26 あの日のプリン



 あの日は特別な一日だった。

 父も義母《あの女》も家にいなかった。それに関してはいつものことだったので気にも留めていない。

 祖父も検査入院で不在だった。
 魔法使いは外見が若いので忘れてしまうが彼は高齢なのだ。

 医者から半強制的に検査入院を言い渡され、渋々出かけるのをエルカは見送っていた。








 更に兄は学校行事の旅行で不在。

 祖父の入院が決まったので、兄は旅行に行くことをやめようとしていた。

 しかし、普段から家のことを気にしていた兄にも休暇は必要だった。

 たまには羽根を伸ばして欲しいと、エルカの望みで兄は旅行に向かった。







 そんなわけで、エルカはソルと二人だけでの留守番となった。

 不安なエルカの為に、兄は三日分のプリンを用意してくれた。プリンを食べればソルが大人しいことは知っている。

 しかし、ソルの食欲は兄の予想を超えていたらしい。



 二日目のある日、キッチンに立つソルの姿があまりにも異様だった。

 肩を震えさせながら、エルカはその背中に声をかけていた。

エルカ

……どう、したの?

ああ、プリンを作ろうと思ってさ

 現れたエルカを一瞥すると、ソルは腕組みをして視線の先にある卵を睨みつけた。

 睨んだだけではプリンは作れないのに彼はジーっと睨んでいる。

エルカ

プリン? 兄さんが作ったよね

食べたよ

エルカ

………あんなに………あったのに

 エルカは自分の分もあるだろうと、思っていた。それぐらいの量があったのだから。

 少し恨めしそうに見るとソルが舌打ちする。



 いけない、怒られる……




 エルカは目を閉じるが、殴られる衝撃はなかった。
 目を開けると困ったような表情のソルがそこにいた。

イライラしているときは、甘いものが欲しくなるだろ。だから……食べ過ぎたのはわかってる

エルカ

甘いもの、必要だよね

お前の分も食べてしまって、ごめん

エルカ

ううん……気にしてないよ

それで、足りないから作ろうと思ってさ……いや、思ってはみたんだけどさ

エルカ

作るって、プリンを

ああ……でも作り方知らないから……必要なものは揃っている、はずだ

エルカ

卵とミルクと、プリンの型と………え?

 周囲を見渡すエルカの目に飛び込んだもの。

 それに、違和感を抱く。

 買い置きされている、ミルクや卵を使ってしまったら兄や祖父が怒るだろう。

 しかし、使わなければソルのイライラは収まらない。



 おかしいのはミルクや卵ではなかった。

 エルカは、その一点だけを凝視していた。

 どうして、ここに、そんなものがあるのだろうか。

エルカ

……………バケツ?

おお、そうだ。バケツプリンを作ろうと思ってだな。大きい方が良いだろ。前に爺さんに聞いたんだよ、大通りのケーキ屋にバケツサイズのプリンが売られていたって

 そこには、錆だらけのバケツがあった。

 たしかに、大きなプリンはきっと美味しそうだろう。

 しかし、問題が生じる。

 プリンを作れるようなバケツなんてこの家にあっただろうか。



 エルカは、バケツに近づいてその中身を確認してソルを見上げる。

エルカ

…………ダメ………私も手伝う

 ソルの袖をギュッと引っ張って、必死の視線をソルに向けていた。

 エルカは眉間に皺を寄せて、ブンブンと首を横に振る。

 突然、泣き出しそうになる義妹を見てソルは少しだけ焦りだした。

 兄のいないときに、義妹を泣かせたら取り返しのつかないことになりそうだと思った。

 しかし、ソルには義妹がどうして泣きそうな顔をしているのかがわからない。



 しかも、プリンを一緒に作るのだという。

 それで、どうして泣いているのだろうか。

え?

エルカ

このバケツ、汚い。こんなのでプリン作ったら、お腹痛いよ

 汚れたバケツをソルに突き付ける。

 鉄製のバケツの中はヘドロや苔で汚れていた。それを見てもソルは不思議そうに首を捻るだけ。

そんなの、洗えば良いだろ

エルカ

洗っても、ダメ。洗ってもヘドロはなくならない……ソルだって、おばさんの化粧瓶で作ったプリン……食べたくないよね………たとえ、洗ったとしても

母さんの化粧瓶で………おげぇぇぇ

 想像したのか、心底嫌そうな顔をする。


 エルカも自分で想像したら泣きたくなってしまった。

 想像したのか、心底嫌そうな顔をする。
 エルカも自分で想像したら泣きたくなってしまった。

 化粧品とヘドロを一緒にするのは申し訳ないと思った。しかし、明らかに食べ物ではないという共通点がそこにある。


 ソルの母親の使用している化粧は独特な臭いがして、それをソルが嫌悪していることをエルカは知っていた。

 例として化粧品を挙げたことで、彼はエルカの言わんとしていることを理解してくれたようだ。



 料理なんてしたことのないソルは知らないだけだ。料理に使う材料は見たことがあっても、どんな道具を使うのかまでは知らないだけ。

エルカ

ごめん、キモチワルイ話をして

いや、教えてくれてありがとう……でも、大きなプリン食べたかったな

エルカ

だから、私も手伝うよ。プリンの型、バケツはないけど……このお鍋とかで、どうかな? いつも兄さんがが料理作るときに使っているやつだから汚いのじゃないよ

 エルカは綺麗な鍋を見せる。

 手伝わせては貰えないが、祖父や兄がどんな道具で料理を作っているのかは見ている。

 だから、この鍋は確実に大丈夫だと断言できる。

そうだな、お前天才かよ

エルカ

これなら、大きなプリン作れるね

おう

 目を輝かせてソルは笑うと、大きく頷いた。

 二人とも料理は初心者だった。

 エルカが持ってきたお菓子作りの本を開いて、二人で悩みながら作るプリン。


 ソルは成功すると自信満々に料理をするが、エルカは緊張していて手を震えさせながら作業をする。


 そうやって、二人で試行錯誤しながらプリンを完成させたのだ。

第1幕ー26 あの日のプリン

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