07 檻の中の証言台
07 檻の中の証言台
ここは法廷、ソルは被告人で、彼女は裁判長。
穏やかな声が室内に響き渡る。
彼女の澄んだ瞳がソルを見つめていた。
残念ながらこの法廷に黙秘なんて言葉はありません。必ず答えてください
……ずいぶんと厳しいな。わかったよ、何が知りたいんだ?
潔いのは嫌いではないわ。それでは、遠慮なく……あなたは、どうしてこの屋敷に来たのかしら?
その質問にソルは面食らった表情を浮かべる。
てっきり別の質問がくると思っていたからだ。身構えながらソルはその質問に答える。
母親が再婚したからだ。オレの母親とエルカの父親が再婚したから。あの女の息子であるオレも屋敷に来たんだ……
その屋敷には家主であるグランと、二人の子供も住んでいた。妹は四歳で、兄と言われた少年はソルと同じ十歳ぐらいだという。
そこまで、思い出すとコレットの視線に気付く。
哀れむような視線を見つめ返すと、彼女は口を開いた。
……それは、戸惑ったでしょうね
当然だよ。あの人は事前に引っ越しの準備をしていただろうけど、オレには理解ができなかった。そもそもいきなり外に連れ出されたら、実は再婚していたって話だからな
それは、大変だったでしょうね。突然、家族が変わるのだから。大人の都合に振り回される気持ちって、どうなのかしら?
さぁね……オレとあの女はまともな親子関係ではなかったから。何とも……
……あら、そうなのね。じゃあ、母親はどんな感じだったの?
そう語る魔女の表情は無表情だ。
何かを考えているように見えるが、表情からは何も読み取れない。
母は新しい恋人と愛を育んでいて、幸せそうだったよ。オレたちは状況を理解できずに、子供だけで放置される日々だった
貴方の母親は彼との再婚によって、【ソルの母親】という役目から解放されたつもりだったのよ。貴方を屋敷まで運んで、住む場所を与えて、それで役目を終えたつもり
あとは、どうとでもなれ……って感じでしょうね
追い返したり、見捨てたりしなかったのは前の旦那との間に取引でもあったのでしょう。それについては何か知っていて?
……知らない。父親には要らないって言われていたから……まぁ、母親にもだったけれどな。離婚の条件が……オレも連れて行くってことだった
そういうことよ。貴方を屋敷に連れて行かなければ、離婚も再婚もできなかった。きっと御父上は何処かで監視しているから、投げ出せばすぐにバレてしまう。だから確実に屋敷まで運ばれた
…………
ソルは苦笑を浮かべる。
そんなことは、わかっていたことだった。幼い頃から自分は道具だったのだ。両親の憂さ晴らしの道具。
エルカたちと出会うまで、人間として扱われた記憶はなかった。もしかすると、自分が人間であることも知らなかったのかもしれない。
貴方は屋敷に留まることにした。それは、どうしてかしら?
爺さんがオレとあいつらを引き合わせてくれたんだ。もしも爺さんがいなかったら、オレはどうなっていただろうな……
血気盛んなお子様だったみたいよね。どこかに飛び出して、そして野垂れ死にでしょうね……生き方を知らない貴方にはその結末が用意されていた
怖いことを言うんだな……でも、そうなったと思う。爺さんがいなかったら、あの場所から逃げ出していただろうから
それで、新しい兄妹はあなたにとって、どういう存在だったのかしら?
二人は兄妹になろうと努力してくれた。思えば、かけがえのない存在っていうやつだった
生き方がわからなかった。
だから我武者羅に生きていた。
そんなソルは問題ばかり起こしていた。
自分の怒りの理由がわからなかっただけ。わからないことが気に入らなくて、周囲にその怒りを巻き散らす。
宥めてくれる親もいない、叱ってくれる親もいない。何が悪くて、正しいのかもわからない。
だから、どうしようもなくて……
大声を出して、物に八つ当たりすることしか出来なかった。
そんなことをすれば、義妹に怖がられることは分かっていた。一方的に怯えさせたり怖がらせることは良いことではない。
自分がされて嫌な事だ。
ソルは身をもって知っていた。
だから、気を付けようと思っていた。
思っていても、いざ実行に移すことは簡単なことではない。
自分で自分を抑えることが出来ない。
そんなソルに二人は寄り添おうとしてくれた。
ナイトは面倒そうにしながらも、細かいところまでよく見ていた。
エルカは怯えながらも、懸命にソルの気持ちを汲み取ろうとしてくれた。
ソルは静かに瞼を閉じる。
閉ざされた瞼の裏に映るのは、あの頃の自分たちの姿だった。
ソルはナイトが自分と同じぐらいの年齢であることを信じたくはなかった。
身長も高い、体格もしっかりしている。
彼はいつも威圧感のある視線で見下ろしてくる。
やせ細った体形のソルとは大違いだった。
更に家事全般が得意だったり、ケンカも強く、運動神経も良いという。
彼はハイスペックな兄だった。
グランからナイトは規格外だと告げられた。
その通りなのだろう。他の一般的な十歳と比べても大人びている。
ソルが彼に対して苦手意識を抱くのは自然な流れだった。何もできないソルから見れば、ナイトは何でもできるのだから。
ほら、今日のおやつだ。これは爺さんが作ってくれたやつだから毒なんて入っていないぞ。安心して食べなよ
ナイトはプリンを皿にのせてソルの前の床に置くと、一歩下がって様子を伺う。
ナイトから距離を保ったまま、ソルはクンクンと鼻を動かす。
甘い匂いと、魅惑的な輝きに手を伸ばした。
指先が皿に触れるところで、その仕草をジッと見るナイトの視線に気が付いた。
ここで受け取ったら負けのような気がしたので咄嗟に手を引っ込める。
そして数歩下がって、首を振る。
……い、いらない
……おいしいよ
いらないと言いながら、目線はプリンに固定されたまま。その目は少しだけ輝いている。
ソルの意思に反して、食べたいという感情が顔に出ていた。
今度はエルカが皿を取る。それをソルの目の前に差し出してきた。
まるで狂犬にエサを与えるように、手を震えさせて。
そんな今にも泣きそうな顔で差し出されたら、流石に手を払えず、仕方なく……本当に仕方なく受け取って、ひと口含む。
………うまい
だって、お爺様の手作りだもの
当たり前だろ
当たり前だよ
…………
当たり前だな
三人の意見が一致した。グランの作るプリンは美味しい。
後に、それを再現し進化させたナイトの作るプリンは絶品だった。
当初はグランがプリンを用意していた。しかし、ナイトの手製のプリンの方が美味しいと、エルカとソルが証言したためナイトの担当になった。
プリンを食べる。それだけでソルの中から怒りが消えてしまった。
だから、プリンを食べているときぐらいは怒らないようにしようと心の中で誓う。ソルが機嫌が良いと、エルカも怖がる素振りを見せないし、ナイトも眉間に皺を寄せていない。
それは、三人が笑顔でいられるとっておきの魔法の食べ物のように思えたのだ。