epilogue

 エルカは、元の図書棺の本を見つけた本棚の前にいた。

 真っ黒な本を手に持ったまま立ち尽くしている。

 本と埃とインクの……慣れ親しんだ心地良い匂い。この匂いは乱れた心をいつも癒してくれていた。



 本の中から脱出することが出来たのだ。


 とても嬉しいことなのに、エルカは不安になる。口を横に結んだまま、黒い本に濁った虚ろな視線を向けていた。

エルカ

………

コレット

物語が結末を迎えたわ。これで、外に出られるわよ

 パチパチという拍手に振り返ると、コレットが明るく微笑んで立っていた。明るい声でエルカの帰還を祝福する。



 本の外に出ることは望みだった。
 だけど、図書棺から出ることはエルカの望みではなかった。

エルカ

………へぇ、そうなんだ………

コレット

外に出るつもりはないのね

 コレットの澄んだ目がエルカを見ている。

 エルカの濁った目と違って澄んだキレイな瞳だった。




 これ以上見つめられると、自分の中身が全て引きずりけ出されるような気がしたので、エルカは咄嗟に目を反らす。

 もっとも、このコレットには全てを見透かされているのだろう。

エルカ

うん、私の目的は果たされたからね

コレット

そうね、貴女の望んだ通りの結果になったわね。おめでとう!

エルカ

私、本を読みたいから一人にして欲しいの

コレット

ええ、好きにすると良いわ

エルカ

……ありがとう

 エルカは、コレットに微笑んでお礼を言ったつもりだった。


 だけど、エルカは笑うことが出来なかった。どうすれば笑えるのかが、わからなくなっていた。


 気が付くとコレットの姿はなかった。


 そもそも、コレットなんて少女はいたのだろうか。この図書棺には初めからエルカしかいなかったのだ。

 

エルカ

……上手くいったんだよね……私の魔法は成功したんだ

エルカ

ここが、お爺様から聞いていた魔法の図書棺

エルカ

ここは、最適な引き篭もり場所だから……誰にも邪魔されたくないの







 部屋の中は冷え切った空気が充満していた。
 
 エルカは目を閉ざす。



 閉ざしても、それは瞼の裏に張り付いたまま剥がれない。


 思い出してしまった。

 真っ赤な海に横たわる二人の大人がいたことを。

………

 動かないそれを見る少女の目に感情はなかった。

 何も感じない。憎悪も哀れみも、哀しみも何も感じられない。


 どうして、倒れているのだろう。

 どうして、血まみれなのだろう。

 どうして、息をしていないのだろう


 浮かんだ疑問符はすぐに消えた。

 どちらでも、構わなかった。
 この二人は動かない、それだけで十分だった。









 背後でガタガタという音がした。

 そんな些細な音だけで、少女はビクリと肩を震えさせる。



 


 少女の持っていたナイフが床に落ちた。

 血まみれの海に沈んだナイフは何を刺したのだろう。

××

 ここは魔法の図書棺。


 人々の記憶や人生や思いはやがて『本』となる。
 ここは、その『本』の為の棺。



 ふと、お爺様の言葉を思い出す。



――人はいずれ『本』になるのだ

 ここは私の物語の棺。

 私の棺。

××

-第1幕 少女の物語 完ー

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