05 暗がりの再会

 何が起きて、自分がここにいるのかがわからない。

 どこか高い場所から落ちた気がする。

 しかし、どうして落ちたのかがわからない。

 ここが何処なのかもわからなかった。

 暗闇の中でソルは思考する。


 目の前で不思議そうに自分を見つめる少女がいる。

 エメラルド色のツインテールを揺らしながら、ワインレッドの瞳を細める彼女のこと。エルカが義妹だということは覚えていた。

 自分たちは親しい仲ではなかった。

 ソルが壁を殴りつけると、エルカはビクリと肩を震えさせる。その姿を見るだけで、胸の奥でツンとした痛みが走る。

 ソルは怯えさせるつもりはなかった。


 理解のできないことがあった。それに対する怒りを、拳に込めて壁にぶつけてしまっただけ。


 怒りを矛先はお前ではない。

 ソルはその気持ちを伝える言葉すら見つからなくて、しどろもどろになってしまう。

ソル

お前には何もしないから、普通に話せって……怯えられると…………こ、困る

エルカ

えっと…………大きな音立てたよね。今のは……少しだけ、怖かったよ

 理解不可能の状況にあることはお互い様。

 エルカは動揺するようなソルの様子から何かを察した様子だった。

 冷静になったのを確認して、二人で状況を確認することにした。

 室内の雰囲気はいつもエルカが籠っている地下書庫と似ていた。

 家具も床も地下書庫のものと似ている。ならば、ここは地下書庫ではないのだろうかと考えることが出来る。


 しかし、エルカもここが分からないと言う。

エルカ

私も、どうして自分がここにいるのか分からない。ここが、どこかも分からないの

ソル

ここは地下書庫だろ? ここが分からない……ってどういう意味なんだ

エルカ

これを見るのは初めてなの。こんな扉はなかったよ

 エルカに指し示されるまで、扉の存在は気が付かなかった。その扉は地下書庫にはないものだ。


 硬く閉ざされた扉、それは二人の手ではビクリとも動かない。どうやら鍵が閉まっているらしい。


 雰囲気そのものは地下書庫と同じだ。


 家具だって同じようなものが置かれている。エルカの祖父グランが愛用していた椅子の傷も見覚えがあるもの。

 やはり、ここはエルカが籠っていた地下書庫ということになるのだろう。


 しかし、この地下書庫には肝心の『本』がなかった。




 見覚えのある地下書庫と結びつくものが多数見つかっている。

 傷が同じ場所にある椅子なんて、そうあるとは思えない。『本』がないというだけで、エルカは不安そうに眉根を寄せていた。


 ソルの記憶の中の地下書庫。そこに『本』の存在感はあまりなかった。

 ここはグランに呼び出される場所。だから、彼が愛用した椅子があるだけで地下書庫だと断言することが可能。



 この椅子や他の家具なども彼女の記憶にあるものと類似しているらしい。

 ただ見知らぬ扉があって、『本』がないということ以外は、エルカの記憶通りのものなのかもしれない。



 互いの記憶と思考を照合するために、エルカは困惑した表情をソルに向ける。

エルカ

お爺様の書庫で間違いはないのね

ソル

……そう思うよ。じぃさんが亡くなってからは入ってないけど……お前はどう思う?

エルカ

私も、お爺様の書庫だと思うよ。でも………書庫と呼ぶために必要な本がない

ソル

ここが何処かなんて、この扉の先に行けば考える必要はないだろ

エルカ

でも、どうやって先に進むっていうの?

ソル

……この鍵を試してみないか?

 その扉を開く鍵を持っていたのはソルだった。それは、エルカの祖父グランからお守り代わりに受け取った鍵。

 ここが何処かなんて論しても仕方のないことだ。

 何かを変える為には、進まなければならない。

王子
コレット

 その先で待っていたのは、巨大な本棚の空間だ。

 本好きのエルカは興奮している。

 ソルも見たことのない圧迫感に言葉を失っていた。

 そこは、【魔法の図書棺】と呼ばれる場所。ここでは、人間の心や記憶や歴史、空想が『本』という形になって存在している。

 それを、教えてくれたのは案内人の女の子コレットと、カボチャパンツの王子様。

ソル

(……コレット? どこかで聞いたことがあるような……)

コレット

 ソルは、ふとコレットと名乗った女の子を見下ろす。

 幼女という言葉が相応しいが、その表情は妙に大人びていた。


 初めて聞く名前なのに、初めてではないような気がした。どこで聞いたのだろうとソルは首を傾げる。初めて見る姿だった。

 しかし、何か既視感のようなものを感じ首を捻る。



 すると、鋭い幼女の視線が向けられる。

 強制的に思考が途切れたような感覚に、ソルは渋面を浮かべた。


 やるべきことは、ひとつきりなのかもしれない。

ソル

(とにかく、ここから出なければならないな)

 
――カボチャパンツの少年が主人公の本を探す

 それが、図書棺からの脱出方法。


 ソルとエルカの目的は、この図書棺から出ることだった。


 二人は同じ部屋の中で、別々の本棚を眺めていく。






 やがて、エルカは吸い寄せられるかのように一冊の本を手に取る。

 真剣な眼差しが表紙に固定されていた。その時のエルカはソルに何が起きたかなんて知らなかっただろう。


 彼女は目の前の本に集中していたのだから。


 ソルもエルカの身に何が起きていたのか分からなかった。


 真剣に眺めるエルカの姿を横目に、自分の目の前の本棚を眺める。あの王子様の出てきそうな物語のタイトルをひたすら探していた。



 それは、突然のことだった。


 ソルの足元に黒い円形の影が現れ……

ソル

 その影は瞬時にグルグルとした渦に変貌したのだ

 金縛りにあったかのように、ソルの足はそこから動かなかった。

 叫びたくても、声が出せない。

 口を開いても、言葉が出てこない。

 手を伸ばしても、何を触れることも出来ない。

 声なき声で叫びながら、ソルだけが、その渦の中に飲み込まれる。



 そんな中、エルカはこちらに気付いていなかった。

 取り憑かれたように、開かれた本をジッと見つめている。

 ソルがどんなに叫んでも、彼女には声が届かなかった。


 黒い影にソルの身体が沈んでいく。


 ゆっくりと意識が遠のいて……プツンと何かが切れた。

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