23 まどろみの記憶
23 まどろみの記憶
これは、記憶の映像。
幼い兄妹たちの遠い日の記憶は、所々にノイズのようなものが入って良く見えなかった。
あの頃のエルカは過去とか未来とか、そんなことは考えていなかった。
世界は、目の前に映る範囲だけ。兄と祖父がいればそれで良かった。今だけを追いかけていた、そんな幼い記憶の欠片。
テーブルの上に並べられているのは手作りプリンだった。
傷だらけの汚いテーブル。だけど、プリンがあるだけで華やかなものに見える。
エルカは兄を手伝ってプリンの乗せられた皿を並べていた。
この日のプリンは特別だった。祖父が特別に買ってきた少し高い卵で作ったプリンなのだから。いつもよりも艶が良いし、味見をしている兄曰く味も絶品だという。
今日のおやつはプリンだぞ
やったー
兄の言葉に、ソルが駆け込んできた。
いつも怒っていて、眉間に皺を寄せて不貞腐れている彼だけど、別人のような笑顔を浮かべていた。
椅子に座るより先に、スプーンをひったくるように掴んだ。次の瞬間には、皿に乗せられたプリンの姿はなくなっていた。
代わりに嬉しそうに頬張るソルの顔は、満面の笑みが目の前にあった。
彼が笑顔だとエルカは安心できた。
兄も穏やかな笑みを浮かべる。
冷たい食堂が一気に暖まったような錯覚さえ感じる。
おいおい、落ち着いて食べろって………ってなんだよ、もう食べたのか
兄が呆れ顔を浮かべていた。食べ始まったばかりなのに二枚目の皿からもプリンが消えている。
初めから彼の前には二皿並べていた。しかし、まだ物足りないのだろう。
物欲しそうな視線は、エルカの皿に向けられる。その視線に気が付いたエルカは目を瞬かせる。
スプーンを持っているけれど、まだ一口も食べていなかった。
なぁ、お前のプリン貰ってもいいか?
……
おい、こいつから取るなっ………て
良いよ
否定する理由は何処にもなかったので、エルカは頷いていた。
承諾を得たソルの目が輝きを増す。
そしてエルカの持っていた三皿目に取り掛かった。
その三皿目も、もう少しで平らげそうだ。
………足りない…………もっと、欲しい
仕方ないな……おれのもやるよ
やったーー
そうだ、お爺様のは? 卵買って来てくれたのはお爺様だから
もちろん。あるよ………って、ソル……何でじぃさんの分まで
え?
ソルは不思議そうに兄を見やる。
これで、テーブルの上にあるプリンは全て食べてしまったらしい。
全てが彼の胃袋に入ってしまったようだ。端に寄せて置いたはずの、祖父のプリンまで。
兄は笑っていた。
だけど眉間に皺が深く刻まれている。
そうか……おれのプリンが美味しすぎて、他の奴から奪うぐらい美味しかったってことか
はぁ?
兄さん、ケンカしたらダメだよ
せっかくソルの機嫌が良いのに、ここで火に油を差すのは良くない。
エルカは兄を止める為にその腕にしがみつく。
ケンカになると、多分ソルが負けてしまうから。負けたらソルは更に不機嫌になる。
その姿を想像するだけで、背筋が冷やっとした。
……もっと、美味しいプリン……食べさせろよ
仕方ないな………明日の分だったけど、やるよ
その情けない要求に兄は毒気が抜かれたように、肩をすくめた。
ソルが手を出せば、兄も迷わず力で応じていただろう。
兄は冷蔵庫から、残りのプリンを取り出す。
あるなら出せよな……いただきまーす
これじゃあ、全部、お前に食べられちまうよ
そうだね
エルカ……食べられなくて悪かったな
私は大丈夫だよ。だって……
こんなに、穏やかな時間を過ごせるのならプリンぐらい我慢できる。
エルカは幸せそうにプリンを頬張る義兄を見ながら、そんなことを思っていた。
いつの間にか寝てしまったらしい。
エルカは鏡台の前で身なりを整えながら、夢の内容を思い出して苦笑する。
それは、取り戻すことが出来ない過去の思い出だった。
幼くて、愚かな子供時代。
ソルを大人しくさせるために、エルカたちは彼にプリンを食べさせた。
プリンを頬張る時のソルは、心から幸せそうに笑っていた。だから、幼いエルカも嬉しかった気がする。
おはよう、ナイト
食堂には既にナイトの姿があった。
朝起きて、誰もいなかったら……と、不安を抱いていた。
その不安を察したのだろうか、ナイトは安心させるような笑みを浮かべてくる。
怖い夢でも見たのか?
起きたら……ここが馬小屋だったらどうしようかって思っていたのよ
大丈夫、ここは馬小屋じゃないよ
そうみたいね
寝れたかい?
………まぁまぁ、かな
豪華なベッドは落ち着かない。
フワフワの質感は変な感じで、なかなか眠れなかった。だから、変な夢を見てしまったのかもしれない。
……無理はしていないか?
大丈夫だよ。大きなベッドだったから落ち着かなかっただけ
なるほどね……確かにあれは大きいな。俺は床で寝たよ
床なんて痛くなかったの?
俺って、どこでも眠れる体質だから。あ、エルカは真似するなよ。女の子なんだからさ
頼まれても床では寝たくないよ。ここ座っても平気かな?
どうぞ……ここで休んでも大丈夫だぞ。王子が来たら起こしてやるから
ありがとう、本当に大丈夫だよ。紅茶を飲むから
本当はあまり眠れなかった。不安な気持ちでいっぱいだ。
けれど、こんなことで心配をかけたくない。この物語は王子のもので、過去の記憶はエルカのもの。
王子の物語はエルカの過去の記憶が関係している。
そこに無関係なナイトを巻き込むわけにはいかない。
エルカは何でもないというように、ナイトの正面に腰をおろしてティーポットで紅茶を淹れる。
頭に浮かべたのはカモミール。エルカはティーカップから漂う、仄かな香りに癒しを感じていた。