18 兄妹の思い出1

エルカ

ね、ソル……子供の頃の話をしても良いかな?

 エルカは本の向こうにいるソルに問いかけた。

 長話になりそうだから床に座って、膝の上に開いた本を乗せる。

 床は固くて痛いし、汚れているけど構わない。



 エルカ自身は幼い頃の記憶を忘れている。

 幼い頃のエルカを知るのは、この義兄だけ。
 プリン王子の物語について、何か知っているかもしれない。


 そんな期待をこめて、開かれた本を見つめる。


 淡い光に包まれたページは相変わらず文字を読むことはできなかった。



 でも、その先に彼の気配は確かに感じられる。

ソル

な、何だよ、急に

 ソルの声は、少し驚いた様子。

 あまり振り返りたくない過去もあるのだろう。

 エルカは記憶が欠けている。だから、今は色んなものが、ぼんやりとしたあやふやなものに見える。

 ソルはどのぐらい見えているのだろうか。

エルカ

今、私がいる本………子供の頃に私が描いた絵本だったみたいなの

ソル

ふーん

エルカ

だけど、私は覚えていない。ソルは知っている?

ソル

それって………………プリン王子か

エルカ

え? もしかして、最初から気付いていたの?

ソル

最初にアイツを見た時は気付かなかったぞ。でも、ガキの頃にお前が描いていた本はそれだけだろ……って、それも忘れているのか

エルカ

うん、覚えていない。でも、どうしてソルが知っているの?

ソル

ガキの頃にお前が描いて、爺さんに預けた本だろ? オレは爺さんに見せてもらった

 そんなことがあったような気がする。

 目を閉じてこめかみに指先を当てて考えた。

エルカ

……………私はどうしてお爺様に渡したのかな。私、思い出せないの

ソル

知るかよ。とりあえず、オレは爺さんに見せられたんだ

 どうして預けたのかも分からない。

 どうして、祖父がソルに本を見せたのか、その理由もわからない。

 思い出そうとすれば、また同じようにノイズが走る。

 突然襲い掛かる頭痛に眉根を寄せた。

エルカ

………じゃあ、その内容は覚えている?

ソル

王子様はプリンが好きだった、だから名前もプリンだった。思い出せたか?

エルカ

多分………それで合っている。私、内容を覚えていないんだ

ソル

……そうか

エルカ

私がこの本から出る方法は一つだけ。物語を完結に導くことなの。だから、ソルの知っている範囲であらすじを教えて

ソル

……ああ……オレの覚えている内容は……怒ってばかりの王子がいた。その怒りを鎮めたのは魔法使いの女の子から貰ったプリンだった。こんな美味しい食べ物があるなんてって……衝撃を受けた王子は笑顔になった……って話だな

 ああ、思い出した。

 ソルが少しだけ暗い声色で話すから、あの時の暗い日々がぼんやりと浮かび上がる。

 エルカは胸に手を当てて、目を閉ざす。
 ゆっくりと、静かに、この物語を描いたあの日の記憶が蘇る。


 これは幼い頃の記憶。

 父親とその妻、二人が外出していた。
 それは珍しいことではない。
 むしろ、家に居ることの方が珍しい。

 屋敷の中には二人の兄と、祖父とエルカの四人になる。それは日常のあたりまえの光景だ。

 だけど、その日は違っていた。

エルカ

お爺様、今日は病院なの?

 当時のエルカにとって祖父は、唯一の頼れる大人だった。

 兄のことも頼れるが、残念ながら大人ではない。子供である兄が出来ることには限界がある。

 不安になって祖父の服の袖を掴むと、グランは大きな手で頭を撫でてくれた。

グラン

じじぃは健康体だが、医者が身体を見せろとうるさくてな。すぐに帰ってくるから、いい子にしているのだぞ。鍵はかけておきなさい

エルカ

はい、いい子にして待ってる。行ってらっしゃい、お爺様

 エルカに見送られて当主グランが玄関を出て行く。
 その背中が見えなくなると、エルカは急いで扉を閉めて鍵をかけた。

 扉が開いているだけで、何かが入ってくるような気がしたからだ。

 グランが不在だと知った何者かが、入ってくるかもしれない。

 確実に鍵がかかっていることを確認して安堵の笑みを浮かべる。

 家の中には子供たちだけが残されている。
 応接間では兄二人が言い争っている声が聞こえた。

 エルカは中の様子をそっと伺う。
 二人の喧嘩の原因はよく分からなかった。

話を聞けって

聞く必要はないよ

そんなに怒るなよ

怒ってない!


 怒鳴り散らす彼の姿が見える。
 父親の再婚相手と一緒に現れた彼。
 新しい兄はいつも怒っていた。
 もう一人の兄は、呆れたように肩をすくめている。

仕方ないな……

部屋に戻る! そこを、どけろって

おま………って噛まれた。犬みたいだな、まったく

エルカ

だい………じょうぶ?

 新しい兄が、出て行くのと入れ違いにエルカが応接間に足を踏み入れる。


 兄の手は赤く腫れていた。
 目についた救急箱を持って兄に渡す。

……ありがとな

エルカ

また、喧嘩?

オレはお手上げだな……アイツもお前ぐらいに懐いてくれれば良いのになぁ


 エルカと目が合うとニコリと微笑んで頭を撫でまわす。
 同じ歳の男の子に懐かれたいのだろうか、この兄は。
 兄の趣味はわからないと、エルカは思っていた。

エルカ

……撫ですぎ

撫でされてくれ……お前の頭を撫でると、あのバカに穢されたオレの心が癒されるんだよ

エルカ

私の頭がおかしくなるよ。おバカになっちゃう、そうなったら兄さんを恨む

おっと、それはゴメンな


 兄はそう言って柔和な笑みを浮かべながら、頭に乗せた手を離した。
 エルカは、少しだけ乱れた髪を直して兄を見上げる。

エルカ

包帯まくね

おう、頼むぞ……

 嬉しそうな顔で手を差し出してきた手に、エルカは包帯を巻いていた。


 エルカは不器用だから、巻きすぎたらしい。
 包帯が巻かれた兄の手は、少し太っちょになっていた。

第1幕ー18 兄妹の思い出1

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