がする。姿は見えないのに分かってしまう。


 感情が抜け落ちたような表情で彼女は淡々とそれを語っていた。

 物語はそれで正しい。

 エルカとソルはプリンを二人で作って、二人で一緒に食べた。

 その出来事をもとに、エルカは絵本に描いてた。

エルカ

『ソルは…………この後、どうして欲しいの?』

 そこにはいない彼女が、探るようにソルを見据える。


 きっとエルカは記憶を全て取り戻しているのだろう。確信はないが、そんな気がする。



 ソルとエルカに起きた現実。


 

 それは、あの男が現れたこと。



 ソルはあの男の存在を隠すために、その幸せをなかったことにした。



 ソルは全てを自分の所為だとエルカに言い聞かせて、エルカはそれに従った。

エルカ

『貴方の考えていることは、いつも分からない。教えてよ』

ソル

………

 自分が何を考えているかなんて、自分でも分からなかった。

 だから、ソルは何も言えなかった。



 二人で作ったプリンが美味しかった。


 その思い出を伝えるべきではなかったのかもしれない。

 しかし、伝えなければエルカは物語を結末に導くことができない。


 結末を迎えることが彼女の望みで、ソルは彼女の望みを叶えてあげたかった。



 どうすることが、彼女に対する【優しさ】なのか、ソルには分からなかった。分からないから、口を閉ざして項垂れるしかなかった。

エルカ

『言わないのか、言えないのか………どちらでも良いけど。このまま私は物語を進めるよ。良いよね』

 エルカは物語の主。既に自分が消した物語を知っている。

 それはソルも知らない物語。


 きっと、それは幸せな結末ではないのだろう。聞こえてくるエルカの声からは絶望しか感じられない。

エルカ

『………何も言わなくてもいいよ。じゃ、行くね』

 突き放すような声と共に、彼女の気配は消えた。

 もしかすると自分は選択肢を誤ったのかもしれない……


 彼女との最後の会話を終えたソルはそんなことを考えていた。

 記憶を取り戻した彼女の声は暗かった。



 記憶が欠けていた頃は、少しだけ明るかったのに……



 記憶を取り戻すということは、本来の彼女に戻るということなのだから仕方がない。それなのに胸が苦しくなる。彼女にかける言葉が見つからなかった。

 本来の自分たちの間には会話なんて殆どなかったのだから。



 
 突然、視界が真っ黒に染まる。

 ちがう、強引に瞼が閉ざされたのだ。

 咄嗟に目を見開いた先に法廷の風景が広がる。

 ソルは再び証言台に立たされていた。


 自分を取り囲む本棚の視線も先ほどと同じ。正面の裁判長席では小さな魔女が微笑みを浮かべてパンパンと手を叩く。

コレット

はい、休憩時間はおしまいよ

ソル

今のが休憩時間かよ……

 だとすれば、悪趣味な時間だっただろう。

 ソル自身の手で彼女を奈落の手前まで追い詰めたのだから。

コレット

ええ、ゆっくり休めたはずよ。休憩時間の間は、傍聴席の視線も、私の視線もなかったのだから

ソル

ハハハ……確かに、そうだったな……って言っても見ていたんだろ?

コレット

さて、どうでしょうか

ソル

オレは咎人だった……どんな痛みも受け入れるよ

 ソルは手で顔を覆いながら苦笑する。胸の奥が激しく痛かった。彼女を助けるための行動で傷つけてしまったのだから。


 しかし、目の前の魔女の差し金なら、これは予め決まっていたのかもしれない。


 エルカを助けるには、傷つけなければならない。魔女コレットは傷つける役目をソルに背負わせたのだ。



 なぜ、ソルが?

 それは、ソルが咎人だから。


 乾いた笑みを浮かべるソルをコレットは無表情で見つめた。


『もっと心を痛めなさい』


 そう目で言っているようだった。

コレット

さぁ、教えて……次は屋敷で起きた放火殺人事件。あのとき、何があったのかを

 魔女は問いかける。


 それは、ソルたちが住む屋敷で起きた殺人事件。

 ソルの母親とエルカの父親が何者かに殺害された後、屋敷は放火され殆どが全焼した事件のことだ。



 ソルはエルカを連れて屋敷から飛び出している。

 二人を殺害したと宣言しているが、凶器として発見されているナイフはエルカのもの。



 ソルは確かに遺体を見ている。


 エルカのナイフは遺体の側に落ちていた。



 コレットから、この質問が来ることは予想していた。


 だけど、ソルは眉根を寄せて魔女を見上げる。

ソル

なぜ? そんな質問をするんだ。過去の一件とは関係がないはずだ

コレット

証言台に立っているのは貴方だよ。貴方から私に質問は認めません

 冷たい声に息を飲む。

 魔女の表情は真剣だった。


 切羽詰まっているような、そんな表情を浮かべている。やはり、彼女が本当に知りたいことはこれなのだ。

ソル

そう思ったよ。事件当日か……きっかけとなった出来事は朝になる。きっとナイトも教えてくれなかったからオレを問い詰めているのだよな?

コレット

貴方の質問には答えません

ソル

ナイトは家のことを他人に話したくないんだよ。家族を大事にするから、他人に家庭の事情を知られたくないから黙っているだけだ

コレット

ソルくんは違うと思っています

ソル

オレだって、エルカが困ることは話したくないよ。でも、コレットさん……貴女はあの子の母親なら……オレたちにとって他人じゃない

コレット

私を誰かと混同しているみたいですね? 私は、ここの裁判長です。それだけの存在

ソル

まぁ、いいよ………話してやるよ。オレに出来ることは話すことぐらいだから。きっとコレットさんに話すということが、家族の為になるんだよな? それなら、オレは話してやる

コレット

………突然、強気になりましたね

ソル

強くなんかないさ。これから語るのはオレの弱さだから

 口元に笑みを浮かべながら、ソルは記憶を呼び起こす。



 少しずつ焦りの表情を見せる幼い魔女。


 外見は全く違うが、焦って早口になるところは誰かさんと似ている気がした。

第2幕-12 黒い記憶の向こうへ

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