08 真実は檻の中に1
08 真実は檻の中に1
視界は再び暗闇に染まった。
目を閉ざしているのだ。
今が現実かどうかも分からない。
魔法によって見せられていた過去の映像は一時停止され、灰色に染まり、闇に飲まれる。
幸せな記憶もあったのだ。
それは小さくて、だけど強い輝きを放っていた記憶の欠片。そんな思い出に浸っていると、クスクスというコレットの笑い声が聞こえて、現実に引き戻される。
徐に目を開くと、ソルの瞳は想像通りのコレットの微苦笑を映した。
プリンを食べると機嫌が良くなる……って単純な子だったのね
そ、それは言わないでくれ。子供の頃の話だよ
そんなことで機嫌を直すものかと思いながらソルは頬張っていた。
そんなことで機嫌を直すものかと思いながらソルは頬張っていた。
ソルは再び瞼を閉じて、息を整える。
聞こえてくるのは自分の不規則な呼吸音。
耳を澄ませば本棚に納められている本がガタガタと音を立てている。
気が付けば自分の身体もガタガタと震えていた。
本の揺れる音と自分の震える音が重なりひとつになる。
この震えの原因に心当たりはあった。
ソルは、これから自分の口から語られる内容が怖いのだ。
この先が怖い。
だが、語らなければならない。
ソルが言葉を発するのをコレットは待っていた。
いつまでも待っていてくれそうだ。
だからと言って、待たせてはダメだ。
軽くもう一度呼吸を整えてから目を開き口を開く。
この先は、ソルとエルカの歪んだ記憶。
おそらくは、ナイトやグランは知らない物語。
オレはプリンが好きだった………あの頃は学校に通っていたナイトが家を空けるときもあって……そんな時はたくさん作り置きしてくれた
本当に好きだったのね。子供みたいね
その時はオレも子供だったんだ。好きな物は好きなんだよ……食べないと落ち着くことが出来なかったから………さて、用意してもらったプリンはなくなってしまった。だけど、苛々がおさまらない
その間、プリンがないと大変ね
だから多めに作って貰った。でも、足りなかった。プリンがなくなってしまって、オレは焦ったよ。作ってくれるナイトはいない。爺さんもいなかった。それは大問題だ。考えたオレは自分で作ろうとして………エルカに止められたんだ
どうして?
掃除用具のバケツを型にして、プリンを作ろうとしたからだ
………それはないわね
哀れむようなコレットの視線が痛い。
少年ソルは、とにかく大きいプリンが食べたかった。そこで、バケツで作ろうと試みた。名案だと思った。自分を誇らしくも思っていた。
しかし、あの時のエルカは幽霊でも見たような表情でソルを見ていた。
彼女に指摘されるまで、ソルは事の重大さに気が付いていなかった。掃除用具のバケツは、どんなに念入りに洗ったところで調理道具にはならないのだということを。
バケツに代わるものとして、エルカが大きめの鍋を用意してくれたんだ。そして一緒に作ったんだ
美味しかった?
ああ、美味しかったし……楽しかった
目の前の魔女が優しく微笑んだ。
今までにない穏やかな表情だが、どこか悲しそうな気配を漂わせている。
この話の続きを彼女は知っているのだろう。
知っていてソルの口から語らせようとしている。
話したくないと知りながら、彼女は問いかける。
さぁ、言いなさい……その日……何が起きたの?
………あの男が来たんだよ……………オレの父親が
ソルは再び瞼を閉ざす。無意識に閉ざされた瞼の裏側に、先程のように過去の映像が流れ始めた。
二人でプリンを作って楽しい時間を過ごすことができた。
それは暖かい時間だった。
その余韻に浸るようにエルカは側で日記に何かを描いている。それを眺めながら、ソルはプリンを頬張っていた。
このまま、この時間が止まって欲しかった。
だけど、そんな魔法は存在しない。
だからって、残酷すぎる。
突然、扉が乱暴に開かれた。
そして荒っぽい足音を立てながら男が現れる。
その姿を視界に映した時、ソルの思考は停止してしまった。
知っている男だったのだ。
それは、もう会うことのないはずだった父と同じ顔をしていた。
彼はギロリとした目で食堂を見回すと、最後にソルに視線を固定させる。
なんだ……お前ひとりだけか?
男の視線がソルを刺す。
視線に刺されたソルの身体は、床に固定されたかのように動くことが出来なかった。恐怖が全身を駆け巡る。
震えながら思考する。
自分を捨てた男。
もう関わり合うことはないはずだったのに、どうして現れるのだろうか。
理解が出来なかった。
ソルは横目でエルカを見る。彼女の姿はなかった。
いつの間にか隅に縮こまって目を閉じて耳を抑えている。
咄嗟に隠れたのだろう。小さな少女は男の視界から見えない場所にいる。
お前がいれば十分だな。金を出せ
あ、あるわけないだろ
ソルは震える声で答える。それだけで精一杯だった。
男は舌打ちをして、また部屋を見回した。
残念ながら彼が求めるお金になるものは、ここにはない。
わかったら、出ていけよ。く………来るなら母さんが居る時にしろって
あまり近づかれたくなかったのだ。ソルの足元の陰にはエルカが頭を抱えて隠れている。彼女が見つかったら、この男に何をされるか分からない。
ナイトもグランも不在なのだから、彼女を護れるのは自分しかいない。
ソルは側にあった椅子を男に投げつける。
次の瞬間、男とソルの間で椅子が跳ね上がった。拳で跳ね返したらしい。そのまま、椅子は砕かれた。その破壊力にソルは息を飲む。
男の興味はソルに固定された。舌なめずりをしながら笑う。
随分、反抗的になったんじゃないか?
だ、黙れよ
……ロクなものがない家だな
早く出ていけよ
これ以上近づくなと、眼で牽制する。
すると、男が不敵な笑みを浮かべた。
まぁ…………今日は帰ってやるよ
……
現れた時と同じように乱暴に扉が閉められるのを、ソルはただ茫然と見ていた。