夜の帳が下りた。空には冷え冷えとした白い月が昇っている。
あなたの後ろには、緋奈子が神妙な顔をし数歩距離を置いてついてきていた。
何もできないとしても、見届けたいと自ら言い出したのだ。
彼女はあの話から笑顔は見せず、ずっと何かを考え込んでいる。
そんな緋奈子を連れて、あなたは封印結界を張るのに適した場所へと足を進める。
自然と吸い寄せられるようにたどり着いたそこは、かつて緋奈子とともに見上げたあの楓の樹のそばだった。
……肌寒い月夜なりせば
と楓越しに月を見上げた。
懐君属秋夜、散歩詠涼天。過去を偲び詩句の一つも口にしたくなるものです
緋奈子を振り返ることはなく、囁いた。
その言葉に誘われるようにして、祈雨の元から断章が二枚、ふわりと風もなく宙を舞う。
それは意志を持つように楓の樹の下に浮遊した。
そうして、一枚の紅葉が宙を舞い、その向こう側に誰かが静かに立っていた。
……
白い髪の先は紅に染まり、人の物ではない大きな角が何かを拒むようにせり出している。
そして炭のように黒い顔がじっとあなたのほうを向いていた。
目鼻口もわからず、しかし見つめられていることだけははっきりと理解できた。
かっこいいぞ
やったぜ
なんだろ…なんだろ…!鳥っぽい感じ!鳥の妖怪っぽい感じ……がする……羽に見える
ふふふ……!!
(色合いが鶏っぽいんだな……)
なるほど…そうかもしれない…
お久しぶりです
と自然と口を衝いて出た。
貴殿の言わんとしている事は既に心得ております。しかし、聞き入れるわけにはいかぬことは、今の貴殿にも理解できよう
穏やかな表情で異形のそれに話しかける。
……
禁書は答えない。
彼には今や、答える口がない。
ゆっくりとあなたに向き直る。
その沈黙の中に、確かな拒絶と、しかし同時に彼があなたを試そうとしているような雰囲気も感じるだろう。
……ええ、分かっております。互いの愚かさは比べるまでもない。しかし、我が覚悟であれば、貴殿の編纂を以て示すことができる
目のない顔に視線を合わせ、祈雨丸は宣言するように話した。
……朱華の舞を愛した禁書〈照らす残月〉よ、だがお前は既に魂無き屍。守るべき朱華に匿われ、よって災厄を招くその在り様に、大法典が魔法使いは異を唱えよう
そして一度だけ、朱華緋奈子を振り返る。
それでは、私は参ります
たったその一言だけを残し、禁書に向き直った。
……我は土地神にあらず、而して朱華が息づく土地もこの四ツ目町にはない。……だが!
私はこれより一条の龍となりて、朱華を護ろう。
〈祈雨昏水都早社宮司〉の神名のもとに、これより編纂儀式を執行する!
名乗りました!
ひゅう……!!!!かっこいい!!!!ありがとうございます!!!
では、
その宣言に応えるようにして、禁書は一瞬にして炎を上げた。
その炎が地を舐め、あなたの力と織りあうようにして儀式の場が組みあがる――。
空には月が白く輝く。
宙には紅葉の緋色が舞い落ちる。
地には劫火の赩が揺らめいた。
愛したのだ。
誰を愛したのかも覚えていないけれど。
君との日々は幸せだった。
君が誰かもわからないけれど。
後悔を、したのかもしれない。
何を思ったのかも定かではないけれど。
残ったのは、たった一つだけ。
あの美しい舞を、ずっと見ていたかった。