03 魔女との出会い1
03 魔女との出会い1
ふいに、ひんやりとした空気が床から湧き上がってきた。
突然の寒気に身を固くするソルは、床をジッと見つめる。そこから何かが現るような気がしたのだ。。
……少し冷静になりなさい
それは、春のそよ風のように穏やかな声だった。
声のする方向に視線を動かす。閉ざされた扉を背にしながら一人の女性が立っていた。
扉が開いた形跡も、誰かが入ってきた気配も全くなかった。それなのに彼女はそこに立っている。
ま る で、
最 初 か ら
そ こ に い た か の よ う に。
……コレットさん
ナイトにそう呼ばれた女性は、柔らかな笑みを浮かべる。
淡いエメラルド色の髪が風もないのに揺らめいた。キラキラとした光の粒子が彼女を纏っている。
彼女は現実味がなかった。手を伸ばせば、すり抜けてしまいそうな霞のような存在に思える。
ソルが女性の正体について考えていると、ナイトが掴んだ手を緩めて離れる。
胸にかかっていた重みから解放されたソルが見上げると、彼は困ったような表情を女性に向けていた。
ナイトが、戸惑いの表情を浮かべるのは珍しいことだったのでソルは面食らったように彼を見る。
眉間にシワを寄せるナイトに、女性は余裕めいた笑みを向けた。
ナイトくん、私が結界を張っているとはいえ病室では静かになさい。そして貴方とは初めましてね。私はコレットよ。エルカの母親よ
コレットと名乗った女性は、音も立てずに近寄ってくる。
歩いているのに、足音が少しも聞こえない。
気付けばすぐそばに彼女はいて、ソルは慌てて起き上がった。
エルカの母親?
ええ、私から生まれたのよ
ジッと彼女を見る。外見は二十代前半ぐらいだろうか。
ソルやナイトとたいして変わらない年頃のように見える。十四歳の娘がいるとは思えなかった。
からかわれているのかと思い、横目でナイトを見ると彼は不機嫌そうな表情を浮かべていた。
ああ、この人がエルカの母親だよ。若く見えるけど実際はっっ…………
っっ…………
ナイトくん年齢の話は禁止よ
はいはい………
お、怒らせると魔法で息止められるから気を付けろよな
へ?
突然、喉を抑えてナイトが荒く息を吐く。何が起きたのかわからなかったが、魔法で息を止められていたらしい。
その様子を楽しそうに眺めながらコレットは言う。
結界があるから、ここで何か起きても誰も気付かない。ナイトくんの息が止まって動かなくなっても……ショックで心臓停止したのかしら?……ってなるわね
確かに結界は張ってもらいました。俺は家族で話をしている間は近付かないでくれ……って言っていたはずです
俺以外は誰も入れないようにと医者に頼んだはずです。念のために内側から鍵もかけていたはずですよ。どうやって、入ってきたのですか?
ナイトの口調は明らかに不機嫌だった。
彼にとって、彼女はあまり関わりたくない相手なのだろう。そんな彼を茶化すように、コレットはクスクスと笑う。
私は魔女よ。それぐらい簡単だわ。私はエルカの母親なのに追い出すなんて酷い人ね。あの子の兄だからって、母と娘を引き離すなんて
だからと言って、開かないはずの鍵を開けて入るなんて……そういうことして、捕まっても知りませんよ。それと、育児放棄しておいて、何が母親……うぐっ……
こちらには、こちらの事情があるのよ。魔女の事情は繊細ですからね
は、はい
え………魔女?
コレットの妖艶な笑みにソルは息を飲みこんだ。視界の端では再び息を止められたナイトが呻き声を上げている。
しかし、彼女は気にする素振りがなかった。
魔女、彼女は自らをそう呼んだ。
グランが魔法使いなのだから、その孫のエルカだって魔法使い。その母親が魔法使いなのはおかしなことではない。
女性の魔法使いだから魔女と言うだけのことだ。
それなのに言い様のない不安を与える。
聞き慣れない言葉だと言うだけで得体の知れない何者かに思えてしまう。
魔法使いはまだ人間に近いような気がする。しかし、魔女は人間から遠い何かのように思えた。
ジッと見つめる。その美貌に飲み込まれそうになって、ソルの開いた口は放置された。
ええ、魔女よ。目が合った、貴方の魂はいただくわ
え?
感情のない声が頬を撫でる。
背筋に冷たい汗がスーッと流れた。
周囲の気温が急激に低下したような気がした。
魂が抜き取られてしまう。そう考えると無意識に顔が真っ青になる。
たしか……昔、エルカが言っていた。夜中に外を出歩くと魔女が現れる、目を合わせた子供を攫ってまるごと飲み込んでしまう……って
あら、目を合わせてしまったわね
?
ソルは青白い顔でコレットを見る。
あれは、グランの作り話だったはずだ。子供たちが夜中に出歩かないようにするためのもの。
いるはずがないと思いながら、風の音が窓を叩く音に怯えていた。
大人になった今は、そんな存在はいないと断言できる。そもそも子供ではないのだから食べられるはずがない。
大人なのだから大丈夫と思う程度には、この作り話を今でも信じていた。
子供食べる魔女なんているはずがないと疑っていた。
一方では自分は大人なのだから食べられるはずがないと身を震えさせる。魔女なんて見たことがないのだからと自分に言い聞かせる。
だから、恐ろしくてコレットから目をそらしてしまう。
いるはずのない魔女が、自ら名乗って目の前に立っているのだから。
ソルは、身体を動かすことができなかった。
もしも本当の魔女なら、自分は食べられてしまう。自分で自分の身体を抱きしめながら身を震えさせる。
そんなソルを見て、ナイトが大袈裟なため息を零した。
コレットさん、ソルで遊ばないでください
そうね
ソルも心配するな。魂は抜かれないよ。目があっただけで抜かれたら理不尽だし、もしそうだとしたら、この街が滅ぶよ。
コレットさんも普通に生活してるんだ。目を合わせた相手を次々と食べるような魔女が街中を歩いていたら大変だろ?
そ、そうか……
クスクス………ソルくんは可愛いわね
え?
あら? 照れてるの?
だから、遊ばないでください。コレットさん、何をしに来たのですか?
魔法使いのトラブルは魔法使いが仲介するのが決まりなのよ
そうですね
ナイトくんはあの子の側にいてあげなさい……あの子はひねくれているけど、貴方には懐いているわ
………コレットさんは
私はソルくんと話がしたいのよ。ほら、行ってあげなさい
コレットは隣の病室の扉に視線を投げる。
ソルの病室の中には扉があった。ここは特殊な病室らしく隣の病室と扉で繋がっているらしい。
家族で入院したときや、入院患者の付添人が泊まる部屋にもなる。
エルカとソルは家族同士なので、こうして内側の扉で病室が繋がっている。
ナイトは訝しむような視線をコレットに向ける。
ソルと話って何を考えているのですか?
いいから…………ほら
………わかりましたよ。言っておきますが、ソルに何かあったら許しませんからね。こんなのでも、俺の家族なので………いや、エルカが泣くのは嫌ですから
促されたナイトは渋々というようにエルカのところに向かった。
ナイトに心配されたことに薄気味の悪さを感じて、ソルは扉を見ていた。
エルカに泣かれたくないと言いながら、泣いたら拳で殴られるのは自分なのだろう。そして殴られて強制的に起こされるのだ。
そんな未来を空想しながら、ソルはため息を吐いた。